御同朋の社会を目指して!


「教育基本法」改正・私の見方

 
                                          
 現在、子供たちが学ぶ教育現場では様々な改革が急ピッチで行われていま
す。その中の一つに、現在の「教育基本法」を改正して、新たな法律を作ろうと
する動きがあります。     
 でも、「教育基本法の改正だ!」と言われても、何がどういけないのかわから
ない方も多いのではないでしょうか。実は私も最近までその一人でした。
 そこで、このページではこれから何回かに分けて、政府が進める「教育基本
法」改正の意図について、私の見方・意見等を述べてみたいと思います。



『心のノート』を考えるD

C集団や社会とのかかわりに関すること



  この項目では、集団や社会とのかかわりに関することということで、たとえ ば、中学生用には<この学校が好き>と書かれたページが出てきます。
 <チャイムが響く音、チョークが黒板をたたく音 放課後のグラウンドの喧騒 こ こは私の学校>というふうに、まず何気ない日常の学校の風景が描かれていま す。そして、次に、<いま、この学校を見つめてみる。 この学校の一員であるこ とを考えてみる。 全国には一万を超える中学校があるけれども 私の学校は、 いまいるこの学びや>というふうに、自分の所属する学校を、単に「私が」属して いるという理由だけで、肯定的に受け入れるよう子どもたちに迫ってきます。そこ には、その学校が「民主主義的な校風である」とか、「子どものことを一番に考え てくれる先生がたくさんいる」とか、そういった具体的な理由などはまったく問わ れてはいません
 そしてさらに、<先輩達が培ってきた学校の伝統。それを受け継ぐ私たち>  <この校風を、私たちの時代にもっとすてきなものにして 後輩たちに伝えること はできないだろうか>と、伝統を受け継ぐ私たち≠ニか、それを次代に伝える 使命を持った私たち≠ナあることを暗に迫ってきます。


 確かに、なかには「愛校心≠持つことは自然なんだから、別にいいじゃない か!」と思う方がいるかもしれません。
 しかし、それが一旦強制という形で行われると、そこには必ず適応できずに される人間がでてくるのです。たとえば、学校の集団生活に違和感を持つ生徒 や、学校に批判的な生徒はどうなるのでしょうか?そんな彼らの気持ちを無視 て、全ての生徒に対して一律に、一つの価値観を持つよう迫ることは、許されるこ とではないと私は思います。



 さて、そしてこの後、このノートでは、愛校心≠ニ同じように、自分が生まれた ふるさとに対する郷土愛≠持つよう迫ってきます。そして最後に、一番の目 的でもある「愛国心」を持つよう子どもたちを導いていきます(『心のノート』を考え るCで述べたとおりです)。
 
 たとえば、<我が国を愛しその発展を願う 我が国には春夏秋冬がはっきりし た自然があり、美しい風土がある。 ・・・ ふるさとを愛する気持ちをひとまわり広 げると それは日本を愛する気持ちにつながってくる。 私たちが暮らすこの国を 愛し その発展を願う気持ちは、ごく自然なこと。 でも、私たちはどれほどこの国 のことを知っているだろうか。 いま、しっかりと日本を知り、優れた伝統や文化に 対する認識を新たにしよう。 ・・・ 日本を愛することが、狭くて排他的な自国賛 美であってはならない。 この国を愛することが、世界を愛することにつながって いく>と語られています。

 確かに、「優れた伝統や文化に対する認識を新たにしよう」と語ることや、「日本 を愛することが、狭くて排他的な自国賛美であってはならない」と語るところは、特 に異論はありません。
 しかし、この文章に添えられている日本≠フ伝統をイメージさせる写真や、描 かれている日本地図をよく見てみると、ここで言っていることがいかに欺瞞である かが明らかになってきます。
 たとえば、日本の伝統をイメージさせる写真には、アイヌや沖縄、日本に住む在 日韓国・朝鮮人の伝統をイメージさせるものは一つもありません。
 また、描かれている日本地図には、北方領土から、いま問題となっている竹島 や魚釣島の場所までがきちんと示され、日本の領土を強調していますが、周りの 朝鮮半島や台湾などはその片鱗すらも描かれていません。「世界を愛する」と言 っておきながら、こそには東アジアの中の一員としての日本とい認識はまっ たく窺うことができません。
 
 つまり、ここで強調しようとしているイメージとは、日本民族のみに集中し た、非常に閉鎖的なものでしかないということです。
 
 確かに、その後には、アフリカの子どもたちを救う日本人の姿や、青年海外協 力隊や日本のNGOの活躍等が紹介されています。しかし、それもあくまでとて もいいことをしている文明国の日本人というイメージを子どもたちに抱かせるた めだけのものと思わずにはおれません。


 このように、ここで求められている「愛国心」とは、非常に狭くて排他的な ものであることがよくわかるのではないでしょうか。



 以上の点からも、政府は、この『心のノート』によって、子どもたちに無批判で、 非理性的な「排他的愛国心」を植えつけようとしていることは明らかではないかと 思います。


05.1.25(tomo)


参考資料:『「心のノート」を考える』 岩波ブックレットNO.595 三宅晶子著



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