御同朋の社会を目指して!


「靖国」問題・私の見方



「靖国参拝違憲訴訟(大阪)」@

 2005年2月14日に大阪高裁で行われた第一回「靖国参拝違憲確認等請求控訴事件」における原告:李熙子(イ ヒヂャ)さんの意見陳述(全文)です。参考にしてください。

 (注)太字は管理人が付け加えました。

 05.2.16(tomo)





  控訴審意見陳述書

 原告 李熙子(イ ヒヂャ)
 (翻訳:藤井幸之助)



 私は1943年1月3日、京畿道江華郡松海面率丁里519番地で、父李サヒョンと母韓オックァの間に生まれました。私の父は徴用令状を受けとり、これを忌避しようと昼は家に戻れず、隠れて回り、戦争が終わることだけを待っていましたが、これ以上避けられなくて、「逃げ回る身では窮屈なので、徴用に行って来て、平安な心で家庭をやっていこう」と徴用に行きました。


 私の父は、私が生まれていくらもしないで、日本によって強制連行されて、引っ張って行かれて、家族はいつかは生きて帰ってくるものと期待して生きてきました。しかし、私の父は帰ってこず、戦後半世紀が過ぎてやっと、中国方面で戦死した事実を確認しました。


 しかし、日本の厚生省は家族に生死さえ教えてくれず、靖国神社にはこれを教え、日本の軍神として祀っているという事実を知って、身の毛がよだつ衝撃と怒りを感じざるを得ませんでした。


 靖国神社は韓国人のみならず、アジア各国から顔を背けられている宗教施設です。靖国神社には侵略戦争を挑発したA級戦犯者とともに私の父も合祀されていて、祭祀が執り行われているということです。


 どうして侵略戦争の首謀者と強制連行された犠牲者を遺族に何の通知もなく、日本の宗教施設に無断で安置させることができますか?小泉首相は靖国神社に祀られた人々を「祖国のために命を捧げた」とし、心から誠意と感謝の意を伝えたくて参拝したといいます。私の父の祖国は大韓民国で、父は日本が引き起こした侵略戦争によって、強制的に駆り立てられて犠牲になった人です。決して日本国のために行ったのではなく、徴用を避けられず、強制的に連行された人で、日本によって戦場で見捨てられた哀れな犠牲者です。


 韓国では日本の侵略戦争に積極的に協力して荷担したものを指して親日反民族行為者として糾弾しています。なぜ、私の父が、侵略戦争を挑発したA級戦犯と同格に扱われなければならないのでしょうか?そして家族にまで不名誉をもたらすのでしょうか?


 小泉首相は祖国のために命を捧げた方々に感謝の意を表し、アジアの平和を願う気持ちをこめて、参拝したといいます。しかし、それは小泉首相の気持ちであるだけで、被害者の気持ちと同じではありえません


 ドイツのケーラー大統領はエルサレムのイスラエル議会でヘブライ語でした演説で「ドイツの過去の犯罪を決して忘れないものであり、振り落としてしまおうと努めもしないもの」として、「ドイツがホロコーストに対する責任がある」と強調しました。しかし、小泉首相は靖国神社参拝後、所感発表で日本が勝手気ままに行った犯罪が何だったのか、周辺国の犠牲者が味わった痛みがどうだったかについて、一言の言及もありませんでした。小泉首相がしたことは落ちていく人気度を挽回するための政治的行為であるだけです。


 大阪地方裁判所の一審判決では小泉首相が靖国神社を参拝したとして、原告である私が何の侵害も受けなかったとしています。しまし、それは日本人の観点から日本人の心から見たものです。小泉首相の靖国神社参拝によって中日首脳会談が継続して中断していて、中国の首脳部が連鎖的に糾弾の声を高めています。韓国の国会でも小泉首相の靖国神社参拝の中断と韓国人合祀を取り下げてくれという決議案が提出されています。


 小泉首相の靖国神社参拝によって苦痛を受けるのは私個人一人だけではなく、アジア周辺国すべての人々がともに苦痛を受けることであり、そのために一つの声として参拝中断を促しているのです。


 私は韓国人に侮辱的な性格をもつ靖国神社にこれ以上私の父を祀っておくことはできず、合祀を取り下げてくれと要請しています。しかし、合祀を助長した日本政府も、遺族の意思も聞かないまま、無断で合祀を強行した靖国神社もその責任を認めようとしないでいます。小泉首相はむしろ侵略戦争を挑発した戦犯たちを「祖国のために命を捧げた人々」と褒め称えています。


 これ以上の痛みを与えないよう、小泉首相は格別に周辺国の被害者の気持ちに留意しなければならず、韓国の遺族が味わっている心の傷に対して、日本政府と靖国神社は丁重に謝罪しなければなりません。被害の原状回復のために慰謝料を支給するよう強く促します。
 

 2005年2月14日
 原告 李熙子





トップへ
戻る
前へ
次へ