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北近畿の自然 3月編 

[内容]

道端では、台風、峠道、畑を守る、植村直己冒険館、中嶋神社、神鍋の干し柿、
農家の戦争中の暮らし、母の戦中記、豊岡地方(地図)、茅葺きの農家

今、道端では

 タガラシが水路の中で葉を広げています。
畑を守るおばあちゃんたち
 
春の陽気が戻ってきました。畑を起こして、4月に植えるジャガイモの畝を準備します。冬を越した野菜もダイコンやレタス、ネギなどが取れます。
ネコ
 台風の爪あと

 北近畿では、16年は 台風23号の被害が大きかったです。普段は小さな川でも、道路が新設されると、大雨の時水の流れが変わります。特に大きな河川 の流れる豊岡市、舞鶴市の周辺で大洪水が発生しました。
 また、山では、土砂崩れが各地で起きて、住宅地に迫ったり、 道路をふさいだりしました。地元では、懸命な復旧作業が続けられました。
 21年も、お盆前の8月9日の夜から10日未明にかけて、台風の影響による大雨で、川水が増水し各地で住宅や農地に大きな被害がありました。

府県境の峠道

 京都府北部の京丹後市と兵庫県北部の豊岡市は東西に並んでいて、府県境は山地になっています。2つの市を往来する峠道が4ルートあり、一番交通量の多いのが、国道178号線の河梨峠です。台風23号の豪雨により、路肩の崩れが発生し、3週間もの間、河梨峠の通行ができなくなり、迂回路として利用されたのが、北側の三原峠と南側のいざみ峠と尉ヶ畑峠(坂野峠)です。
 河梨峠は、災害復旧工事が終了し、1年8ヶ月半ぶりに片側通行が解消しました。また、融雪工事も終わり、今後は雪の季節も通りやすくなりそうです。詳しくはこちら。

お菓子の神様、中嶋神社

なかじまじんじゃ 豊岡市の郊外、三宅にお菓子の神様を祭っている中嶋神社があります。 4月第3日曜の祭日には全国の菓子屋さんからお菓子が奉納されます。
 垂仁天皇の頃、常世の国(朝鮮、斉州島といわれている)に渡って橘の木を持ち帰った田道間守命 (たじまもりのみこと)は、天皇が既に亡くなっていることに驚き、その橘を御陵に捧げて、自分も殉死したと伝えられています。

 資料1 資料2

探検家、植村直己

なおみぼうけんかん  世界の5大陸最高峰の登山を果たし、北極や南極の探検で有名な故植村直己さんは、日高町の出身です。
 彼がマッキンリーで遭難した1984年2月に、私は手話サークルの縁で若いろうの友人たちと近くのスキー場で 滑っていて、直己さんはきっと生きているなどと話していたことを思い出します。
 1994年4月に、彼の生家 から少し離れた日高町の伊府(いぶ)に植村直己冒険館がオープンして、一昨年の7月に入館者30万人 を達成しました。 外観は、細長い建物で、写真左側が入り口です。ちょうど氷のすきまを進んで行くように両側がコ ンクリートの通路を進んでいくと、入り口があります。
写真
 館内では、直己の生涯のビデオが放映されています。窓口で申し込めば、手話つきのビデオも見られます。 

神鍋の干し柿

 神鍋高原では、雪に埋もれる冬仕事として干し柿作りを行っています。 民宿に泊まるお客さんにもお茶請けとして出されます。 砂糖を使わない自然の甘みが魅力です。

農家の戦争中の暮らし

  丹後のおばあちゃん(母)が書いてくれたおじいちゃんの出征中の暮らし。おじいちゃんは兵隊さんとして通算7年 近く外地へ行っていました。おばあちゃんと結婚してからが5年です。
 おばあちゃんは、結婚前は網野町塩江のちりめん工場に勤めていました。

    おばあちゃんの戦中記。

豊岡市

 兵庫県北部にある都市。 平成17年4月、周辺の5町との合併で人口約9万2千人、面積が697平方kmとなった。豊岡盆地を流れる 円山川の影響で、時折霧が発生する。気象庁の豊岡測候所があり、その発表する天気予報は、隣接の京都府丹後地方でも信頼されて いる。
 豊岡周辺の地図1 北近畿


茅葺き(かやぶき)の農家

 ススキや笹、麦わらなど を使って屋根を葺いた家も少なくなって、屋根葺きのできる職人も老齢化が進み少なくなってしまった。雪の積もる当地方では、 屋根は急な角度で、屋根裏にわらや縄などの軽い農具を収納していた。写真は昭和42年頃、冬の始めで屋根に雪が残る。縁側には雨戸が設置され、夜は雨戸を閉める。玄関脇には便所が設置され、屋内の土間の一角は牛小屋になっていた。

北近畿の自然