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コラム 12.「躾を厳しくすると、子育ては失敗しやすい」 

 子育ての大きな悩みのひとつに「躾(しつけ)」があります。この子にきちんと育ってほしい、恥をかかずに済むようにしてあげたい、健康であってほしい、高い学力を身に付けさせたいなど、様々な思惑によって躾はおこなわれます。
 子どものためによかれと思っておこなわれる躾ですが、自分の思いが先行してしまい、子ども自身の気持ちがどうなのかを考え忘れてしまうこともあるようです。いつしかそれが、自分の願いを叶えるために気付かない内に子どもをコントロールするようになり、子どもの人生において子どもが主体ではなくなり、子ども自身がしたかったこと、子ども自身が行きたかった場所、子ども自身の思い、そういうものがないがしろにされていく事があります。親としては「この子のために厳しくするのだ」「この子のために叱っているのだ」と考えるのですが、子どもとしてはたまったものではない、という事になってしまいます。

 日本においてよく行われる躾の方法は「否定法」です。「ダメ」「あかん」などの否定語を実際に使うこともあれば、「危ない!危ない!」「そんな事したら血がいっぱい出るよ!」「怖い人が出てくるよ!」「いい加減にしないと怒るよ!」と恐怖感を煽って子どもがやることを止めさせ、違う行動をとらせようとすることもそうです。また、言う事を聞かなかったら罰を与えるという方法も否定法のひとつです。子どもの意思や自主性を否定して自分の意のままにコントロールしようとするこれらの関わりがいきすぎると「過干渉」と呼ばれるものになります。「過干渉」は「過保護」と同じような解釈をされがちですが実際はまったく別物です。「過干渉」は虐待(心理的虐待)の一種なのです。

 ではなぜ、そのような否定的な躾をしてしまう事が多いのかと言うと、我が子に否定によって関わってしまうのと同様に、自分の親から否定によって関わられてきた人がほとんどだからです。その否定の関わりが、心に沁みついてしまっているのです。日本では長らくの間、「良い子=大人にとって都合の良い子」でした。否定的な子育ては、子どもを自分の思い通りにしようという、心に沁みついたエゴの表れなのです。
 子どもを肯定して育てる。そのためには、世代間で受け継がれてきた支配欲・コントロール欲求と戦う必要があります。

  愛情不足と言われる子どもによく見られる姿として、「大人の前では良い子。大人がいないところでは、いじめや過度の要求を繰り返す」というものがあります。たいていは躾が厳しすぎるか、放任主義のどちらかです。厳しい躾の家庭の子と放任主義の家庭の子に共通するのは、「大人に良く見られたい、認められたい」という満たされない思いです。
 子どもにとって大人から認められるかどうかは死活問題です。大人に守ってもらわなければ命に関わるので、大人から見放されるのを本能的に避けようとします。ですから大人の前では素直で聞き分けの良い様子を見せます。しかしこれは本当に聞き分けが良いのではなく、表面上のことでしかないのです。見放されたり、厳しい躾による苦痛を避けるために身に付けた聞き分けの良さはその場限りである事が多く、第3者から見るとその姿は違和感のあるものになります。ただ、親から見るとその違和感に気付けない事が多々あるようです。見慣れてしまっている事や、あるいは、親が望んだ子どもの姿以外は無意識に見ないようにしてしまうのかもしれません。
 そういった子ども達は大人の前では聞き分け良くしていますが、本来の自分を愛されていない事実はやはり不満と欲求が溜まっていきます。その不満と欲求を解消する手段が、他の子へのいじめや過度の要求です。ここでその言動だけに注目してしまい注意や叱る事だけで関わると、子どもはますます救われません。言動を抑制した時にその子のストレスのはけ口はどこに向ければ良いでしょうか。もっと巧妙な手口で大人に隠れて非行行動に走るか、自分を傷付けるかのどちらかです。
 重要なのはその子の言動ではなく、その子の心がどういう状態にあるかです。注目するべきなのは言動ではなく心なのです。

 また、よく取り上げられる例として「子どもの意思にかかわらず出来るようになるまでやらせ続ける」ことも虐待です。関わる側の大人は「自分の関わり方はスパルタ式だ」という程度までは自覚できても、「この子は本当は出来るのだから」「この子のためなのだから」「これが親の責任だ」という思い込みによって、自らの関わりが虐待である事に気付けません。また、自分自身が「子どもが、それを出来たか・出来ないか」という表面的なところにしか目を向けられず、「子どもの心のあるがままを許し、受け入れられているか」という、自分自身が親としてどうあるかという視点がなくなっています。
 「出来る自分は大人から認められ、出来ない自分は認められない」ことを知った子どもは大人から認められようと必死になります。その、けなげで悲痛な心に気付けるでしょうか。そして思春期が過ぎたころ「何をしてもこの人は自分を認めてくれないのだ」と気付いた子どもの心は、失望と共に親や社会から離れていくのです。

 愛は許しです。今自分の目の前にいる子どもの、あるがままの心を受け止め、認められるか。ここにかかっています。そして「今はそうだよね、仕方ないよね。いつか出来るようになってくれたら、それでいい」と思えるかどうかです。
 将来の事を考えるのは大切なことですが、今きちんと目を向けて見つめるべきなのは、いつか子どもが大きくなった将来の姿ではなく、今目の前にいる、生まれて数年しか経っていない、小さな子の姿なのです。生まれたての赤ちゃんの頃はどんなことでも許せていたはずが、ほんの数年で何が変わってしまうのでしょう。何を求めてしまうのでしょう。

 大切なのは「いつか幸せになるための子育てよりも、今幸せな子育てをする」ことなのです。

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子どものお家 ぞうさん保育園

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