大内氏
(周防)本拠:高嶺城
Update 00/02/16
祖は日本に帰化した百済の王子聖琳太子といわれるが、明らかではない。後白河法皇の院政期に周防の国庁目代藤原季助の元に、豪族多々良大内介弘盛の名が見られるのが初めであり、南北朝期に大内弘幸が足利尊氏から周防守護に任じられ、その子弘世が勢力を広げて防・長・石の守護を兼ねるようになる。日明貿易の総元締めとして多くの富を築き、山口の街は”西の京都”と呼ばれるまでに発展した。
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義興
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義隆
┰晴持
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義長
┃ ┃ ┗義尊
┃ ┗弘興━貞盛
┗隆弘━
輝弘
━武弘
陶 興房
陶 隆房
陶 長房
陶 隆康
毛利氏
内藤興盛
内藤隆春
内藤元盛
内藤隆世
杉 重矩
杉 重良
杉 興運
問田隆盛
相良武任
冷泉隆豊
黒川隆像
岡部隆景
仁保隆慰
青景隆著
右田隆量
椙杜隆康
天野隆良
天野隆重
弘中隆兼
江良房栄
益田藤兼
笠井正盛
吉見正頼
(陶 隆房→陶 晴賢)
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