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研究報告
天野恵:騎士道と火器(7)[2/4]
さてさて、なんでまたこんな話をしたのかと言うと、前回の連載が16世紀初頭の弓矢と鉄砲では兵器としてどちらが優れていたのか、また、もし大きな違いがなかったのならば、わざわざ鉄砲が導入されたのは一体なぜなのか、という疑問でもって終わっていたからである。一般に性能の比較というのは、簡単なようでその実なかなか難しいケースが少なくない。人間の性能を測るための試験でも口答試問か筆記試験かによって差がでてくるように、兵器に関してもそう単純には行かないのが普通である。条件を揃えておいて比較することは可能なはずだけれど、この「条件を揃える」ということからして現実には必ずしも容易でない上に、戦場では毎回そうそう同じ条件が揃うわけではないからである。
試射において優秀な成績を収めても、取り扱いが難しくて、熟練した兵士でないと本来の性能を発揮させられない上に、えらくデリケートで少し乱暴に扱うとすぐに壊れる、なんていう銃と、逆にスペックはソコソコでもとりあえず誰にでも操作できて頑丈だという銃とを比べた場合、実戦において果たしてどちらが有利かというのは難しい問題で、冷戦以後の世界でも、“カラシニコフ”ことAK47と米軍・NATO軍のM16系の自動小銃とでは、単体としての性能では負けていたはずの前者が現実には勝つことになった。
一体、何が言いたいのかというと、早い話がこういうことである。前回述べたように16世紀初頭の滑腔銃というのは確かに性能面では弓矢と選ぶところがなかった...どころか、下手をすると劣っていたのではないかと思われる。しかし、それでもなお鉄砲の導入は当時の戦争のやり方に文字通りの革命を引き起こすことになった。それは誰にでも簡単に取り扱えるという利点があったからである。
弓矢には、イングランドでよく使われた長弓(ロング・ボウ)と、大陸で使われた弩(クロス・ボウ)があった。射程と命中精度に関しては明らかに後者に歩があり、短めの矢を300メートル以上も飛ばすことができた上、ちょうどライフルのように矢を回転させることによって軌跡がまっすぐになるよう工夫されたものまであった。
対する長弓は、射手が直接腕で弓を引いて、しかも狙いを定めて発射するまで力を緩めることなく引き絞った状態を保たねばならないから、そもそも弓に蓄えられるエネルギー自体が限られている上に、射手は照準合わせだけに全精力を集中することができないから、射程も命中精度も弩には及ばなかった。が、その一方、こちらには発射速度が高いという無視できぬ利点があった。熟練した射手の場合、毎分6本から10本もの矢を射ることが可能だったと言われている。こうなると、ある程度の人数と地形などで有利な条件が整えば突撃してくる騎士団に対しても有効な防御線を張ることができた。
英仏百年戦争において、クレシーの戦い(1346年)やアザンクールの戦い(1415年)など、有名な合戦でしばしばこの英軍の長弓隊が活躍して、はるかに優勢だったはずのフランス騎士団を敗北させたのは周知のとおりである。ただ、こういう芸当が可能だったのは、あくまでも「熟練した」弓兵を大勢抱えていた英国だからであって、他の国が「ではウチも…」という調子でおいそれと真似をするわけにはいかなかった。熟練した射手をそう大勢揃えておくことができなかったからである。というわけで、長弓はもっぱら英軍の専売特許であった。
一方、弩に関しては、強いて言えばジェノヴァの弩兵が傭兵としてあちこちで活躍したことが知られている。ヴェネツィアの場合も、市民階級の若者のキャリアは弩兵としてガレー船に乗り込むことから始められるのが普通だったようだし、弩という兵器は特に海軍とともに発達したらしい。確かに海上では敵艦に乗り移っての白兵戦をしない限り飛び道具以外に有効な武器はなく、しかも速度の方は彼我ともに大したことはないわけだから、発射速度には劣るものの射程の長い弩が海軍と相性が良かったというのはうなずける話である。ガレー船同士の海戦で高いマストの上から敵の船に対して弩を使えば、上方からの攻撃に無防備な相手方の漕ぎ手に対してかなりの効果が期待できたはずだ、と言う歴史家もいるが、ガレー船のマストなんぞにそう多数の弩兵を配置するわけにも行かなかっただろうから、この説には説得力があまり感じられない。だいたい、衝角戦法で突っ込んでくる敵艦に対して弩など撃っていても意味がないし、乗り移り戦法に対しても弩でもってそれを防ぐことができたとは到底考えられない。それよりもむしろ、ガレー船の乗組員が地上戦を行なう際に都合が良かったのではなかろうか、と小生は考えている。ジェノヴァであれヴェネツィアであれ、海洋国家の人々は軍艦の操船技術は優秀でも陸上での戦いは苦手である。騎士なんていうのは基本的に一人もいなかったはずで、そういういわば地上戦の素人にとっても扱いが容易で、しかも威力が大きいということから重宝がられていたのではないかと思うのである。だいたい英軍の長弓兵の場合と違って、ジェノヴァの弩兵がどこそこで大戦果を挙げたとか、彼らがいたおかげで劣勢をかこっていた側が大勝利をものにした、などという話もあまり聞いたことがない。
が、まァいずれにせよ、長弓であれ弩であれ、矢を発射するためのエネルギー源はあくまでも射手の筋力であり、とりわけ長弓の場合には、それこそ射程から命中精度、そして発射速度に至るまで、もうすべてが射手の体力と練度とに依存していた。熟練が要求された所以である。弩の方は射程を稼ぐためのエネルギーの蓄積と標的に照準を定める作業とが完全に分離されているので、射手の錬度はさほど要求されない。とは言え、弓を引き絞るのはやはり射手の筋力であるからして、引き絞った直後に多少呼吸が荒かったりすれば命中精度に影響が出ないはずはないし、しかも実戦では一発勝負ではなく次々と矢を発射しなければならなかっただろうから、回数を重ねるに従って疲労がたまり、ますます不利になったであろうことは間違いない。