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「靖国」問題・私の見方



遺族の声@
(1月28日付け毎日新聞の記事も参考にしてください)

 1972年、山口県に住む中谷康子さんは、ある日突然地元の護国神社からご主人の合祀通知を受け取られたそうです。

  中谷さんのご主人は自衛隊員であり、その4年前に職務中の交通事故で命を落し、殉職扱いになっていたんだそうです。その後、ご主人を失った中谷さんは、子どもさんを連れて故郷に帰り、自らが信仰するキリスト教で、ご主人の急死という悲しみを癒そうと懸命に生きておられたそうです。

 ところがある日、自衛隊のひとりの職員が中谷さんの元を訪れ、ご主人の殉職証明書や勲章、位階を見せて欲しいと言ってきたんだそうです。中谷さんが、何に使うのかと聞くと、「自衛官の殉職者を地元の護国神社に祀ることになったので今調べている」とのことだったそうです。
 熱心なクリスチャンであり、教会などで当時国会に提出されていた「靖国神社法案」の違憲性や軍国主義の復活につながる危うさについて学んでいた中谷さんは、「それは困ります。私はクリスチャンですし、夫の遺骨も教会に納めていますので、他の宗教では困ります。合祀はお断りします。護国神神社は靖国神社と同じですから」とはっきりと断ったそうです。
 
 ところが、最初にも書いたように、中谷さんの意思は完全に無視され、ご主人は護国神社の祭神として、他の26人の死亡自衛官とともに合祀されてしまたんだそうです。



 以上のような経緯もあり、合祀の通知を受け取った中谷さんはすぐに地元の自衛隊に連絡し、「私は、お断りしました。いやなんです。合祀を止めてください。取り下げてください」とお願いしたそうです。
 しかしながら応対に出た職員は突き放すようにこう言ったそうです。「我々は、現職の自衛隊員に誇りを持たせ、士気を鼓舞するために、奮起して祀ったんですよ」「遺族の方々の宗教をいちいち聞いていてはできません。これは、我々の善意、好意で遺族の方の宗教には関係なく祀ったんです。中谷さんが拝みにいくのがいやでしたら、強制はしません」「合祀の費用は我々が出したんですから。通知表はこちらへ返してもらいたいですね」と。

 その後、再び自衛隊に電話し「私の心が引き裂かれてとても苦しいのです。何とか取り下げてください」と懇願した中谷さんに、前回と同じ職員はこう言ったそうです。「自衛官がお国のために死んだのだから、忠臣の人と同じぐらいに(合祀される)資格があるのです。我々は、現職隊員の死生に誇りを持たせるためにやったんです」と合祀の意義を強調したんだそうです。
 また、数日後この事件が、「無断で合祭・信教の自由侵害」と新聞で報じられると、自衛隊の幹部はついついこんなホンネまで言ったそうです。「故人はすでに公のもので遺族だけのものではない。勝手に合祀したのも、護国神社に祀ることは宗教的行事ではないと考えたからではないか。信教の自由とは無関係のことだと思う」と。



 どうでしょうか。このような中谷さんのご主人が護国神社に合祀された経緯や、その後の自衛隊幹部や職員の発言からも、「護国神社・靖国神社」の性格が判るのではないでしょうか。
 自衛隊は、公務中の死亡者を「国家のための死」(「忠臣」)とし、死者は「国家のもの」であり、護国神社の祭神として祀ることは、死者の霊≠慰めるというような宗教上の理由ではなく、現職隊員の士気高揚のためであると考えているのです。そして、そのためには遺族の宗教や意思はまったく考慮されないということです。


 死者を利用して、生者の士気高揚を図ること、それがまさに「ヤスクニ」神社なのですね。


05.1.30(tomo)


参考資料:『靖国の戦後史』 岩波新書 田中伸尚著



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