枝吉城は、永亭元年(1429)に明石尚行によって築かれた。 天正14年(1586)、関白となった豊臣秀吉は大規模な国替えを行う。この国替えによって枝吉城主・明石則実が豊岡に移り、代わってこの城には高槻より高山右近が入った。 枝吉城に入った高山右近は直ちに新たな城の築城に着手、完成をみて、新城・船上城に移り枝吉城は廃城となる。ここに一世紀半にわたる枝吉城の歴史は幕を閉じることになる。