平成三年(ネ)第九七三号、同第一〇八四号 損害賠償請求控訴事件 (原審・東京地方裁判所昭和五六年(ワ)第四〇七一号) 判 決主 文
一 1 第一審被告明和監査法人の控訴に基づき、原判決中第一審被告明 和監査法人敗訴部分を取り消す。 2 第一審原告の第一審被告明和監査法人に対する請求を棄却する。 二 1 第一審原告の控訴に基づき、原判決中第一審被告東京海上に関す る部分を取り消す。 2 第一審原告の第一審被告東京海上に対する訴えを却下する。 3 第一審原告のその余の控訴を棄却する。 三 訴総費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。戻る
事実及び理由
第一 申立 一 第一審被告明和監査法人 1 主文第一項と同旨 2 第一審原告の控訴を棄却する。 二 第一審原告 1 第一審被告明和監査法人の控訴を棄却する。 2 原判決を次のとおり変更する。 (一)(債務不履行に基づく損害賠償として) 第一審被告明和監査法人は、第一審原告に対し、三億四一四八万八九六 五円及びこれに対する昭和五六年五月九日から支払済みまで年六分の割合 による金員を支払え。 (二)(第一審被告明和監査法人が前項の金員の支払いができない場合、公認会 計士法三四条の二二及び商法八〇条一項に基づく社員の責任の履行として) 第一審被告加藤利勝承継人加藤晴男、第一審披告武藤智夫承継人武藤方 子、同武藤百合子、同武藤勝彦、一同千葉明子、同吉村恵美子、第一審被告 浦野文彦、同高尾友三、同長田静雄、同桜井嘉雄、同武田靖夫、同中村孝 は、第一審被告明和監査法人が前項の金員の支払いができない場合、第一 審原告に対し、連帯して、三億四一四八万八九六五円及びこれに対する昭 和五六年五月九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。 (三)(第一審被告明和監査法人に代位してする保険金請求として) 第一審被告東京海上は、第一審原告に対し、二億五〇〇〇万円及びこれ に対する本判決言渡しの日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金 員を支払え。 (四)訴訟費用は第一、二審とも第一審被告らの負担とする。 (五) 仮執行の宣言 三 第一審被告ら(ただし、第一審被告明和監査法人、同東京海上を除く。) 第一審原告の控訴を棄却する。 四 第一審被告東京海上 1 本案前の答弁 (一)原判決中第一審被告東京海上に対する請求を棄却した部分を取り消す。 (二)第一審原告の第一審被告東京海上に対する訴えを却下する. (三)控訴費用は第一審原告の負担とする。 2 本案の答弁 (一)第一蕃原告の控訴を棄却する. (二)控訴費用は第一審原告の負担とする。戻る
第二 事案の概要 別紙「当事者の主張」を付加し、次のとおり付加・訂正・削除するほかは、 原判決事実及び理由の「第二 事案の概要」欄記載のとおりであるから、これ を引用する。 1 原判決一三頁百一〇行目の次に行を改めて、「8 第一審被告東京海上は、 昭和五三年、他の保険会社と共同で、日本公認会計士脇会との間で、公認会 計士が職業上相当な注意を怠ったことに基づく法律上の損害賠償責任につき 被保険者を第一審被告明和監査法人とし、保険金額を二億五〇〇〇万円とす る公認会計士職業賠償責任保険契約を締結した(争いがない.).」を加え る。 2 同二〇頁一〇行目の「有限会社」の前に「資本金二〇〇〇万円の」を加え、 同二一頁八行目の「これを確認」を「定期預金の通帳・証書の実査を」に改 め、同二八頁三行目の次に行を改め、次めとおり加え、同四行目の「(三)」 を「(五)」に改める。 「(三) (内部統制組織の不備と監査との関係) 内部統制組織に不備がある場合には、定期預金の入担の有無という監 査要点の存否にかかわらず、不正発見のため、必ず定期預金通帳・証書 の実査(閲覧)という監査手続が義務付けられるか。 (四) (定期預金の実在性と利用可能性) 定期預金の実在性という監査要点には、通帳・証書が手元にありその 利用が可能であるという利用可能性も含まれるか。」 3 同三一頁一〇行目から三二頁二行目までを削除し、同二行目の「6」、同 三三頁三行目の「7」、同六行目の「8」、同一〇行目の「9」をそれぞれ 「5」、「6」、「7」、「8」に改める.戻る
第三 争点に対する判断
一 本件監査契約の当事者 当事者間に争いのない事実及び証拠(甲第一号証、第三号証、第一二号証、 第一六号証の一ないし四、第六一号証、第一二六号証の一ないし六、乙第一、 第二号証、第三九、第四〇号証、第八五号証の一・二、証人松井由雄、同佐藤 栄太郎、第一審原告代表者へルマン・ムーライ (昭和五九年、同六〇年当時、 以下同じ)、鑑定人山上一夫) によれば、以下の事実が認められる. 1 第一審原告は、ドイツのクルップ・コッパース・ゲー・エム・べー・ハー (変更前の商号・ハインリツヒ・コッパース・ゲー・エム・ベー・ハー、以 下「親会社」という。)が、その子会社として、我が国の法律により設立し た有限会社であり、我が国において、コークス製造設備等の製作、販売等の 業務を行っている. 2 承継前の第一審被告加藤(旧姓高山)利勝は、昭和四七年一〇月、第一審 原告の任意監査を依頼された.その後、監査契約(以下、加藤利勝ないし第 一審被告明和監査法人による第一審原告を被監査会社とする監査契約を「本 件監査契約」という.)は、毎年更新され、加藤利勝が昭和五〇年七月第一 審被告明和監査法人を設立したことに伴い、第一審原告明和監査法人が本件 監査契約に基づく監査人の地位を承継した. 3 欧米では、会社が自社の監査報告書をその株主等に配付して会社の信用を 高めようとする目的で、任意に自社及び子会社・関連会社の監査を受け、連 結財務諸表を作成するなどの例が多く、そのような慣行が定着している国も ある。 4 第一審原告めドイツの親会社は、子会社である第一審原告の監査報告書の 内容自体に利害関係を持っており、自らその監査報告書を利用する目的を有 していた。 加藤利勝に対し昭和四七年一一月七日付けで発行された監査委嘱状(乙第 一、第二号証) は、親会社からのもののみであった. 乙第二号証の委嘱状において、監査報告書の提出期限は、昭和四八年五月 末とされていた.しかし、第一審原告の定時社員総会は、定款上毎年二月に 開催される定めであった.また、第一審原告の納税申告期限は、毎年二月末 であった。 5 第一審原告の定款七条には、第一審原告の社員総会には第一審原告の取締 役が監査人の監査を経た財務諸表を提出すべきものとされており、定款八条 には、第一審原告が監査人を選定するには、第一審原告の社員総会の承認を 要する旨規定されている.加藤利勝は、第一審原告の定款の内容を承知して いた。 6 本件監査契約は、第一審原告の当時の代表取締役であったインゲンホフと 加藤利勝との間でその締結のための交渉がなされた。 監査の内容、報酬額決定等の交渉に、第一審原告の親会社の担当取結役バ ーテルが関与したこともあったが、大部分は第一審原告と第一審被告明和監 査法人との間でなされた。 本件監査契約において、監査報酬は第一審原告が支払うものと定められ、 第一審被告明和監査法人は、監査報酬の請求を第一審原告に対して行い、第 一審原告は、監査報酬をその資金で支払った。 7 加藤利勝の前任監査人であるプライス・ウォーターハウス及びクーパース ・アンド・ライブランドの各公認会計士事務所は、監査報告書の正本を第一 審原告の親会社に送付していた。 しかし、本件監査契約に基づく監査報告書は、当初第一審原告の社長宛に 提出され、その後は、第一審原告の社員に宛てて提出された。 毎年、第一審被告明和監査法人から第一審原告に監査報告書が提出された 後、第一審原告の取締役と第一審被告明和監査法人の加藤利勝は、翌年の監 査の時期と監査報酬について協議し、本件監査契約を更新していた。 8 第一審原告の社員である親会社では、毎年二月に行うべき第一審原告の社 員総会を第一審原告の監査報告書が提出されてから行い、その社員総会議事 録の日付を、実際に開催された社員総会の日付より遡らせて二月に行われた ように記載していた。 9 第一審原告の定款に基づいて昭和四八年及び昭和四九年に開催された第一 審原告の社員総会において、加藤利勝を各翌年度の監査人として選任した旨 の決議をし、その旨が各社員総会議事録に記載されている。 右認定の事実によれば、本件監査の委嘱状は、本件監査契約締結の当初、 第一審原告の親会社が発行したもののみであるが、本件監査の依頼は、ドイ ツの親会社が子会社である第一審原告の事業内容を把握することと第一審原 告がその定款に基づき社員絵会に監査報告書(監査人の監査を経た財務諸表 を提出することの二つの目的を同時に実現するためになされ、本件監査契約 締結の交渉に親会社と第一審原告の双方の役員が関与していたこと、加藤利 勝において第一審原告の定款の内容を承知しており、監査報酬は第一審原告 が負担する約定であったことなどを考慮すると、本件監査契約は、第一審原 告と親会社の双方が依頼者となって締結されたもので、第一審原告も本件監 査契約の契約当事者となっていたものと認めるのが相当である。戻る
二 本件監査契約の内容 当事者間に争いのない事実及び証拠(甲第三号証、第一二六号証の一ないし 六、乙第一、第二号証、第七五号証、証人松井由雄、同佐藤栄太郎、第一審被 告明和監査法人代表者へルマン・ムーライ)によれば、以下の事実が認められ る。 1 第一審原告は、我が国で設立された有限会社であり、昭和四七年度から同 四九年度までは第一審被告明和監査法人の前身の企認会計士加藤利勝個人の 監査を受け、昭和五〇年度以降は同公認会計士の地位を承継した第一審被告 明和監査法人の監査を受けて、昭和五二年度の本件監査に至った。 2 本件監査契約は、任意監査として委嘱された通常の財務諸表監査であり、 契約自体に「不正発見目的」もしくは「不正発見に重点を置く」との特約は なかった。本件監査の依頼の目的は、主として親会社との「連結財務諸表作 成目的(連結決算目的)」であった。 3 本件監査の対象となる財務諸表の範囲は、第一審原告の昭和五二年度の貸 借対照表と損益計算書であり、附属明細書、利益処分案は監査対象となる財 務諸表ではなかった。同年度の貸借対照表には、借入金は存在せず、かつ、 入担資産の項目がなく、入担資産の注記もなかった。 4 昭和五二年度の監査報酬は一三〇万円であった。これは、第一審原告につ いて法定監査を行った場合の報酬額約三〇〇万円に比して著しく定額であっ た。 5 本件監査の第一審原告側の窓口責任者は、第一審原告から長年にわたって 信任された経営者直属の経理部長松井由雄であった。 6 本件監査には、第一審被告明和監査法人の加藤利勝、佐藤栄太郎、中村孝 の各公認会計士、大塚雅明公認会計士補の四名が関与し、昭和五二年一二月 三一日現在の第一審原告の財務諸表について、昭和五三年一月及び二月に監 査を実施して、同年二月二〇日監査を完了し、第一審被告明和監査法人にお いて、同日付で無限定の適正意見を付した監査報告書を作成し第一審原告の 社員宛てに提出した。 7 昭和五二年一二月三一日現在、第一審原告には、次のとおり松井経理部長 の不正行為があったが、第一審被告明和監査法人は、本件監査において、右 不正行為を発見することができなかった。 (一) 三井銀行からの不正借入れ 二億円 (二) 三井銀行に対する定期預金二億〇五〇〇万円の無断担保差入れ (三) 住友銀行からの不正借入れ 二億七〇〇〇万円 (四) 住友銀行に対する定期預金一〇〇〇万円二口の無断解約 (五) 支払手形の不正振出 四億四一〇五万一〇〇〇円戻る
三 定期預金の入担の有無についての監査の要否 証拠(甲第二八、第二九号証、乙第二一、第二二号証、第三〇ないし第三三号 証、第五九ないし第六二号証、第八六ないし第八八号証、第九二号証、第九三 ないし第九五号証、第一六〇号証の二、第一六二ないし第一六四号証の各二、 証人佐藤栄太郎、証人兼鑑定人江村稔、鑑定人山上一夫)によれば、次のとお り認められる。 1 今日の財務諸表監査は、被監査会社の採用している会計処理方法が一般に 公正妥当と認められた会計処理基準に準拠しているか否か、右会計処理方法 に継続性が認められるか否か、財務諸表の表示方法が一般に公正妥当と認め られる基準に準拠しているか否かを検証することによって、被監査会社作成 の財務諸表が被監査会社の財政状態と経営成績を適正に表示しているか否か について、監査人の意見を表明することを目的としている。 2 経済安定本部企業会計制度対策調査会が昭和二四年に制定した企業会計原 則の第三貸借対照表原則一C は、債務の担保に供している資産等企業の財政 状態を判断するために重要な事項は、貸借対照表に注記しなければならない と定めている。しかし、企業会計原則は、証券取引法の適用のある公開会社 の会計(以下「証取会計」という。)向けの監査基準であり、有限会社には 適用されない。 企業会計原則は、公認会計士が、公認会計士法及び証券取引法に基づき財 務諸表の監査をする場合において従わなければならない基準である。昭和二 四年七月九日経済安定本部企業会計制度対策調査会中間報告「企業会計原則 の設定について」によれば、企業会計原則は、企業会計の実務の中に慣習と して発達したもののなかから、一般に公正妥当と認められたところを要約し たものであって、必ずしも法令によって強制されないでも、すべての企業が その会計を処理するにあたって従わなければならない基準であるとされてい る。 このように企業会計原則は、上場企業において適用されることを前提とし ているが、啓蒙的な学理学説を含むものであって、大企業であっても、必ず しも企業会計原則どおり財務諸表を作成しているわけではない.また、企業 会計原則には法令と一致しない点があったので、昭和三七年に企業会計原則 を大幅に取り入れた商法の改正がされたが、商法の計算規定は、いまだ企業 会計原則と矛盾する部分を残していたので、昭和三八年に商法が強行法規で あることを考慮して、企業会計原則を商法の線に歩み寄って一部修正した。 以上によれば、企業会計原則には、法的な拘束力はないものというべきで ある。また、有限会社が企業会計原則に基づいて財務諸表を作成すべきもの とする商慣習の存在することも認められない。 3 証券取引委員会が、証券取引法の委任を受けて、昭和二五年に企業会計原 則を基礎として制定した財務諸表規則(財務諸表等の用語、様式及び作成方 法に関する規則)は、上場会社等が大蔵大臣に提出する財務諸表に係るもの であって、株式の公開された大会社に適用されるものであるから、非公開会 社である有限会社には適用されない。 4 商法三二条二項が総則規定として有限会社に適用されると解しても、資本 金一億円以下の小株式会社よりも更に小規模な有限会社について、株式公開 の大会社に適用される証取会計向けの企業会計原則の全体が、商法の計算書 類規則を越えて、商法三二条二項の「公正ナル会計慣行」であるということ はできない。したがって、企業会計原則は、有限会社については、何ら法的 な拘束力を及ぼさないものである。 5 有限会社法四六条は、商法の計算に関する規定を有限会社に準用している が、これは計算書類の確定、流動資産、固定資産、繰延資産、引当金、準備 金などに限られており、それ以上の準用規定はない. 商法の計算書類規則 ( 株式会社の貸借対照表、損益計算書及び附属明細書 に関する規則)は、株式会社にのみ適用されるものであり、有限会社に直接 適用されるものではない。 6 昭和五二、三年当時、資本金二〇〇〇万円の有限会社であった第一審原告 は、同規模の小株式会社に準じて商法の計算書類規則に従って貸借対照表、 損益計算書を作成すれば十分であった。資本金二〇〇〇万円の有限会社の貸 借対照表に入担資産の注記が記載されていなければ、監査人は、計算書類規 則(改正前の四七条)に従って小株式会社に準じて入担資産の注記を省略し ているものと解してよい。また、本件監査では、附属明細書は監査対象にな っておらず、計算書類規則上の附属明細書の担保明細についても監査する必 要はなかった. 7 本件監査の被監査会社である第一審原告は、前受金の入金があってから下 請代金を支払えば足りるという特殊な業務形態であって、借入金を必要とし ない財務体質(無借金体質)の会社であったことから、会社の財務諸表に借 入金の勘定科目がなく、入担の事実が注記されないのが常態であって、本件 監査において、入担資産の有無は監査要点(監査の立証命題)になっていな かった。 8 大蔵省企業会計審議会が答申した監査基準、監査実施準則、監査報告準則 は、職業的監査人が財務諸表の監査を行うにあたり、遵守すべきものとして 設定されたものであるとされている。監査実施準則による預金の監査手続は、 従来「預金については、預金先からの残高証明書を求め、かつ、証書もしく は通帳を閏覧し、又は、預金先に対して確認を求め、関係帳簿残高と照合す る」とされていたが、平成元年五月の改訂によって、「預金については預金 先に対して確認を行い、関係帳簿残高と照合する」と改められた。 しかし、この監査基準、監査実施準則は、証券取引法に基づく監査(以下 「証取監査」という。)を対象とするものであり、中小企業に対する任意監 査には直接適用されるものではなく、その監査手続の上限を示すものである。 したがって、監査基準、監査準則に盛られた監査に関する一般的な原則が有 限会社に適用されることはあっても、その全体が常に有限会社に機械的に適 用されるものではなく、また、有限会社につき、監査基準、監査実施準則こ 基づき監査を実施する商慣習があるとも認められない。 昭和五二、三年当時、有限会社に対する任意監査において、 監査要点の有無にかかわらず、監査実施準則に記載された監査手続を機械的 に実施すべきものではなかった。本件監査においては、附属明細書が監査の 対象となっていなかったこと及び貸借対照表に入担資産の注記がない以上、 小株式会社に準じて注記が省略されているものとしてよく、入担の有無は監 査要点ではなかつたから、監査実施準則上この点を確かめる監査手続であ る通帳・証書の実査(閲覧)を行う必要はなかった。 以上によれば、本件監査において、入担資産の有無は監査要点ではなかった から、第一審被告明和監査法人は、定期預金の入担の有無について監査する必 要はなかったというべきである。したがって、第一審被告明和監査法人は、本 件監査において、預金残高証明書により預金残高の妥当性、即ち実在性を監査 すれば足り、入担の有無の監査のため定期預金の通帳・証書の実査(閲覧)を 行うべき義務はなかった。 なお、本件監査において定期預金の入担の有無が監査要点でなかったことに ついては、第一審原告も自認するところである。戻る
四 本件監査と不正発見目的との関係 証拠(甲第八八号証、第一三二号証、乙第一五号証、第一七、第一八号証、 乙第七五号証、第七六号証の一・二、第九二号証、第一四四号証、第一四九号 証、第一六〇号証の二、第一六二ないし第一六四号証の各二、証人佐藤栄太郎、 第一審被告明和監査法人代表者へルマン・ムーライ、証人兼鑑定人江村稔、鑑 定人山上一夫)によれば、次のとおり認められる。 1 財務諸表監査においては、監査人は、財務諸表の適否について意見を表明 するものであって、財務諸表の正確性や特定の客観的事実(例えば、役員、 役職者、従業員の不正行為のないこと)の存否を証明するものではない。 2 近代の監査は、財務諸表の適正性または適法性を監査するもので、不正発 見を目的として実施されるものではないから、被監査会社は、従業員の不正 防止の機能を公認会計士に依存することはできない。もちろん、監査の途上 で不正を発見することもありうるが、それは副次的なものにすぎない。不正 行為の発見を特約することはできるが、不正発見を目的とすると、その監査 費用は企業が負担できないほど多額なものとなることがあり、また、それだ けの費用をかけても不正を発見できないという不都合が生ずることがある。 いずれにしても、不正発見目的の合意のない限り、財務諸表監査においては、 使い込み等の不正発見を目的とした監査手続を行う必要はない。 3 本件監査契約においては、不正を発見すべしという特約はなかった。この ことは、本件の監査報酬が約一三〇万円であって、証取監査の標準報酬の半 額以下であったことからも裏付けられる。このように不正発見目的の特約が なかったことに加え、監査報酬が低額であったことから、本件監査は特に不 正発見が期待されている監査ではなかったということができる。 4 昭和五二年当時の我が国の財務諸表監査においては、不正行為の発見の比 重は必ずしも重くなく、昭和四〇年に山陽特殊製鋼倒産事件を契機として監 査実施準則が改訂されたのを受けて、会社経営者について会計上の粉飾の有 無を中心に財務諸表監査が行われており、企業幹部・役職者の財産上の不正 は念頭に置かれていなかった。 我が国の財務諸表監査の実務において、役職者の不正行為などの発見が一 定の比重をもつものと一般に認識されたのは、昭和六二年に経営者・幹部職 員による横領などの不正行為が相次いで発生し、日本公認会計士協会長から 同年二月二八日付の「企業、特に役職者の不正行為等に対し、監査上有効な 対応策について」検討するようにとの諮問がされ、同協会監査第一委員会が 昭和六三年一○月四日付で同委員会報告第五〇号「相対的に危険度の高い財 務諸表項目の監査手続の充実強化について」を答申し、これに連動して、大 蔵省企業会計審議会が平成元年五月十一日に監査実施準則を「財務諸表に重 要な影響を及ぼす不正行為等の発生の可能性に対処するため、相対的に危険 性の高い財務諸表項目に係る監査手続を充実強化する」改訂を行った以降の ことである。 5 本件監査の第一審原告側の窓口責任者松井由雄は、経営者に直属して長年 にわたって経理を任され、信任された経理部長であった。監査手続が右のよ うに強化される前の昭和五二、三年当時、監査人において、被監査会社の信 任された幹部役員である監査窓口責任者が不正行為を行うことを予測して監 査を行うことは要求されていなかった。 以上によれば、昭和五二、三年当時、不正発見目的の特約のない通常の財務 諸表監査において、監査人は、一般に公正妥当と認められた監査基準に従い、 職業的専門家の正当な注意をもって監査を実施すれば足り、監査人が右注意義 務を尽くしていれば、幹部職員、従業員等の不正行為を発見できないまま無限 定の適正意見を表明したとしても、責任を負うことはないというべきである。 なお、監査人が通常実施すべき監査手続を行う過程で結果的に幹部職員、従 業員等の不正行為を発見した場合には、その旨を監査依頼者に指摘・報告すれ ば足りる。戻る
五 内部統制組織の不備と監査の関係 証拠(甲第五八号証、第九三、第九四号証、乙第一六〇号証の二、第一六二 ないし第一六四号証の各二、証人松井由雄、同佐藤栄太郎、第一審被告明和監 査法人代表者へルマン・ムーライ、証人兼鑑定人江村稔、鑑定人山上一夫)に よれば、次のとおり認められる。 1 第一審原告では経理部長の松井由雄が印鑑類、手形小切手帳、通帳、証書、 受取手形のすべてを保管していた。 第一審被告明和監査法人の加藤利勝は、昭和四七年に第一審原告の代表取 締役インゲンホフに対し、代表取締役印の保管及び捺印を改善するよう進言 したが、同人は改善しなかった。 2 昭和五二、三年当時、第一審原告の役員であるムーライとプーライクが松 井経理部長を監督する任務を分担していた。ブーライクは、ケルン大学の商 学部を卒業した営業及び経理担当の取締役であった。ムーライもブーライク も、日本の経済社会における手形や代表者印、銀行取引印の重要性を認識し ていた。しかし、第一審原告では、手形帳、小切手帳、印鑑などを経理部の 金庫に入れて保管しており、松井経理部長は、これらを自由に使用すること ができた。 会計帳簿は、英文で、しかもドイツで作成される様式に従って作成されて いた。ブーライクは、帳簿やファイル類をよくみていた。ムーライの事務机 にも銀行からの当座勘定照合表が提出された。しかし、ムーライは、これを 経理事務のチェックのために使用したことはなかった。 3 本件監査の第一審原告側の窓口責任者は、前認定のとおり、経営者に直属 する経理部長の松井由雄であった。同人は第一審原告から長年にわたって信 任され、経理事務を任されていた。経理事務の補助者として鈴木歌子がいた が、二人の間には何らの牽制関係も設定されていなかった。 4 右のとおり、第一審原告は小規模会社であり、その内部統制組織は必ずし も十分ではなかった。第一審被告明和監査法人は、本件監査において、第一 審原告の経理部長松井由雄の周辺の内部統制不備部分について、「期末の預 金残高をすべて確かめる」、「当座勘定照合表に異常な動きがないか通覧す る」という慎重な監査計画を立て、監査を実施したが、異常は確認されなか った. 5 被監査会社の内部統制組織が不備であるというだけでは、従業員、幹部職 員の不正行為の発見を直接の目的として監査を実施すべきであるとまではい えない.監査人は、被監査会社の内部統制組織が不備な場合にも、通常実施 すべき監査手続を行う過程で当該不備部分に関連する現金・預金の期中の動 きや期末の帳簿残高の信頼性を確かめれば足り、不正発見目的の特約がない のに、内部統制組織の不備な部分に不正のないことを確かめることを監査要 点とし、不正のないことを調べる監査手続を行うことは、監査人に義務づけ られていない. 6 内部統制組織の不備部分に関連して、期中の動きや期末の帳簿残高の信頼 性を把握するための監査手続は、特定の監査手続としてその内容が一義的に 定まるものではなく、被監査会社の状況に応じて相当の配慮をした監査手続 が実施され、大局的な信頼性が確かめられれば足りる。 即ち、内部統制組織に不備があるからといって、監査要点と関孫なく、特 定の監査手続として、通帳・証書の実査(閲覧)だけは行うべきであるとい うことにはならない。 また、財務諸表監査は不正発見を目的とするものではないから、監査人は、 内部統制に不備があることを理由として、監査要点がないのに、監査実施準 則に機械的に従つて通帳・証書の実査(閲覧)するよう義務づけられるもの でもない。
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