損害賠償請求控訴事件

            −−−続き−−−
六 定期預金の実在性と利用可能性
 証拠(甲第五九号証、乙第一一一号、第一四五号証、第一六〇号証の二、第
一六一号証、第一六二ないし第一六四号証の各二、証人兼鑑定人江村稔、鑑定
人山上一夫)によれば、次のとおり認められる。
1  定期預金の実在性という監査要点には通帳・証書が手元にあってその利用
 が可能であるという利用可能性は含まれていない。定期預金の実在性の検証
 とは、定期預金が期末の帳簿残高もしくは貸借対照表の計上金額どおりに存
 在しているかどうかを確かめるための監査手続である。預金は、預金者が銀
 行等の金融機関に対して保有している金銭債権であるから、その実在性は、
 通帳・証書が手元に実在しているかどうかよりも、債権金額どおりに預金債
 権が存在しているかどうかが重視される。
2  監査論において、預金が実際に利用可能であるかどうかを確かめるとされ
 るのは、預金を担保として差し入れているかどうかとの関連においてのみで
 ある。預金を担保に差し入れることによって、自らその利用可能性を一時的
 にせよ失うことになったときにのみ、利用可能性を失ったとして入担資産の
 注記による開示を行えば足りる。
3  アメリカでは「即時使用及び用途につき制限のある現金(手許現金のみで
 なく、銀行にある現金としての当座預金を含む。)については妥当な記述を
 行うか、又は、流動資産から除外する」(アメリカ公認会計士脇会・会計調
 査研究第七号)といった会計慣行が確立しているが、我が国では、会計監査
 の担当者は、預金の実在性の検証としては、預金通帳もしくは証書が手元に
 実在し、その意味で即時支払に充当できるかどうかの検討までは要求されて
 いない.           
4  入担資産の注記による開示が監査要点となる場合(本件監査では定期預金
 の入担の有無は監査要点となっていなかった。)は、預金を担保に入れてい
 る事実があったとき、監査人は、この点をチェックし、入担の事実について
 正しい開示が行われているかどうかを調査・検討すれば足りる。
  印鑑押捺のうえ通帳や証書の占有を移転する、あるいは通帳・証書を相手
 方に渡し預金受預の代理権を与えるなどの方法で実質上担保に入れたり、譲
 渡することが可能であるという実質的な観点から定期預金の実在性の有無に
 ついて検討し確認することは必要でない。
5  前記のとおり、我が国の監査実施準則による預金の監査手続は、従来「預
 金については、預金先からの残高証明書を求め、かつ、証書もしくは通帳を
 閲覧し、又は、預金先に対して確認を求め、関係帳簿残高と照合する」とさ
 れていたが、平成元年五月の改訂によって、「預金については預金先に対し
 て確認を行い、関係帳簿残高と照合する」と改められた。
 右によれば、昭和五二、三年当時は、監査実施準則上、預金の監査手続と
 して「確認」と「残高証明書の入手と通帳・証書の閲覧」のどちらかを選択
 できるものとされていた。そこで、「確認」が選択され、銀行から預金残高
 を確認する確認状が発行された場合には、通帳・証書の閲覧の手続を行う必
 要はなかった.したがって、当時の監査実施準則では、「通帳・証書の閲覧」
 の監査手続は、必ず実施しなければならない監査手続として義務づけられて
 いなかったものであり、通帳・証書が手元にあることによる実質的な利用可
 能性は、監査において検討対象となっていなかったものである。
  監査実施準則は、前記のとおり、平成元年に、当時役職者の不正が多発し
 たことを受けて、不正発見のための監査手続を強化するため改訂され、預金
 の監査手続は、「通帳・証書の閲覧」が削除され、実施されるべき監査手続
 は「確認」のみとなった。新準則は、預金の実在性を確かめるため、監査人
 が直接預金先に対して確認することを定め、確認の際、借入金の担保となっ
 ている預金の種類・金額についても回答を要求すれば、預金証書又は通帳の
 閲覧は不必要となるので、削除されたものである。
  以上のとおり、証取監査を対象とする監査実施準則ですら、定期預金の実
 在性の監査手続としては、通帳・証書が手元にあって実質的にその利用が可
 能であるという利用可能性を確かめることを義務づけたことはなかったし、
 そのための監査手続として、通帳・証書の実査(閲覧)を義務づけてはいな
 かった。換言すれば、従来、預金の監査手続において、通帳・証書の閲覧が
 必要とされてきたのは、預金を担保に入れて借入れをしていないかどうかを
 確かめるためであったのである。
6  昭和五六年に発表された日本公認会計士協会監査第一委員会による「監査
 マニュアル」においても、「預金の実在性の検証の観点からは、通帳・証書
 の実査の必要はない」と解説されており、定期預金の実在性の中に通帳・証
 書が手元にあって実質的な利用可能性があることは含まれていないことが明
 らかにされている。
7  我が国の貸借対照表においては、流動資産中の現金・預金の科目にあげら
 れる債権は、一年以内に弁済期が到来するいわゆるワンイヤー・ルールに適
 合する債権であればよく、預金の拘束性に関して、この他に表示すべき財務
 情報は、担保注記のみであり、通帳・証書が手元にあって支払手段として実
 質的に利用可能であることまでは要求されていない。
  したがって、我が国では、監査人は、一年以内に弁済期が到来する預金債
 権であって銀行が残高を認め法的に存在することを確かめることができれば
 十分であり、通帳・証書が手元にあって実質的に利用可能であり即時支払に
 充足できることまでを確かめることは、貸借対照表の表示内容として監査人
 に義務づけられていない。
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七 定期預金の残高証明書の直接入手義務の有無
  第一審被告明和監査法人が、本件監査にあたり、第一審原告の取引銀行から
 直接定期預金の残高証明書を入手せず、第一審原告が銀行から入手していた定
 期預金の残高証明書を使用したことは、当事者間に争いがない。
  監査人が監査に際し、残高証明書を直接入手すべきか否かについては両説あ
 りうる。しかしながら、証拠(甲第九号証の三、乙第一四四、第一四五号証、
 第一六二、第一六三号証の各二)によれば、前記のとおり、昭和五二、三年当
 時は、証取監査を対象とする監査実施準則においてさえ、「預金については、
 預金先からの残高証明書を求め、かつ、証書もしくは通帳を閲覧し、又は、預
 金先に対して確認を行い、関係帳簿残高と照合する。」と定められ、預金の実
 在性を確かめるためには、「残高証明書の入手と通帳・証書の閲覧」と「確認
 のいずれかの手続を選択すればよいとされていた。この「残高証明書の入手」
 と「確認」の違いについては、平成元年における監査実施準則の改訂の際の従
 前の監査手続の説明において、「会社が預金先から入手した残高証明書の提出
 を求め、それを用いて関係帳簿残高と照合し、あわせて預金証書もしくは通帳
 を閲覧する。監査人が、直接、預金先に対して確認を行い、その回答書と関係
 帳簿残高と照合する。」と説明され、残高証明書は会社が入手したものを利用
 することとされていた。
  監査人が、直接、預金先に対し確認を行うことが定められたのは、役職者に
 よる不正行為に対する対応策が検討され、昭和六三年一〇月、監査第一委員会
 報告五〇号(乙第一四四号証)として発表され、更に平成元年五月、監査実施
 準則の改定(乙第一四五号証)が行われた以後のことである。
  したがって、昭和五二、三年当時、監査人は、定期預金の残高証明書につい
 て、被監査会社が銀行から発行してもらって用意していたものを利用すれば足
 り、監査人に残高証明書の直接入手義務はなかった.
  なお、本件監査に使用された定期預金の残高証明書は、いずれも銀行によっ
 て真正に発行されたものであって、偽造されたものではなかったから、第一審
 被告明和監査法人が残高証明書を直接入手したか否かは、松井経理部長の銀行
 からの無断借入れ等の不正行為の発見に結びつかなかった。
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八 定期預金通帳の不存在等と第一審被告明和監査法人の注意義務違反の有無
  当事者間に争いのない事実、前認定の事実及び証拠(甲第二号証の一・二・
 一六・四八・四九、第三号証、第八号証、第一三号証、第九三ないし第九五号
 証、第一〇二ないし第一二五号証、乙第七一号証の一・二、第二〇三、第二〇
 四号証の各一、証人松井由雄、同佐藤栄太郎、同大塚雅明、第一審被告明和監
 査法人代表者へルマン・ムーライ、鑑定人山上一夫)によれば、以下の事実が
 認められる。
1 第一審原告は、第一審被告明和監査法人が監査を引き継ぐ以前から毎年任
 意監査を受け、内部統制の不備等を理由に監査意見差し控えとなったことは
 なかった。本件監査は、任意監査として委嘱された通常の財務諸表監査であ
 り、主として第一審原告の親会社との連結財務諸表の作成を目的としたもの
 で、不正発見目的の特約はなかった。
  昭和五二年度の監査報酬は、一三〇万円であり、法定監査を行った場合の
 報酬額約三〇〇万円に比して著しく低額であった。
2 本件監査の対象である財務諸表の範囲は、貸借対照表、損益計算書であり、
 附属明細書、利益処分案は監査対象ではなかった。昭和五二年度の貸借対照
 表には、借入金は存在せず、入担資産の項目と注記は存在しなかった。
  なお、監査実施準則の定める借入金の調査は、貸借対照表及び会計帳簿に
 借入金の勘定残高が存在する場合のその額の当否を確認する手続であって、
 簿外借入金の存否の確認手続ではない。第丁審被告明和監査法人は、第一審
 原告が無借金体質の企業であり、昭和四七年度以降無借金経営を続けており、
 昭和五二年度の貸借対照表及び会計帳簿にも借入金の計上がされておらず、
 借入金の調査をする必要がなかったことから、第一審原告の取引銀行に対し、
 監査実施準則に基づく借入金残高の調査をしなかった。
3 第一審原告は、第一審被告明和監査法人が監査を担当する以前から、代表
 者印、銀行取引印、約束手形等の保管を松井経理部長に委ねており、手形・
 小切手の振出、銀行取引全般を同部長が行っていた。
  本件監査の第一審原告側の窓口責任者は、同社から長年にわたって信任さ
 れた経営者直属の松井経理部長であった。
4 松井経理部長は、自己が3の立場にあることを奇貨として、昭和五二年一
 二月三一日までに、次の不正行為を行っていたが、秀一審被告明和監査法人
 は、本件監査において、この事実を発見することができなかった。
 (一)三井銀行からの不正借入れ 二億円
 (二)三井銀行に射する定期預金二億〇五〇〇万円の無断担保差入れ
 (三)住友銀行からの不正借入れ 二臆七〇〇〇万円(預金担保なし)
 (四)住友銀行に対する定期預金一〇〇〇万円二口の無断解約(ただし、直後
   に組み戻しがなされた。)
 (五)支払手形の不正振出 四億四一〇五万一〇〇〇円(簿外処理)
5 松井経理部長は、右不正行為について、次のような隠蔽・偽装工作をして
 いた。
 (一)4のすべての不正行為を元帳その他の会計記録に一切反映させることな
  く完全に帳簿外で処理していた。
 (二)期末のすべての銀行預金の残高を正規の残高と一致させていた。
 (三)4の不正行為がなされると、銀行から定期的に送付される当座勘定照合
 表に異常な動きが記載されるので、その発覚を免れるため、三井銀行、住
 友銀行等の当座勘定照合表の本紙を印刷業者に本物そっくりに印刷させ、
 全く同一のタイプライターを用意して印字まで一致させて、不正手形振出
 不正借入れその他の不正行為の動きをすべて除外した正規の当座取引のみ
 を記入した当座勘定照合表を偽造した。
  (四)住友銀行の定期預金の無断解約については、銀行に対しては通帳を紛失
 したと装って解約し、直後に組み戻すという隠蔽工作をして、所持してい
 た通帳に解約の記帳を免れた上、監査人に解約の記帳されていない右通帳
 を提示して、不正を隠蔽した。
 (五)三井銀行の定期預金の通帳については、次のとおり、「満期書換えのた
 め通帳が手元にない」旨の弁解をして、第一審被告明和監査法人の大塚公
 認会計士補を欺罔した。
    (1)大塚会計士補は、定期預金について、ワンイヤー・ルールの確認のた
    め、満期日を調べようと元帳を見たが、銀行の定期預金についての満期
    日がすべて記載されていなかった。そこで、同会計士補は、通帳・証書
    を閲覧して満期日を確かめることとし、松井経理部長に定期預金の通帳
    ・証書の提出を求めたところ、三井銀行目比谷支店の通帳が会社になく
    提出されなかった。松井経理部長は、同銀行の定期預金の中に、監査当
    日(昭和五三年一月三〇日・月曜日)の直前の営業日(同月二七日・金
    曜日)に満期の到来するものがあったことを奇貨として、「満期のため
    通帳を書換えに出した」と同会計士補に虚偽の説明をした。
     (2)大塚会計士補が、松井経理部長に三井銀行日比谷支店の定期預金通帳
     を取り寄せるよう求めたところ、同部長は、銀行に行って通帳を貸し出
   すよう求めたが、貸出を断られた。同部長は、国会計士補に対し、通帳
   を預かっている得意先係の担当者が病気で休んでいると虚偽の説明をし、
   三井銀行から定期預金の満期日等を確かめる資料として発行を受けた、
   同行の用箋に同行の印が押捺された「定期預金の預り明細書」を同会計
   士補に提出した。右「定期預金の預り明細書」には右満期の到来する定
   期預金が記載されており、定期預金について「人担」の記載はなかった。
6  松井経理部長は、本件監査の終了した直後の昭和五三年三月から、それま
 で行ってきた隠蔽・偽装工作を続けることを放棄した。したがって、第一審
 原告の取締役が当座勘定照合表や元帳とマンスリー・レポートを見るなど通
 常の監督をしていれば、少なくとも、同年四月頃には、松井経理部長の不正
 行為を発見することが可能な状況になった.
7  第一審被告明和監査法人は、本件監査において、定期預金監査の立証命題
 である監査要点として、(1)預金勘定残高の妥当性(実在牲)、(2)ワンイヤー
 ・ルールに従った流動資産と固定資産の区分の適正性をあげた上、大塚会計
 士補が佐藤公認会計士の指示を受けながら、第一審原告の内部統制の不備部
 分について、次のとおり慎重な監査を実施した。
 (一)松井経理部長に印鑑や手形・小切手帳等の保管が任されていたので、銀
   行預金の期末残高の検証を重視し、預金の期末残高という監査要点に対し
   て、すべての頚金□座について、銀行発行の期末日残高の残高証明書によ
   って預金の期末残高を照合するという監査計画を立て、監査手続を実施し
   たが、異常は認められなかった。
 (二)不正が行われれば、必ず当座預金口座に異常な動きが出るため、第一審原
    告の収益のうち大きなウェートを占めていた受取利息の当座預金口座への
    入金額をチェックするため、当座勘定照合表を見る監査手続をするにあた
    り、当該決算年度中のすべての銀行の当座勘定照合表の本紙を通覧する監
    査計画を立て、その監査手続を実施した。しかし、松井経理部長の「当座
    勘定照合表の精巧な偽造」という隠蔽工作のため、当座勘定照合表の本紙
    上、異常な動きを発見することができなかった。
     なお、偽造された当座勤定照合表にタイプミスした部分があり、大塚会
    計士補は、照合表と元帳の記載の齟齬する点に気付いたが、松井経理部長
    は、言い逃れをして切り抜けた。
 8  第一審被告明和監査法人の大塚会計士補は、右のような慎重な監査をして
  も異常が認められなかったため、定期預金の監査を終了し、以上認定の諸事
  情から、三井銀行の定期預金通帳が会社に存在しなかったことに関し、松井
  経理部長に不正が存するとの疑念を持たなかった。
  そこで、本件に現れた全事情を総合して、第一審被告明和監査法人に、三井
 銀行日比谷支店の定期預金通帳の不存在等について、松井経理部長に不正が存
 するとの疑念を持つべきであったのにこれを怠ったという注意義務違反がある
 か否かについて検討する。
  証拠(甲第三号証、第九号証の三、乙第一六〇号証の二、第一六二ないし第
 一六四号証の各二、証人兼鑑定人江村稔、鑑定人山上一夫)によれば、次のと
 おり認められる。
1  本件監査契約においては、定期預金について入担の有無という監査要点は
 存在せず、第一審被告明和監査法人は、通帳を実査(閲覧)する義務も必要
 もなかった。
2  監査論上、財務諸表監査は、不正発見を目的として実施されるものではな
 い。しかも、本件監査契約には不正を発見すべしという特約はなかった。こ
 のことは、本件の監査報酬が一三〇万円であって、証取監査の標準報酬の半
 額以下であったことからも裏付けられる。このように不正発見目的の特約が
 なかったことに加え、監査報酬が低額であったことからして、本件監査は特
 に不正発見が期待されている監査ではなかった。
3  大塚会計士補は、定期預金の表示の妥当性という監査要点に係るワンイヤ
 ー・ルールに関して、定期預金の満期日を確かめるため、第一審原告の手元
 にあった通帳・証書の閲覧を行ったところ、三井銀行日比谷支店の定期預金
 の通帳がなかった。これに対し、第一審原告側の監査の窓口責任者である松
 井経理部長は、大塚会計士補に対し、定期預金の通帳が手元にない理由につ
 いて、「満期のため通帳を銀行に書換えに預けている」という日常しばしば
 みられる十分説得力のある説明をした。
4  松井経理部長は、第一審原告の経営者に直属して長年経理を任され信任さ
 れた幹部職員で本件監査の窓口責任者であった。第一審被告明和監査法人は、
 昭和五二、三年当時、このような被監査会社の窓口責任者で会社に信任され
 た幹部職員が不正行為を行うことを予測して監査を行う義務はなかった。
5  監査の直前に満期日の到来する三井銀行の定期預金が、元帳上に記載され
 ていた。監査人において信頼しうる監査窓口責任者である松井経理部長が、
 大塚会計士捕に村し、元帳という客観的証拠に裏付けられた日常的で納得性
 のある説明をしたので、同会計士補としては、定期預金の通帳が会社の手元
 になかったことについて、全く疑念を持ちようがなかった。
6  被監査会社である第一審原告は、当期末に限らず毎期借入金残高がなく、
 借金を全く必要としない体質(無借金体質)の会社であった。したがって、
 大塚会計士補が、定期預金の通帳が会社になかったことを理由に、これを担
 保差入れに結び付けることは、信頼すべき監査の窓口責任者であり、かつ、
 元帳により客観的に裏付けられた日常的な納得性のある説明をしている松井
 経理部長に対して不正の疑念を持つということにほかならず、当時の状況か
 らして同部長の担保差入れを疑うことは同会計士補の思い及ばないことであ
 った.
7  第一審被告明和監査法人は、松井経理部長の周辺に存する内部統制の不備
 部分に関し、慎重に配慮する監査計画を立て、期末の預金残高をすべて確か
 め、期中の動きについては異常な動きがあるか否かを当座勘定照合表を通覧
 して確かめるという監査手続を行った。ところが、松井経理部長は、期末の
 残高合わせや銀行から送付される当座勘定照合表の本紙を極めて精巧に偽造
 するという我が国の監査人がそれまで経験したことがなく、我が国の監査の
 歴史上、初めてなされた偽装工作によって不正行為を隠蔽していたため、大
 塚会計士補は、当座勘定照合表の通覧によって期中に異常な動きが出ること
 を確かめることができなかった。
8  また、松井経理部長は、大塚会計士補に対し、通帳の代わりに三井銀行発
 行の定期預金の預り明細書を提出した。その明細書には、定期預金の入担の
 事実の記載はなく、しかも、その満期日の記載から元帳に記載されていた定
 期預金は直前に満期の到来するものであることが確かめられたため、大塚会
 計士補は、ワンイヤー・ルールの調査を終え、定期預金の監査手続を完了し
 た。
9  このように本件監査では、第一審被告明和監査法人において、慎重な監査
 計画により内部統制不備部分について監査を実施した結果、不正行為に通ず
 る異常が見当たらなかった。このような状況の下で、信頼しうる監査窓口責
 任者である松井経理部長が、元帳という客観的な根拠に基づき説得力のある
 説明をしているのに対し、大塚会計士補が同部長に対し不正の疑念を持つべ
 きであるという注意義務は生じようがなかった。
10 第一審原告の貸借対照表には借入金の勘定残高は存しないから、第一審被
  告明和監査法人において、監査実施準則11(1)に規定する借入先からの残高証
 明書の徴求、確認・照合等の手続を履践する義務はなかった。
  以上によれば、本件監査の行われた時期(昭和五三年一月及び二月)、本件
 監査の性質・内容、被監査会社の種類・規模・財務体質(無借金体質)、監査
 対象となる財務諸表の範囲、監査の立証命題としての監査要点の内容等本件監
 査の特珠性及び本件監査前後の監査実施準則等改訂の経過を考慮すると、第一
 審被告明和監査法人が、本件監査における定期預金監査の監査要点を定期預金
 の期末残高の妥当性の検討とワンイヤー・ルールによる定期預金の流動資産・
 固定資産区分の妥当性であるとし、入担の有無の確認を監査要点としないで三
 井銀行の定期預金通帳の実査(閲覧)を行わなかったことは、監査手続上何ら
 違法の問題を生じない。
  そして、本件に現れた全事情を総合すると、第一審被告明和監査法人は、本
 件監査において、昭和五二、三年当時、一般に公正妥当と認められた監査基準
 に準拠し、職業的専門家としての正当な注意をもって監査手続を実施したとい
 うことができ、三井銀行の定期預金通帳が第一審原告に存在しなかったこと等
 に関し、これを松井経理部長の不正に結び付けて追及すべき疑念を持たなかっ
 たことにつき注意義務違反(過失)はないというべきである。
  したがって、第一審被告明和監査法人は、本件監査において、松井経理部長
 の不正行為を発見できないまま無限定の適正意見を表明したことについて、本
 件監査契約上、債務不履行の責任を負わない。
  以上、三ないし八についての認定・判断に反する甲第一三三号証・第一三八
 号証・第一四三号証・第一七八号証の各二、第一九六号証、証人内藤昇、同守
 永誠治の各証言、鑑定(鑑定人志賀康一)の結果は、前認定の本件監査の行わ
 れた時期(昭和五三年一月及び二月)、本件監査の性質・内容、被監査会社の
 種類・規模・財務体質(無借金体質)、監査対象となる財務諸表の範囲、監査
 要点の内容等本件監査の特珠性並びに前掲各証拠に照らすと、小規模会社であ
 る有限会社の任意監査につき、企業会計原則、監査基準、監査実施準則、監査
 報告準則、アメリカの会計慣行等に基づいて必要以上に厳格な監査手続を要求
 するものであり、また、本件監査においては、入担資産の有無は監査要点では
 なく(第一審原告もこれを認めるに至った。)、定期預金の入担の有無につい
 て監査する必要はないというべきであるところ、右各証拠はその前提を異にす
 るものであって、採用することができない。
  したがって、その余の点について判断するまでもなく、第一審原告の第一審
 被告明和監査法人に対する本件監査契約における債務不履行に基づく損害賠償
  請求は理由がない。
戻る
九 第一審被告明和監査法人の社員(承継人を含む。)に対する請求
  第一審原告の第一審被告明和監査法人の社員(承継人を含む。)に対する各
 請求は、第一審原告の第一審被告明和監査法人に対する本件監査契約における
 債務不履行に基づく損害賠償請求権が存在することを前提とするものであるか
 ら、右損害賠償請求権が存在しない以上、その余の点について判断するまでも
 なく、理由がない。
戻る
一〇 第一審被告東京海上に対する請求
  第一審原告の第一審被告東京海上に対する請求は、第一審原告の第一審被告
 明和監査法人に対する本件監査契的における債務不履行に基づく損害賠償請求
 権が存在することを前提とし、同被告に代位して保険金を請求するものである
 ところ、右損害賠償請求権は存在しないから、第一審原告の第一審被告東京海
 上に対する代位訴訟は、被保全権利が存在せず、代位の要件を欠き、したがっ
 て、当事者適格を欠くことが明らかである。よって、右訴えは不適法である。
戻る
十一 結論
  したがって、第一審原告の本件各請求のうち、第一審被告東京海上を除くそ
 の余の第一審被告に対する請求はいずれも理由がなく、第一審被告東京海上に
 対する請求は不適法であるから、原判決中第一審被告明和監査法人に対する請
 求を一部認容した部分は不当であるが、同被告に対するその令の請求を棄却し
 た部分、第一審被告明和監査法人の社員(承継人を含む。)に対する請求を棄
 却した部分は相当であり、第一審被告東京海上に対する請求を棄却した部分は
 不当である。
  よって、第一審被告明和監査法人の控訴に基づき原判決中同被告敗訴部分を
 取り消して、第一審原告の同被告に対する請求を棄却し、第一審原告の控訴に
 基づき原判決中第一審被告東京海上に関する部分を取り消し、同被告に係る訴
 えを却下することとし、第一審原告のその余の控訴を棄却することとし、訴訟                                                                                                  ニ〓 ニ〓ロ
 費用の負担について民訴法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり
 判決する。
  東京高等裁判所第一六民事部

      裁判長裁判官  時 岡   泰

         裁判官  河 野 信 夫
                                        
         裁判官  小 野   剛

[up net on 97/3/28]

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藤野正純(Fujino Tadazumi)
御質問は, fujino@mbox.kyoto-inet.or.jpまで御願いします.