ホームスクーリング研究会リポート No.3

子どもをどう理解するか

第二章 半ば自由な子ども

 前回は自由が子どもにどう作用したかについて少し紹介しました。今回はもう少し詳しくふれてみたいと思います。「自由の下において、子どもがうまくゆくかどうか」について、ニイルは先ず入学の年齢を上げていました。つまり子どもは生まれてからできるだけはやく自由な環境の中で、自律的に育てられなければならないと言うことです。ニイルはその意味では、一般的な家庭を信用していませんでした。ニイルがサマーヒルを始めたころは、子どもを打って躾けるのが当たり前とされ、性的なタブーも多く、「問題の子どもはいない、問題の親がいるだけだ」と他著で述べているとおり、家庭が子どもを抑圧していると判断していたのです。抑圧されて育った子どもは、今度は自らが子どもを抑圧する親になっていきます。抑圧の連鎖を断ち切るためには家庭が変わるのを待っていられない。だから子どもを自由にするためには、先ず家庭から引き離す必要があると考えたのです。それで当然と言えば当然ですが、「自由学校」は当時のイギリス社会で受け入れられたものではなかったので、「問題の子どもに手をやいた親たちが、自分の子どもを託する最後の場所として、サマーヒルへよこすようになってきた」(1924年頃から1936年頃まで)のでした。この時代は「おそくなって入学してくる生徒で、しかも不良な心理的な問題をもつ者が、あまりにも多くなった。」その結果、ニイルはこの時代に「一つの発見」をします。「私はいつも、問題の子どもは創造的な力を持った輝かしい子どもであって、その力を積極的に出すことができないために、反社会的にならざるを得なかった子どもであると考えていた。彼らを禁止と訓練から解放してやるならば、かならずや賢明な創造的な、ときには、すばらしい子どもに変わってゆくに相違ないと、私は考えていた。しかし私はまちがっていた。残念ながらまちがっていた。・・・・・たしかに数人のものは、反社会性と不正直とが癒されて、普通の職業に就くようになった。・・・・・反社会的な動向が捨てられたとき(治療によってでなく自由によって)そこにはただ死のような沈滞が残るだけであり、なんの野心的なものも見られなかった。」

 要するにニイルが「発見」したのは自由の限界だったと言うことでしょうか。たしかに「反社会性」や「不正直」は癒されていきますが、能力的なものに関しては、その子の持っている資質なのだと言うことになります。能力的なことに関しては「自由は、子どもが賢ければ賢いほどもっともよく活かされる。」「すべての学校が自由になり、すべての授業が自由選択になるならば、子どもらはそれぞれ自分自身のレベルを見いだしうるであろうことを私は想像する。」などと書かれています。と言うことは、最近よく言われるように自由教育が個性や才能豊かな人材を育てるというのとはちょっと違うと言うことになります。個性的であるかどうか、才能があるかどうかは、もともと子ども自身がもっているものであり、彼ら自身が「自由をよりよく活かすことができる」のであり、「自由は主として感情に触れるものである」からこそ、どちらの意味でも大切なのだと思います。  

 ニイルや自由について、あまりに理想的に、またロマンティックに見るのを止めなければなりません(実はそう言う傾向が私にもあったとおもいます)が、自由は子どもがよりその子らしく自分を生きると言うことをもたらしてくれることは間違いないでしょう。

(つづく)


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