十河一存(そごう かずなが) ????〜1561 
○三好氏 又四郎 長正 之虎 左衛門督 讃岐守 民部大輔
◇父:
三好元長 養父:十河景滋(存春) 室:九条稙通女 子:三好義継、十河存之 養子:十河存保
 十河氏は元々讃岐の豪族だが、十河景滋の子・金光が早世したため、阿波・三好氏一族の一存が入嗣。讃岐・十河城主。讃岐・池内城主寒川元政との戦いにおいて、負傷した左腕に塩をすりこみ平然と戦闘を続け、勝利を得たことから、“鬼十河”“夜叉十河”と勇猛をうたわれた。畿内の各戦いにおいても、一存は兄らを凌ぐ働きをして勲功を重ね、三好氏の勢力拡大に貢献したが、瘧を病んで有馬温泉への湯治途中、落馬して急死したという。なお、月代を広く、四角く剃り込む一存の独特の髪型は“十河額”と呼ばれた。
十河存英(そごう ながひで) 1575〜1615
○孫二郎 惣次大夫
◇父:
十河存保 子:十河長保
 1歳の時、父が戦死して十河家は改易となり、存英は浪人する。1614年、再起を賭け、豊臣秀頼に味方し、大坂城入城。夏の陣で摂津・尼崎に出撃するが戦死した。
十河存保(そごう ながやす) 1554〜1576
○三好氏 孫六郎 隼人正 河内守 民部大輔
◇父:三好義賢 養父:
十河一存 子:十河存英
 養父一存急死により家督を嗣ぐ。土佐・長宗我部氏に領地を侵され、織田信長を頼るが、信長の死により四国から逐い出された。後、羽柴秀吉に従い、1585年の四国征伐で再び讃岐3万石の大名に返り咲く。しかし、1586年九州征伐前哨戦である戸次川の戦いで、軍監仙石秀久の無謀な作戦に従って、島津氏の謀略に嵌り戦死。
曽根昌世(そね まさただ) ????〜???? 
○孫次郎 右近助 内匠助 下野守
 甲斐源氏流。甲斐・武田氏軍目付。相模・三増峠の戦いでは退却中の殿
浅利信種が戦死して浮き足だった軍を、よくまとめて戦った。後に駿河・興国寺城主となる。武田氏滅亡後は徳川氏に仕えた。
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