□哲学・思考・歴史

縄文人と弥生人
 日本の歴史書を読むとき、いつも気になることがある。いったいこの著者はどの視点から歴史を見ているのだろうか?と。自分の場合は、振り返ると二人の自分が居るような気がする。
 長い間、狩猟採集生活を送っていた縄文人が暮らしていた。そこへ鉄器を持った弥生人が来て、水田を作り稲作農業を始めた。上手に住み別けて暮らせば協調出来ただろうし、水資源をめぐって対立すれば、けんかもあっただろう。でも稲作はものすごい食料の増産につながり、縄文人も見習ったに違いない。その結果、西日本では弥生人が、東日本では縄文人が中心となって人口が増加し、やがてムラを作り、クニをつくっていった。その後倭国大乱の戦国時代になり、やがてヤマトを中心とした国家ができていったのだろう。
 自分が弥生人の末裔と考えれば、先進技術を積極的に取り入れ、商業、貿易に力を入れ、それが国家発展につながると考えるだろう。しかし縄文人の末裔ならば、昔ながらの伝統を大切にし、環境保全を図りながら、必要に応じて生活を改善することが、住民の幸福につながるだろうと考えるにちがいない。
 平安時代から鎌倉時代に至るとき、源氏と平家の戦いのように見えるが、実際は、海運、貿易によって国家を発展させようとした弥生人の末裔が、一時覇者となり、その後関東を基盤とした縄文人の末裔が、律令制度の一部である幕府を拡大解釈して、武士、農民を支配するというきわめて習慣法的な社会をつくることで安定させた。
 戦国時代が、織豊政権を経て、江戸時代に至る過程もよく似ている。信長の楽市楽座、南蛮貿易に代表される弥生人的な西日本政権から発想からやがて、家康の鎖国、重農主義に至る縄文人的な、東日本政権で落ち着く。そして、明治維新は、弥生人的発想で生まれた。
 では、現在はどうか?人口が減り始め、どう考えても停滞期に入っている感じがする。縄文的発想でこのままいくと、大きな発展は望めないが、安定した社会が続いていくだろう。しかし弥生人的に考えれば、外国人労働者、移民をどんどん受け入れて、新しい文化のもとに、日本を作り替えていくことになるだろう。我々はどちらを受け入れるのだろうか。

□政治

洪水対策
 大きな浸水被害を受けて洪水対策をすることになった。堤防を高くすればよいのだが、近くに別の小さな河川があり、ここが氾濫すればやはり浸水してしまうことが分かっている。行政としては費用対効果を考え、そこまではできないことだ。どうすればよいか?浸水予定の宅地を1~2m地上げをすればよいのだが、それは私権の範囲に入るのでできないのだ。ここまで理解して、税金の無駄使いと知りつつ、堤防工事に取り掛かってもらった。もし家を建てたいのなら、堤防の高さまで宅地造成をして建てれば安心だ。
 地球温暖化のためか、毎年のごとく日本の各地で洪水被害が繰り返されている。行政は被害の程度に応じていろいろな対策を考えている。自分もその当事者として真剣に考えたが、納得のいく結論ではなかった。いずれ過疎化とセットで、人がいなくなってしまうだろう。
消費税
 消費税10%は高いのだろうか。先進国の多くが20%台であるのに対し、どう考えても少ない。それよりも気になることが、国の収支決算である。国の借金は国家予算10年分を超えているのに、さらに国債を発行し負債を後世に残そうというのは異常でしかない。このまま進んで、解決策があるのなら、もちろんそれでも良いのだが、素人考えでは、ハイパーインフレしか考えられない。
 早い目に手を打って、ほしいものだ。少なくとも国債発行額を0にして、今ある借金を返してほしい。そのためには、支出削減も大事だが、消費税をもう少し世界標準並みにして、国債償還にあててほしい。でないと高齢者だけでなく、若い人たちも政府のやることを信頼しなくなるだろう。
 「消費は美徳である」経済成長に重きをおけば、そうかもしれないが、地球の資源は限られている。環境税を導入してでも資源保護を図りたい時期なのに、消費を賛美する風潮はやめてほしいものだ。投資をしてほしい分野はたくさんある。科学技術分野での発見や発明は、経済発展の基礎になることだし、日本では農業や、健康、医療介護分野ではもっとやり方を変えた、付加価値のある手法も見つけたり考えたりできるだろう。
 為政者は、目の前のことにとらわれすぎている。最近は気象変動のためか、災害が多すぎる。勿論これらに迅速に対応するのも大切なことだ。大災害が起きれば、国債償還が遅れるのはやむを得ないかもしれないが、だからといって、国債を発行して対応したのではやみくもだ。勿論その他の法人税や、所得税なども適宜変えることもあるだろうが、基本は、バランスのとれた国家予算を立ててほしいものだ。それが為政者の共通認識になればいい。
センター試験
 50年前にはセンター試験がなかった。個別大学の入試のみで2回受験できた。その後、共通一次試験、少し改定されたセンター試験になったことを覚えている。
 共通一次試験制度になったとき、印象が良かったことを覚えている。1期校、2期校の区別がなくなり、各大学での膨大な採点業務を減らし、各大学は二次試験を工夫することによってより個性的な学生を求めることができるからだ。
 今度改定しようとする英数国は本来各大学が二次試験で対応すべきことで、共通で実施するメリットが感じられない。何か裏があるのでは?と勘ぐってしまいたくなる。
 日本人が英語のに弱いというのは自分にもよくわかる。読み書きは多少できても、聞く話すとなると全く自信がなくなるからだ。しかし、それを入試の科目とすることで、力が付くだろうか?
 文科省は、学習指導要領を見直し、小中高にふさわしい教員を配置し、全員の底力を向上させることに力を注ぐべきだと思う。その結果をくみ取るのが各大学の二次試験ではないだろうか。
 入試制度を変えることで、英語力が付くと考えるのは本末転倒だ。もっと英語力をつけさせてから、ふさわしい入試制度にしてほしい。

□地域社会

区画整理事業に関係する意見書
 地域に関する要望であるが、簡単には実現しそうにないので、市役所に具体的な提案をさせていただいた。
 

    意見書リンクしています  →  区画整理事業に対する意見書

□個人の思い

結婚姓選択と親子近居
 結婚後夫婦の選ぶ姓は、男性側の場合が多い。ところが最近は、結婚後夫婦の選ぶ住所は、女性の親との近居が増えている。
 男女同権が言われだしてから70年、経て、姓の選択において女性側がいっこうに増えないのに、住所選択においては、男性の親との同居もしくは、近居がどんどん減り、今や女性の親との近居が普通のような感覚になっている。なぜだろうか?
 今、日本は母系社会に変わりつつあるのかもしれない。都会へ出て子育てするとき保育所に頼るが、田舎において近居すれば、母親に頼れる。ならば気ごころのしれた祖母のほうが都合がよい。そして男性側の親には姓を与えて納得させるのだろう。縄文的思考は田舎で進行する。飽和に達したとき、世の中は激的に変化し、それが当たり前の社会のなるのだろう。

□事業

談合汚職
 近頃、電力会社の原子力発電所を巡っての不明朗な金品の流れが報道された。30年程前のゼネコン汚職事件がよみがえった。その時の関係者に、私が初めて就職し上司であった方が、贈賄側の経営者の一人としていたのだ。もし転職せず、この方のもとで技術営業にでもかかわっておれば、現金の授受に関係していたかもしれない。そのような人たちの名前も報道されていたのだ。
 私が初めて就職した頃、友人から聞いた話として、建設業界では談合は常識であった。それがこのゼネコン汚職をきっかけにだんだん変わり、今ではしないのが常識になっていると聞いている。勿論「魚心あれば、水心」のことわざは残っているし、代官の「越後屋、お主も悪だのう。」のセリフも消えてはいない。
 子供の頃、親父が河川改修と並行してなされた宅地造成をめぐってブツブツ言っていたのを聞いていた。高校時代に生徒会費、部活動費を巡っては自分も大きくかかわった。ある高校で、進路指導部長をしていた時、出入りの業者から「飲みに行きませんか」とさそわれた。友人や同僚と飲むこととの違いを考え丁重にお断りしたが、いつの時代でも同じようなことはあるものだ。
 最近、地元でも産業廃棄物処理施設の建設をめぐっていろんな意見がでている。原子力施設、基地施設、ごみ施設、防災施設など、通常の競争原理や需給の関係が成り立ちにくい所には、まだまだ「越後屋さん」の活躍できる余地が残されている。もし関係者になったなら心してかかわってほしいと願うばかりだ。
 
 

□幼い頃の思い出

透視図法
 まだ親の背中におぶってもらっていた頃の思い出である。遠くに見えていた汽車は、豆粒くらいの大きさだった。線路が近づいてくるとおもちゃの大きさになった。駅のホームから見ると人が入れる大きさになっていた。同じ汽車なのにいつのまに大きさが変わるのだろうと不思議に感じていた。
 小学校低学年の頃、駅のホームで写生をする機会があった。ほとんどの友達は、横から見た汽車を描いていた。中には後ろから見た汽車を描いた者もいた。自分もその一人だったのだが、近くに見えた最後尾は、大きく、先頭の汽車は小さく描いた。当り前だと思ったのだが、「子供らしくないと絵だ」と否定的な評価を受けた様な感じだった。
 高校に入って、設計製図の勉強の中で、透視図法を習ってその仕組みを納得した。
 小さい頃は、音楽や絵画は大好きだったが、いつの間にか、理論や数式のほうが好きになっていった。
初めてのお手伝い
 鎌で刈り取った稲わらを天日干しで乾燥させるため、組み上げられた垂木のところまで運ぶのが最初の仕事だったように思う。。
 姉はただ運んで雑然と置いていた(もちろん垂木に掛けてしまえば、どんな置き方でもかまわないのだ)。その姿を見て少し気に入らなかった私は別の方法を取った。
 直径10㎝程の稲わらを丁寧に積んでいくときれいな正三角形の形になる。仕事はきれいなほうがいいのだ!
 そんな姿を見ていた親は、嬉しそうににこにこと笑っていた。
0.1とー1の違い
 小学校の低学年の頃、その当時、集団登校だったのだが、上級生の誰かが「0と1は、どっちが大きいか?」と聞いてきた。勿論「1」と答えた。そしたら、「0.1とー1はどっちが大きいか?」と聞かれた。そして答えに詰まった。
 算数を勉強しているのに、なんでわからないんだろうと悔しさを感じた。
 その後、分数や代数を習いだしたころ、少しづつ、もやもやが解消していった。
砂遊び
 家の近くに幅10mほどの川が流れていた。河原の一角に砂が溜まって、丁度砂場ができていた。そこで一人遊ぶのが大好きだったことを覚えている。
 中でも好きな遊びは、砂場の中に水路を作り、水を流すことだった。土木技師になって、堤防の形を変えたり、砂利でダムを作ったりいろいろ工夫をすることが、何とも言えない楽しみだった。
 後に地図の勉強をしたとき、三角州、扇状地や蛇行の仕組み、浸食や堆積を、納得できた。
 大人になって、心理療法のなかに、砂遊びが取り入れられていることを知り、当時何で自分があんなにも砂遊びにこだわっていたのか、再度納得できた。
石油と電気
 小5のある日の放課後、自分とMAとMIの三人で「石油と電気はどちらが役に立つか?」の議論を始めた。自分「石油で火力発電もできるし、分留すれば、ガソリンやいろんなプラスチック製品もできるから、役に立つ」MA「電気製品はたくさんの種類があって役に立っている」から始まった。
 自「ガソリンエンジン、発動機やジーゼルエンジンがある」MA「モーターには大から模型のモーターまでいろんな種類がある」etc。とにかくありったけの知識をだしあって議論のようなことをした。MIは二人の間に入って、司会のような役割をしてくれた。1か月も続いただろうか。放課後3人寄ればこの話ばかりだった。
 議論が好き?になったのはこのことがきっかけだったような気がする。その後、MAは、医者にMIは商社マンになっている。