御同朋の社会を目指して!


「靖国」問題・私の見方



遺族の声B


 現在(2002年6月)、台湾・韓国・朝鮮人の戦没者のうち靖国神社に合祀されているのは、台湾出身者が2万7656人、朝鮮出身者は2万636人だそうです。


 戦後しばらくは、この事実は一般にはほとんど知られておらず、78年になってはじめてマスコミなどに取り上げられて、表面化したそうです。
 それ以降、各地の遺族から「合祀」の取り下げを求める声が上がったそうですが、神社側は「戦死した時点では日本人だったのだから、死後日本人でなくなることはありえない。また日本の兵隊として、死んだら靖国に祀ってもらうんだという気持ちで戦って死んだのだから遺族の申し出で取り下げるわけにはいかない。内地人と同じように戦争に協力させてくれと、日本人として戦いに参加してもらった以上、靖国に祀るのは当然だ」と、遺族の声にまったく耳を傾けなかったそうです。

 また、政府はといえば、国会で「靖国神社が戦死者をお祭りするために必要な資料としまして、戦没没者に関する身上の情報資料は、厚生省、あるいは都道府県でなければわからないわけでござまして、現在靖国神社からの依頼がありますので、これに対してそういった身上に関する資料を協力しているわけでございます」と答弁していたにもかかわらず、その責任を追及されると「現在外国人でどういう方が合祀されているかということを私どもは承知しておりませんし、また資料もございません」と平気で無関係を装ったそうです。



 そのような経緯のなかで、2001年8月13日、小泉首相による靖国神社公式参拝が行われました。
 これを受けて、前回(遺族の声A)紹介した李熙子(イ ヒジャ)と太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会会長で、自らも日本鋼管(現NKK)の元徴用工だった金景錫(キム ギヨンソク)さんは、内閣府を通じて首相と厚生大臣に次のような「申入書」を送ったそうです。
 「日本政府は靖国神社と一体となって合祀を行ってきた。靖国神社は、侵略戦争を賛美し、「英霊」を祀る神社である。植民地支配と強権的な徴兵・徴用で死に追いやり、謝罪もなく、遺骨の返還はおろか戦死通知さえ出さず、合祀だけは行っている。本人も遺族もこの合祀を望んではいない。死んでまでも辱しめを受けている。夫を、父を、兄弟を奪われた遺族は、二重三重の苦しみを受けている。日本政府は、謝罪と合祀の取り消しを行うべきである」。


 そして、また、この首相の公式参拝を受けて、福岡、松山、大阪、東京、千葉、那覇の全国六箇所で「小泉靖国参拝違憲訴訟」が起こされたのを契機に、李熙子さんや金景錫さんを含む韓国の遺族数百人が境界を越えて裁判に合流していったそうです。

 その裁判のうち、大阪地裁の「アジア訴訟」において、金景錫さんは次のような意見陳述をしています。
 「神社では、自分を強制連行した者たちと同じ器の中に扱われているのです。これは私たちにとっては、言語道断というべきものです。アジアの視点から見て、日本の侵略戦争の張本人たちと一緒に、神様扱いで祀られている神社に、民主国家を名乗る総理大臣が公式参拝するということは、何を意味するのか。多くのアジアの民族を犠牲にした侵略戦争を正当化するものであることは言うまでもありません。・・・・首相の靖国参拝は「これから戦争をやるぞ」という重大な意味を持ち、近隣アジア諸国、とりわけ日本の侵略戦争のために非業の死を遂げた人たちへの挑戦でもあります」。


 しかし、このような遺族の声・気持ち知ってか知らずか、2001年11月1日、今回の訴訟が起こされた直後、小泉首相は次のような言葉を発したそうです。
 「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話しにならんよ」


 この私たちの国の首相の薄っぺらな言葉と、遺族の方々の悲痛な思いが込められた重みのある言葉、私たち「念仏者」はこれからどっちに耳を傾けていくのでしょうか。


05.2.5(tomo)


参考資料:『靖国の戦後史』 岩波新書 田中伸尚著



トップへ
戻る
前へ
次へ