天正14年(1586)の国替えによって高槻より高山右近がこの地を与えられ、一旦は枝吉城に入るも船上城を築城し、後に移った。 翌1587年に発せられた伴天連追放令により高山右近はわずか2年で船上城を去ることとなる。 元和3年(1617)信濃松本より小笠原忠真が船上城に入るが、忠真はすぐに明石城を築き、船上城は廃城となった。 なお、現在見ることのできる明石城の坤櫓は船上城の移築櫓と言われている。