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研究報告
天野恵:騎士道と火器(7)[3/4]
これに対して鉄砲の場合はどうか。こちらは弾丸を打ち出すエネルギーがそもそも射手の体力と無関係だから、その点ではずっと有利になる。ただし、射程や命中精度、さらには威力に関しても、どうかすると弩に及ばなかったであろうことはすでに前回見たとおりである。発射速度はどうだったかと言うと、どうも毎分1発といったところが精一杯だったらしい。むろん長弓には遠く及ばず、これまた弩と同程度かもしくは少し劣っていたことになる。しかもこれは条件の良い場合の話であって、いざ実戦となると、火薬が湿っていて十分な性能が発揮できない、あるいは極端な場合、不発に終わったりする可能性もあっただろう。いずれにせよ、天候や気象条件の影響を受けやすかったことは明らかで、総合的に見ると弩に比べてその性能には不安定な要因が多かったと思われる。つまり、兵器としての性能を単体で比較すると、鉄砲のそれはどう見てもせいぜい弩と同等か、むしろ若干劣る程度のものでしかない。利点と言えば、とにもかくにも発射のエネルギーが射手の筋力に由来しないという点のみだったと言ってよかろう。つまり、兵士にとっての負担が軽いというのが唯一のとりえだったわけである。
ところで、旧日本軍、とりわけ陸軍においては、この《兵士にとって負担が軽い》という要素がたいそう軽視されていたことがよく知られている。むしろ重すぎる負担を、大和魂か何か知らんが、要するに精神力でもって乗り越えるのが優秀な軍人である、みたいな主張が幅を利かせていたわけである。まァ何事であれ、ある程度の精神的緊張は必要であって、これがなくてはたとえ装備だけ優秀でも戦争には勝てない。それは分かるのだけれど、実際の戦争では相手方もそれ相応の精神力やら決意やらで武装して臨んでくるに決まっているし、体力が尽きてしまえば精神力もいっしょに尽き果てるわけだから、結局、指揮官が精神力志向の人間だと、一度や二度は何かの幸運に恵まれて勝つことができても、いずれその軍隊は負ける運命にある。太平洋戦争ではこういう戦い方をしたせいで夥しい数の人命が無駄に失われたばかりか、米英軍の側から日本人はものすごく幼稚で愚鈍な民族であるという不名誉な評価を受けることになった。小生はわが国の旧軍部の戦争責任は非常に重いと考えている。それは占領地の人たちや捕虜に対する残虐行為とかそういうことではなく、日本人としての日本人に対する責任、要するに日本の国内問題としての責任という意味である。
いやはや、また脱線しそうになった。小生は旧日本軍のことに話が及ぶと何かにつけてすぐに頭に血が上る。さてさて、《兵士にかかる負担が軽い》という鉄砲の利点に話を戻すと、これが実戦においては想像以上に有利に働く可能性を秘めていたことがご理解いただけよう。しかしながら、本当のことを言うと、合戦の現場におけるこうしたいわば戦術面の利点というのは、実はさほど重要なものではなかった。そんなこととは比較にならないほどの計り知れない大きな利点というのは、よりグローバルな視点から見た場合の戦略的、いやそれどころか社会・経済的なレベルにおけるメリットだったのである。
つまり、《兵士にとって負担が軽い》ことの恩恵を享受したのは、実は個々の兵卒ではなくむしろ国家、と言うか支配者であった。まずもって、その扱いに熟練を要しない兵器があれば、長期間にわたる訓練などなしに、すぐに平民を兵士に仕立て上げることができる。訓練に要する時間が短いということは、とりもなおさず少ない出費で大量の兵士を揃えることが可能であることを意味するのである。つまり、銃兵を中心とした軍隊は、伝統的な騎士団はおろかスイス歩兵やその亜流のランツクネッヒトなどに比べても、時間的にも金銭的にもずっと安上がりであった。また、当時の銃や火薬の価格もまたさして問題になるほどのものではなかったことが知られている。正確な市場価格など小生は知らないが、どうも刀や槍よりも安いか、あるいはほとんど差がない程度であったらしいことはアリオストの詩の一節からも推察できる。
しかも、こうした「経済性」が金銭的にのみならず時間的にも成立するものだったという点がまた重要であった。なぜならば、それまでは特別に強力な軍事力を持っていなかった国なり君主なりが、周囲の諸勢力にはそれと気づかれることなく、あっという間に誰も想像しなかったほどの大兵力を備えて立ち現れるという可能性をもたらしたからである。だから、兵器そのものの性能が弓矢に比べてむしろ劣っていたとしても、より大局的な見地からすると、銃には当時のヨーロッパの軍事バランスに革命的な変化を生じせしめるほどのポテンシャルが秘められていた。
要するに、弓矢を持った兵士と銃を持った兵士が一対一で勝負する、あるいは同じ標的を前にして並んで腕を競う、といった状況ではむしろ前者の方に歩があったかもしれないが、そういう単純な、従って非現実的な比較ではなく、時間的な推移や経済的な側面まで考慮に入れながら一国の総合的な軍事力を云々するという段になると、当時の鉄砲には一国の軍事力を、それまでの伝統的な武器に頼っていたのでは到底望み得ないほどの急速な勢いで、しかも大きな投資もせずに上昇させる可能性が潜んでいたのである。
もちろん、これはわれわれ後代の人間から見てハッキリと分かることであって、同時代の支配階級がどの程度まで事前にこのことを認識していたのかはよく分からない。が、いずれにせよ、14世紀まで続いた騎士の時代がスイス歩兵の登場によって大きな転機を迎えたのに続いて、かつては貴族の独占するところであった戦争の主役は、こうしてますます平民たちへと拡散していくことになった。ただし、こうした傾向がヨーロッパ社会の「民主化」に結びつくようなことはまったくなかった。それはむしろ権力の集中をもたらす方向に働いたのである。すなわち、支配者にとっては民衆を直接軍隊に組織することがますます容易になったわけで、もはや封建騎士団に頼っている必要はなかった。中世末期から隆盛を迎えていた都市経済からの税収を傭兵につぎ込みさえすれば、いくらでも自分の自由になる軍隊を手にすることができるようになったのである。その結果もっとも大きな打撃を受けたのは言うまでもなく封建貴族であった。もはや、王権にとって貴族などというのは極端に言えば邪魔なだけで大して恐れる必要もない存在になりつつあった。一国一城の主からベルサイユや鹿鳴館で社交ダンスに明け暮れるただのお坊ちゃまお嬢ちゃまへと成り下がる日が迫っていたのである。
であるからして、貴族たちが鉄砲を徹底的に憎み、銃兵を蔑んだというのは、決して単なる保守主義や懐古趣味ゆえではなかった。もし単純にそれまでの騎士を中心にした戦争がやりにくくなったというだけのことだったならば、中には進取の気性に富んだ騎士がいて、鉄砲の改良やら射撃の練習やらに励んだかもしれない。ちょうど剣術の腕も一流であった坂本竜馬がいち早くピストルを取り入れたように、西洋の騎士の中にだって似たような奴がいても不思議はない。その証拠に、われらがアリオストの主君アルフォンソ・デステは、こと大砲に関する限りまさにそうした行動をとっていたし、ブルゴーニュ公国のシャルル突進公さえもが火器の導入にむしろ積極的だったことはすでに述べたとおりである。
ところが、メカニズム的には大砲とまったく同じ構造を備えていながら、鉄砲となると当時の貴族はこぞって非難の大合唱に加わった。これも、上のような事情があったとなれば、さして不思議なことではない。ところで、ハプスブルグ家の神聖ローマ皇帝カール5世は鉄砲が大好きで膨大なコレクションを持っていたらしいが、こういう目でもって眺めるならば、これもそう意外なことではないように思われてくる。