深水頼方(ふかみ よりかた) ????〜1590
○長智 宗芳 三河守
◇父:深水信濃守頼兼?
 肥後・相良氏の奉行を務めた重臣。双璧の
犬童頼安が軍事面、頼方が政治面を支えて相良氏存続に尽力した。豊臣秀吉の九州出征の際には、先導を務めて相良氏安堵の保証を得、幼主頼房を支えた。
福留親政(ふくとめ ちかまさ) ????〜1577 
○儀実 隼人 飛騨守
◇父:福留蔵人房吉? 子:
福留儀重
 土佐・長宗我部氏臣。当主元親から「親」の字を受け親政と名乗る。家中随一の猛将といわれ、その武功に対し21回の感状を受けたという。伊予攻略戦に出陣し戦死した。元親嫡子信親の傅役を務めている。
福留儀重(ふくとめ よししげ) 1549〜1586 
○善助 隼人
◇父:
福留親政 子:福留半右衛門政親
 土佐・長宗我部氏臣。勇猛で知られた将であり、四国統一に貢献したが、豊後・戸次川の戦いにおいて戦死した。当主元親が禁酒令を出した際に、元親がこっそり運び入れさせた酒樽を見咎めて、これを叩き割って諫め、禁酒令を撤回させた。
福原貞俊(ふくばら さだとし) ????〜???? 
○弥五郎 内蔵人 左近允 出羽守 上総守
◇父:福原式部大輔広俊 子:福原元俊
 福原氏は毛利氏が大江氏であった頃から仕えていた重臣。誠実な人柄で上下の信頼厚く家中で重きをおかれた。主に山陽方面にて
小早川隆景を助けて、毛利氏発展に尽くした。
藤田信吉(ふじた のぶよし) 1559〜1616 
○弥六郎 重信 源心 能登守
◇父:藤田康邦 兄:用土弥八郎重連
 上野・沼田城代にて甲斐・武田氏臣。しかし、武田氏滅亡後は越後・上杉氏に仕え越後・長島城主となる。1584年佐渡を制圧。1598年大森城主。関ヶ原の合戦時、上杉、徳川間の調停工作に失敗、剃髪して京の大徳寺に入った。その後、徳川家康に仕え下野に1万5千石を得るが、大坂夏の陣で榊原康勝軍の失策を責められて改易。翌年信濃・奈良井で没。自殺とも。

不破光治(ふわ みつはる) ????〜1580 
○彦三 太郎左衛門尉 河内守
◇父:不破通直 子:不破彦三直光、彦五郎
 早くから美濃・土岐氏に仕え、後、尾張・織田氏家臣となる。越前攻略に功あって柴田勝家与力となり越前府中を領有、“
府中三人衆”の1人となる。
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