滋賀の湖北の真宗大谷派のお寺
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『あいさつは南無阿弥陀仏』
2001年の世相を表す漢字が「戦」でありましたように、その年は、アメリカの同時多発テロやアフガン空爆など世界で戦争が勃発したほか、国内でもリストラ、失業、狂牛病などと生活面でも「戦う」年でありました。
ちなみに2位は「狂」、3位は「乱」で、まさしく混迷する時代を表しておりますが、意外と「戦い」、「狂い」、「乱れ」ているのは私たちなのだという反省の言葉が同時に聞こえてこないのは、本当に人間というのは自分の姿がなかなか見えてこないものだと感じさせられたことであります。
さて、その年の十二月の新聞に、「父の死で今日から僕は仏教徒」という川柳が載っておりました。
この川柳の作者は、お父さんの葬儀に出遇って、我が家は仏教で○○宗であったことに気付かれたようです。しかし実際のところは、よく海外旅行の時に、「あなたの宗教は何ですか」という問いに、「無宗教です」と答えて不思議な顔をされたという話のように、ほとんどの壮年、若年層は無宗教であり、そのことになんの疑問も感じていないようであります。
しかしながら、昨今の世論調査でもわかりますように、日本人の三人に二人が「日ごろの生活で不安や悩みを感じている」といいます。また同時に、今のままの私たちのあり方ではいけない事を感じてきているのも事実でありましよう。
人間とは、深刻な不安や悩みを抱える立場に置かれてくると、自然と人を求め、いままで振り向きもしなかった周りにいるさまざまな人たちに眼がむき、不思議とそのつながりが見えてくるようであります。その大切なつながりを切るがごとき欲望追求の私たちのあり方にブレーキをかけるのが、仏教の役割でありましょう。
先進国のドイツはついに脱原発を表明したといいます。
浄土を求め、そして浄土から求められ、この濁り世を仏法領として生きる。
はじまりはいつも『あいさつは南無阿弥陀仏』であります。
(かむろ)
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