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紙谷の里(三十六篇)
紙谷の里は三島郡南端の荘名にて往古十三ヶ村の惣称なり。
寛弘年中(1004〜1012)神谷左衛門なるもの此地領せしより其名起りし由。曾て左衛門に女あり、
秀才の聞え高く一条天皇の采女〔職原参考に采女の名は、日本武尊伊勢国にて御脳(御悩)のと
き、三重の郡家より采女出て御介抱し奉るに起こる、又采女は諸国より奉る郡の少領(郡司の次
官)以上の女にて天子陪膳の役をつとむ、陪は給仕なり、後世采女の職罷て典侍これを勤む
云々〕に撰まれて参内し神谷の采女と唱へ歌道にも達し秀逸多かりしと云り。
牧野家記録中寛永十一戌年(1634)領分名称調の簿書(帳簿)に、三島郡紙谷荘内深澤村の山に
神谷の名と神谷屋敷の称あり。神の字を憚り紙の字を書す云々、又荘内高梨村地内にも神谷及
び神谷川の名あり。今は其川を俗にやな川と云へり。