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写真日記 びんちゃんの隠し部屋
Column




1    阪神淡路大震災10年目の今日
震災後十年目にしてはじめて神戸自分の無知さを知りました。当時、実家の大阪であの地震を経験し妹や主人の妹さんが被災したのにもかかわらず自分の身内が無事だったのをいい事にどこか他人事のように考えていた事に気がつきました。
十年経った今でもあの日悲しみ、苦しみから抜け出せず苦しんでいる人たちが沢山いることを知っているつもりで本当は何も知らなかった事を・・・。昨日「阪神淡路大震災1・17のつどい」に行って雪地蔵に灯をともしてきました。いつどこで何が起こるかわからない・・・。その中で自分は何が出来るのだろうか?その事を考えながらイベント会場を歩き回りました。
一緒に行った友人は10年前宝塚市で被災し京都に引っ越してきた方でした。以前からその事は知っていましたがあまり深くその当時の話を聞いたことは無かったのですが今回初めて一歩踏み込んだ話しを彼女からしてくれました。いまだに悲しみが癒えていない事も・・・。そしてこれからの事を話し合いました。彼女と私は今、学級委員をしています。この特権?!を生かして今度の懇談で この事を議題で取り上げてもらおうと そして イベントで頂いた「はるかのひまわり」を学校で育ててもらおうと言う事になりました。
私たちに出来る事は小さい事なのかもしれませんがあの日のことを忘れずにいることが大切な事だと今はそう思っています。

「はるかのひまわりの種」

更新日時:
H17年1月17日(月)

2    御先祖さまに感謝!?
私は子供の時から幸いにして大きな被害を被ることなく生きてきました。と言うか寸前で回避されてきたと言うか・・・。私だけでなく兄や妹も・・・。私がまだ幼い頃大阪市内でガス漏れによる大爆発がありました。私は母や兄とその時まさにその時間帯その場所に居合わせるはずでした。が不思議な事に直前でその場所に行く事が取りやめとなり一命をとりとめたのでした。阪神淡路大震災が起こる数年前に神戸で開業される事になった先生に誘われてその病院に勤める予定でしたが色々な諸事情によりお断りしたのですがもしその時行っていたら、おそらく神戸に移り住み被災し命を落としていたかもしれませんでした。妹も当時、被災がひどかった阪神間の木造のアパートに住んでいて周りはほとんど倒壊していたのですが妹の住んでいたアパートだけは不思議と倒壊を免れ一命を取り留めたのでした。私はこれはただの偶然ではなく御先祖さまの御加護だと信じています。
更新日時:
H16年12月2日(木)

3    嗚呼、勘違い・・・。
以前に勤めていた病院でのエピソード
胃透視の検査をする事になったあるお婆ちゃんに「明日はバリウムを飲んで検査をするので何も食べないで来て下さいね。ご飯は食べて来ないでくださいね。」と説明した私。翌日「ご飯を食べないで来てくれましたか?」の私の問いにお婆ちゃんは笑って「はいはいちゃんとご飯は食べずに来ましたよ。代わりにパンを食べてきました。」と・・・。「え〜!!駄目じゃない!何も食べないでって言ったのに・・・。」と言うと「そうやったかな?ご飯は食べないでと聞いたのは覚えてるけど・・・。」「・・・・。」当然検査は翌日に変更「明日は絶対パンもご飯も食べてこないでね!絶対何も食べて来ないでね!」とひつこく念を押したのですがー。翌日ニコニコとお婆ちゃんはやって来て「今日はパンもご飯も食べてないよ。代わりにうどんを食べてきました。」とー。「もういい加減にしてくれ〜!!」と叫びたかった。
 
今勤めている診療所でのエピソード
インフルエンザの予防注射の予約の電話でお友達の分も予約を取って欲しいと言う方が居た。名前を聞いたのですがカルテのない方だったので「どんな漢字ですか?」と聞いたら漢字を感じと勘違いされたらしく「細くて、色白で、背格好は私と同じくらいで〜。」と言う答えが・・・。「あのぅ〜どのような字をお書きするのかをお尋ねしたのですが・・・。」と言うとようやく理解していただけたようでした。(エピソード提供者:うちで一番の美人受付嬢)
 
更新日時:
H16年11月30日(火)

4    聞いてください、看護婦さん
ひもじくても、わたしは、自分で食事が出来ません。
 あなたは、手の届かぬ床頭台の上に、私のお盆を置いたまま去りました。
そのうえ看護のカンファレンスで、わたしの栄養不足を、議論したのです。
 
のどがからからで、困っていました。
でも、あなたは忘れていました。
付き添いさんに頼んで、水差しを満たしておくことを。
あとで、あなたは記録につけました。
私が流動物を拒んでいます、と。
 
わたしは、さびしくて、こわいのです。
でも、あなたは、
わたしをひとりぼっちにして去りました。
わたしが、とても協力的で、
まったく何も尋ねないものだから。
 
わたしは、お金に困っていました。
あなたの心のなかで、
わたしは、厄介ものになりました。
 
わたしは、一件の看護的問題だったのです。
あなたが議論したのは、
わたしの病気の理論的根拠です。
そして、わたしを見ようとさえなさらずに。
 
わたしは、死にそうだと思われていました。
わたしの耳が聞こえないと思って、あなたはしゃべりました。
今晩のデートの前に美容院を予約したので、
勤務の間に死んでほしくない、と。
 
あなたは、教育があり、りっぱに話し、
純白のぴんとした白衣をまとって、ほんとにきちんとしています。
わたしが話すと、聞いてくださるようですが、耳を傾けてはいないのです。
 
助けてください。
わたしはおきていることを、
わたしは、疲れきって、さびしくて、
ほんとうにこわいのです。
 
話しかけてください。
手をさしのべて、
わたしの手をとってください。
わたしにおきていることを
あなたにも、大事な問題にしてください。
 
どうか聞いてください看護婦さん
 
(看護学生の頃、脳外科看護の講師の先生に教えて頂いた詩です。最近のわたしが一番忘れてしまっていたものかもしれないもので初心に帰ってつもりでHPに書き込みました。)
更新日時:
H16年11月15日(月)

5    地震
新潟で大きな地震があり沢山の方々が被災されたようで昨日からどこのTV局でもその事が取り上げられています。阪神淡路大震災の時もそうでしたが時間が経つにつれ被害の状況が予想以上だと言う事に気づかされます。沢山の尊い命がまた失われた。自然の前では人間は無力だと言う事をいつも痛感せせられる・・・。私は幸いにしていつも大きな被害を被ることなく生きてきた。「大変だろうな・・・。」とか「かわいそうに・・・。」とかただ遠くからそう思って見ているだけの傍観者でしかない・・・。何も出来ない・・・。ただ「頑張ってください。」としか言えない ただの傍観者・・・。
更新日時:
H16年10月24日(日)


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