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「靖国」問題・私の見方



遺族の声A


 2001年6月29日、日本の侵略戦争に動員され、戦没するなど過酷な被害を受けた韓国の元軍人・軍属とその遺族252人が、日本政府に遺骨の返還、未払い賃金の支払い、24億円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こした。そして、また、252人の原告のうち55人が、無断で肉親を「日本の英霊」として靖国神社に祀られていることが耐えられないとして、政府に合祀取り下げを求めたそうです。
 


 その原告の一人でもある李熙子(イ ヒジャ)さんが、自分の父親である李思R(イ サヒヨン)さんの死を正式に確認したのが、なんと父親が「徴用」されてから52年も経った96年5月だったそうです。
 その時、李さんは、自分の父親が二十代で日本の戦争に動員され、見知らぬ国で家族を思いながら死んでいったと思うと、泣けて泣けて、かわいそうでならない。一片の通知もせずに放置してきた日本政府への怒りがこみ上げてきたそうです。

 そして、その直後、さらに李さんを驚かせたのは、その父親が、厚生省から提出されたデーターをもとに、創氏改名によってつけられた「李原思蓮」の「日本名」で靖国神社に59年4月に合祀されていたということです。
 後に、その時の怒りを李さんは何度も言葉を詰まらせながら次のように語っています。「くやしい。日本の戦争に動員されて殺されて、日本の神社の神にされているなんて・・・・しかも勝手に・・・。それに私が父の死を知るより、合祀のほうが早いんですよ」と。また、「私は日本の二重性≠思いました。だって日本は、口では植民地支配をしていたことを認めながら、実際にはそれによって苦痛を与えた被害者の苦しみが全くわかっていないのですから。どうすれば、父の無念の思いや私の悔しい思いを晴らせるでしょう。真実を知りたい。合祀を取り下げてほしい。このことを知れば、いえ被害者の心を思うなら、小泉首相の靖国神社参拝なんて信じられません」と、口惜しいにちがいないのに静かに語られたそうです。


 また、李さんは、提訴の前に代理人を通じて靖国神社にも、「父を、日本国のために命を捧げた英霊として、合祀していることにより、日々、耐え難い精神的苦痛を蒙っております」と書いて、父の合祀取り消しのための「申入書」を送ったそうです。しかし、いくら待っても神社側から返事は来なかったそうです。そこで代理人が直接神社を訪ねると、「すでに神≠ノなっている存在の人間を取り下げることはできません」というそっけない返事だったそうです。


 また、国は国で、李さんらの裁判での訴えに「合祀は靖国神社が決定しており、国は関与していない」(01.6.30朝日新聞)と平気でうそぶいたそうです。
 
 無理やり戦争に動員し、死に追いやり、遺族にその通知もせず、補償にも背を向け、その一方で、靖国神社側には戦没者のデーターを提出するなど積極的に「合祀」に協力してきた日本政府。その戦後のありようが、李さんらに対する態度にはっきりとみてとれるのではないでしょうか。


05.2.3(tomo)


参考資料:『靖国の戦後史』 岩波新書 田中伸尚著



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