御同朋の社会を目指して!


「教育基本法」改正・私の見方

 
                                          
 現在、子供たちが学ぶ教育現場では様々な改革が急ピッチで行われていま
す。その中の一つに、現在の「教育基本法」を改正して、新たな法律を作ろうと
する動きがあります。     
 でも、「教育基本法の改正だ!」と言われても、何がどういけないのかわから
ない方も多いのではないでしょうか。実は私も最近までその一人でした。
 そこで、このページではこれから何回かに分けて、政府が進める「教育基本
法」改正の意図について、私の見方・意見等を述べてみたいと思います。



『心のノート』を考えるC

B自然や崇高なものとのかかわりに関すること



 まず、この項目で目に付くのは、悠々と連なる山脈、崇高な大空などがページ の背景として使われ、自然の雄大さや、神秘性が非常に強調されているというこ とです。

 そして、たとえば、小学校5・6年生用では、次のような言葉が並んでいます。 君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、 たかだかとした心を持たね ばならない。 同時に、ずっしりとしたたくましい足どりで、 大地をふみしめつつ 歩かねばならない。>  <生きているんだね 自然とともに>  <いま 生きて いるわたしを感じよう>  <大いなるものの息づかいをきこう>  <山の雲は  雲自身の意思によって流れるのではなく、 また、波は 波自身の意思によって その音を立てているのではない。 それは宇宙の根本的なものの動きにより、  生命の根源からの導きによってではないでしょうか。 そうであるならば、 この小 さな私自身も また野の一本の草も、 その導きによって生かされ、 動かされ、  歩まされているのではないか、 そう思えてならないのです> こんなふうに、 浄土真宗のお説教でも聞きそうな文句がずらりと並んでいます。

 まさに、「自然の中で生かされていることを自覚する」とともに、「人間の力を超 えたものを素直に感じ取る心が深まり、これに対する畏敬の念が芽生えてくる」に ふさわしい構成になっています。



 さて、これのなにが問題なのでしょうか?「宗教的でいいじゃないか!」と喜ぶお 坊さんや宗教家がいそうです。

 それを理解するには、まず、次のCの視点・「集団や社会のかかわりに関する こと」にある、「郷土や国を愛する心を」の項目に注目してみる必要があります。
 
 このページには、先ほどと似た感じで、今度は雲海を越えてそびえる雄大な《富 士山》の写真がドカ〜ンと出てきます。そして、そこには<見つめよう わたしの ふるさと そしてこの国>と題して、<ふるさと それは、わたしに やすらぎと や さしさと あたたかさをあたえてくれるところ。 ふるさと それは、わたしが帰ると ころ。 大きくなってふりかえったとき ここに生まれてよかった ここに住んでいて よかった そう、思えるところ。 それが、わたしのふるさと> という文書が続い てきます。
 そして、その次に突然、<この国を背負って立つのはわたしたち>  <わたし の住むふるさとには、わが国の伝統や文化が脈々と受けつがれている。それらを 守り育てる使命がわたしたちにはある。・・・>という文言が出てきて、郷土愛 から愛国心≠ヨと展開していきます。


 さて、この一連の流れにどのような意図が隠されているのでしょうか?
 まず、Bで子どもたちに刷り込まれた自然の崇高さへの畏敬の念は、《富 士山》という日本至高の霊山への畏敬の念へとつながっていきます。
 ところが、その《富士山》は、郷土の自然につながる山であると同時に、「日本の 国」の象徴≠ナもあります。その結果、子どもたちの自然に対する畏敬の念 が、《富士山》のイメージを通すことで、「ふるさと」を愛する心を経て「国」を愛す る心へと知らない間に展開されていくという仕組みなんだそうです。

 つまり、まとめると、Bで刷り込まれた「人間の力をこえたものへの畏敬の念」 が、Cを経ることにより、何の疑問を抱かせることなく「個を超えた公への畏敬の 念」「国家の尊崇」へと移行していく。そのような感情(心)の流れが、巧妙に作り だされるんだそうです。
 気がつけば、いつのまにか「愛国者」になっていたということです。



 そして、このような感情が一旦子どもたちの中に刷り込まれてしまうと、集団や 社会、国家というものを社会学的に見ていくのではなく、「自然なもの」「崇高なも の」として見るようになります。そうすると、たとえ社会や国家のシステムに矛盾や 不条理があったとしても、「変えることのできない自然なもの=vというふうに、も う自らの力で変えていこうとする意識すら生まれなくなってしまうんだそうです。

 自然のなすがまま≠ェ、いつの間にか国家のなすがまま≠ノすり変えられ てしまっている、ってことですね。


05.1.24(tomo)



参考資料:『「心のノート」を考える』 岩波ブックレットNO.595 三宅晶子著
  『「心のノート」で目論まれている情操とは』 小武正教著 詳しくはコチラ→ http://saizenji.com/page133.html




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