御同朋の社会を目指して!


「教育基本法」改正・私の見方

 
                                          
 現在、子供たちが学ぶ教育現場では様々な改革が急ピッチで行われていま
す。その中の一つに、現在の「教育基本法」を改正して、新たな法律を作ろうと
する動きがあります。     
 でも、「教育基本法の改正だ!」と言われても、何がどういけないのかわから
ない方も多いのではないでしょうか。実は私も最近までその一人でした。
 そこで、このページではこれから何回かに分けて、政府が進める「教育基本
法」改正の意図について、私の見方・意見等を述べてみたいと思います。



『心のノート』を考えるF


 このページでは、この『心のノート』と現在政府・与党内で進められている「教育 基本法」改正の動きとの関連性をみておきたいと思います。



 これまでみてきたように、文部科学省がこの『心のノート』を導入した意図は、国 家が教育内容に直接介入することで、子どもたちの心の中にまで入り込み、自分 達に都合のいい人間を作り出すことにある、ということでした。


 しかし、このような意図が明らかになるにつれて、教育者やさまざまな市民団 体、国会の中からも批判が続出してきました。実際のところ、今のようなやり方 は、当の政府の関係者が認めざるを得ないほど、現行の教育基本法の精神に反 するものだそうです。

 今の教育基本法は、戦前の「教育勅語」による教育が「国家に役立つ国民」 作るためであったことを深く反省し、国家が二度と教育内容に介入しないようにと の願いから、制定されました。そして、その第十条「教育行政」には、「教育は、不 当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきで ある」と記されています。また、同じくその第二項には、「教育行政は、この自覚の もとに、教育の目的を遂行するのに必要な諸条件の整備確立を目標として行わ れなければならない」と述べられており、国家の果たす役割はあくまで諸条件の 整備であり、直接教育内容に介入することを禁止しているのです。

 ところが、今までみてきたように、この『心のノート』を使った道徳教育≠ヘ明 らかに国家による教育内容への介入です。政府もそのことはよく知っているはず です。だからとりあえず現段階では、そのことをうまく隠しつつ、法律に触れるか 触れないかの「ぎりぎり」の線で行っているわけです。

 しかし、今後益々教育内容に介入していきたい政府にとっては、このような「ぎり ぎり」の法適用ではその目的を十分に達成できない。そこで、「国が子どもを教育 してもいい」「心の中まで介入していい」と書かれた新たな法律が必要だという訳 です。
 まさにそこに政府が進める「教育基本法」改正の意図があると考えられます。

 具体的には、まず現行の「教育基本法」の第十条を書き換えることにより、「国 家の教育権(教育への介入)」を全面的に合法化する。そして、ただちにこの権利 を使って「心の教育」を子どもたちに強制していくという訳です。
 また更に、「日本の伝統、文化の尊重」「郷土や国を愛する心の涵養」「日本人 であることの自覚」といった人間の内面や価値観、国家観、思想・信条に関る文 言を改正案に入れることで、憲法26条の「教育を受ける権利」だけでなく、29条 「思想・良心の自由」、21条「表現の理由」、23条「学問の自由」すら骨抜きにし ようと考えているのです。



 どうでしょうか、もしこのよな改正が行われてしまうと、もはや何のきがねもなく、 堂々と国家による『心のノート』を使った心の教育∞心への介入≠ェ行われ ることになります。
 そうなってしまうと、教育はもはや子どもが自ら伸ばしていくための権利ではな く、それは「若き国民の義務」となり、国家のための人材としての小国民を創 り出していく装置となってしまうのです。

 なんとかして「教育基本法」改正を阻止したいものです。


05.1.31(tomo)


参考資料:『「心のノート」を考える』 岩波ブックレットNO.595 三宅晶子著
     『教育基本法「改正」を問う』 「備後・靖国問題を考える会」刊



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