御同朋の社会を目指して!


「教育基本法」改正・私の見方

 
                                          
 現在、子供たちが学ぶ教育現場では様々な改革が急ピッチで行われていま
す。その中の一つに、現在の「教育基本法」を改正して、新たな法律を作ろうと
する動きがあります。     
 でも、「教育基本法の改正だ!」と言われても、何がどういけないのかわから
ない方も多いのではないでしょうか。実は私も最近までその一人でした。
 そこで、このページではこれから何回かに分けて、政府が進める「教育基本
法」改正の意図について、私の見方・意見等を述べてみたいと思います。



『心のノート』を考えるG


 ここでは、実際に中学校で『心のノート』によって「道徳教育」を受けた在日朝鮮 人の女の子の声≠紹介させていただきます。




 昨(2003年)年の夏、名古屋の教育基本法改正フォーラムに行った時、私はあ るパンフレットを見て胸がドキドキした。

 そのパンフレットには『たくましい日本人の育成』と書かれていた。その時のドキ ドキは、『心のノート』の「わが国を愛し、その発展を願う」というページを見たとき のそれと似ていた。「朴」という名前をもつ私のような日本人ではない人の姿なん て、そこには滑稽に見えるほど載っていなかった。前提として「いない」存在だっ た。私ははっきりと、自分は教育の中から存在を消されたと感じ、それと同時に 私のお父さん、おばあちゃんの存在も消されたのだと思った。
 
 では、私の隣に座っている日本国籍をもつ友達は存在を認められたのだろう か・・私は、違う!と思った。『心のノート』や道徳教育にくみとられた日本人は、存 在を切り裂かれたのだ。『心のノート』が求める、いつも明るく健やかで、笑顔を絶 やさず感じることすらできなくなった日本人の姿を見て、そう思った。

 『心のノート』は私たちに教えてくれた。うまく生きていけるのはこういう日本人で すよ、疑問なんてもつのはやめましょう、そんなのめんどくさいだけですよ、多数 派はこういう人たちなのです・・・そして、多数派はいつも正しいのですよ、と。


 私は、やはりおかしいと思ったことには頷けない。たとえ存在を消されたとして も、消えてしまうことなんてできない。そして、「日本人」とは誰のことなのか。私は 日本人にはなれない。そして誰も幻の日本人にはなれない。
 『心のノート』は言う、「我が国を愛しましょう」と。でも、私は国家を愛することな んかできない。




 どうでしょうか?この女の子のように、『心のノート』の押し付けによって、その存 在すら否定されたと感じる子どもたちだっているのです。そのような教育から、社 会から排除される人の悲しみ≠竍声なき声≠ヘどうなってもいいのでしょう か・・・
 また、たとえ何の疑問も抱くことなくこの『心のノート』を受け入れた日本人 である子どもたちだって、決してそのありのままの存在を認められたのではない んだと思います。まさに、その「存在」を否定され、国家にとって都合のいい「存 在」につくり替えられたにすぎないんじゃないでしょうか?


 仏様に願われたかけがえのない尊いいのち≠生きている私たちの存在自 体を、一部の人たちの身勝手な都合によって否定しようとする『心のノート』の強 制に、「念仏者」の一人として断固反対していきたいと思います。


05.2.2(tomo)

参考資料:『教育基本法「改正」に抗して』 岩波ブックレットNO.626



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