ホームスクーリング研究会リポート No.2

子どもをどう理解するか

第二章 半ば自由な子ども

「この章は少々書きにくいものになりそうである。それはサマーヒル学園における、私の生涯のしごとを要約しようとするものだからである。」という言葉で、この章は始まります。「半ば自由の子ども」というのは、サマーヒル学園に来る前に条件づけられて育ち、後に自由になった子ども達というふうに定義されています。(「家庭で自律的にそだてられた子どもが入学してきたのは、大体1943年以後のことではなかったかと思う。」と書かれていますが、後の文脈から、逆にニイルは、家庭で子どもが自律的に育てられることの大切さを強調している事が読みとれます。)

ご存知のようにサマーヒルでは、「子どもを勉強にかりたてること」はせず、「授業を受けるうけないは自由であると教え」、「行為とか、衣服とか、作法とか、ことばつかいとかについて、きまりをおしつけるということを何もしなかった。性に関する全ての古風なタブーは追放し、どんな宗教も学校の中へは持ち込まなかった。」このように自由な環境を子ども達に用意したことで、「気まま学校」(Do as you please school)と呼ばれるようになったわけですが、この言葉の中に、ニイルは「大衆の多く」の自由への渇望と恐怖を読みとっています。これは、今も全く変わりない状況といえるでしょう。子どもを好き勝手にさせていたら、ちゃんとした大人に育たない。最近の子どもは我慢することを知らないから、子どもの犯罪が増える云々。けれども、サマーヒルが出来たのは今からもう80年近く昔の話です。日本でも同じ頃、「窓際のトットちゃん」のともえ学園のような自由教育の学校が作られた時期がありましたが、その後の戦争時代は言わずもがな、戦後の教育改革を経たにしろ、主流は「我慢をさせる教育」だったわけですから、最近センセーショナルに取り上げられる”少年犯罪”あるいは”学級(学校)崩壊”の背景として、彼らが自由であったからなどとは言えないはずです。むしろ”我慢”をさせられすぎたことの結果ではないかと思うのですが、この事についてはまた後で取り上げることになるでしょう。

さて、ニイルは訓練主義の家庭や学校からやって来て、サマーヒルで自由を得た子ども達がどう変化したか、つまり自由が子どもにどう作用したかを明らかにしています。先ず「自由のもとにおいて、子どもがうまくゆくかどうかということは、主として入学の年齢による、ということであった。五才のときにはいってきた子どもは、それから後いつも、ほとんど全ての授業にでるし、作ることもやるし、創造的であり、独立的であった。」ところが十二才か十三才になってから入ってきた子供は「本当の意味の自由を把握するのに数年を要し、時には二年以上もすべての学科に背を向けてしまうと言うこともあった。」とのべ、結果的に「もしも自由を与えられることによって、彼らが好もしくない人間になるならば、禁止的な訓練が人間を悪くすると言う私の仮定は崩れる。・・・私がここに答えうることは、現在、問題の子どもも、正常な子どもも、すべてがより真実になり、より社会的になり、寄り愛らしくなっていることである。」と繋いでいます。

(つづく)


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