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研究報告
天野恵:騎士道と火器(6)[4/4]
すでに前回までの連載で、中世には無敵だった騎士を時代遅れの代物にしてしまったのが鉄砲ではなく、長槍(ピック)を持ったスイス歩兵の密集隊形であったというところまでは、ご理解いただけたことと思う。しかし、それは別にスイス歩兵の方が先に登場して早々と騎士をやっつけてしまったものだから、鉄砲にはもはや出番がなくなっていた、などということを意味しているわけではまったくない。実際、騎士は決してスイス歩兵によって無力化してしまったわけではなかったのであるが、鉄砲もまたその騎士を無力化することはなかった。
さて、それではルネサンス期の戦争において銃は一体どのような使われ方をしたのであろうか。当時の銃の欠点、と言うか特徴をもう一度まとめておくならば、それは射程が短く、命中精度が低いということである。これは、至近距離にある巨大な標的に対してしか威力がないということを意味している。さて、16世紀初頭のヨーロッパの戦争でそういう特徴を備えた標的といえば、何が考えられるであろうか。察しのよい読者の方ならすぐにその条件にピッタリの標的を思いつかれるだろうと思う。
そう。スイス歩兵の密集隊形である。これは比較的動きが遅いうえに、いくらピックが長いと言ってもせいぜい3〜4メートルであってみれば、当時の銃の有効射程にとっても十分すぎる短さである。密集隊形を組んでいる個々の兵士のうちの誰に命中するか、などということは問題にならない。とにかく誰かに当たりさえすればそれでよいのである。しかも、スイス歩兵は騎士と違って強固な鎧など身に着けてはいない。だから、彼らの攻撃を待ち受けて、至近距離に到達するまで発砲を控えておき、いよいよピックの先端がこちらに届くという、まさにその直前に一斉射撃を加えれば、その威力はとてつもなく大きかったと思われる。最前列に配置された熟練兵はほぼ全滅状態だったであろう。続く集団に対しては、銃兵をあらかじめ3列〜4列に配置しておくことによって十分に対応できる。以前の連載で述べたように、スイス歩兵は周囲の戦友がバタバタと倒れていっても動揺することなく突撃を続けるよう訓練されていた。と言うか、それまでの戦いにおいては、実際、個々の兵士にとってもそうするのが生存の可能性を保障する唯一の道だった。だから、最初の一斉射撃で生き残った者たちはメゲることなく前進を続けたことであろう。3回目、4回目の一斉射撃の後には累々たる屍が折り重なる、凄惨そのものの情景が広がっていたものと想像される。16世紀初頭のイタリア戦争においては、実際にこういうシーンが現出したらしい。
さて、そろそろ原稿もいい分量になったので、鉄砲を使って現実に行なわれた歴史上の合戦の模様については次回にまわさせていただこうと思うが、最後にひとつだけ付け加えておきたい。それは、先ほど、騎士の鎧と鉛の銃弾の話をしたときに小生がちょっと口をすべらせたので、頭のイイ読者の方は「あれッ?なんかちょっと話がオカシイんじゃないの?」とお思いになった可能性があるからである。
つまり、鉄の鏃に対して銃弾は鉛でできていたから鎧を貫通するのがむずかしかった、というのならば、わざわざ新兵器たる鉄砲を実戦に投入する意味は一体どこにあったのか、ということになる。そもそも、我々はともすれば無意識のうちに「現代の」小銃と弓矢とを比較してしまい、だからもう文句なしに鉄砲の方が優れていると思いがちであるが、今回のお話は、要するにルネサンス期の火縄銃が19世紀以降のライフル銃といかに違っていたかということであって、有効射程は短いは、命中精度は低いはと、その性能は相当にお粗末なものであった、という内容であった。で、そうなると、じゃあ伝統的な飛び道具である弓矢に比べてさしたるアドヴァンテージがなかったのではないのか、いや、それどころか、どうかすると鉄製の鏃を備えた弓矢の方が当時の鉄砲なんぞよりも威力があったのではないのか、という声が聞こえてきても少しもおかしくない。
が、まァこの答も次回にまわさせていただきたい。
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