1996年に、ある季刊誌に「作家のつぶやき」と題して連載されたものです。

 

その2

桜
 一言で創作といっても、これほど楽しい半面、苦しい事はない。
 産みの苦しみというように創作意欲が込み上げても、それを、目に見え、手に触れられ、心に感じられる三次元の物体に表現するまでのプロセスが本当に大変で、あっと言う間に日々が過ぎていく。

 自分では、この時こそ一番大事な仕事に取り組んでいると思っているのだが、他人にはそうは見えない。

 気分転換に植木に水をやったり、熱帯魚の水を換えてみたり、家の周りをぶらぶら歩いたりしていると、そんな時に限って「気楽でよろしいね」などと声を掛けられる。
 一見気楽そうに見えるその裏で、私の頭脳は一四〇億の細胞を最大限に働かせ思考しているのだ。
 いつも思うのだが、脳が働いている時には、「ただいま、頭脳はフル回転中 注意!」などと赤ランプがつく装置でもあれば人にもわかってもらえる……。

 しかしこうした苦しみもやがて過ぎ去り、作品の像が見え、具体的なエスキースが出来はじめたころ、心の奥底から得難い喜びが込み上げてくる。この時点で、私の中では80%作品は完成したといえる。

 あとは技術的な問題であり、いかに素直に感情を移入できるか、素材をうまく表現できるかということを考慮しながら、時間のたつのも忘れて創作に没頭するのみである。
 こうなってようやく忙しそうに見えてくるのだ。


 このように、創作の陰には他人にはわからない苦労が隠れている。
 私が一見暇をもてあましているように見える時にも、その実私の内面では精神の葛藤が繰りひろげられている。
 私が散歩の途中ぼんやりと空を眺めていても、頭脳の赤ランプは点灯しているということを御理解いただきたい。


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