狛犬の写真   page6


新日吉神社(いまひえじんじゃ)


狛猿

 
 永暦元年(1160年)10月16日、

 後白河上皇が法住寺殿の鎮守として、

 皇居守護の山王七社の神々を、

 比叡山東坂本の日吉大社から迎えて

 祀った事が創祀であり、朝廷の崇敬も厚く、

 小五月会(こさきのまつり)も盛大に行われた。

 江戸時代の初めに、妙法院宮堯然法親王が

 社地を改めて造営し、更に明治30年

 豊国廟復興に際し、現在地に移転した。

(京都府神道青年会HPより)
 

京都市東山区妙法院前側町   撮影 2012・6

奥津神社

和銅年間に近江の国守であった、
藤原不比等(ふじわらのふひと)が、
建立した。

本格的に人が住むようになったのは、
保元・平治の乱(1156〜1159)に、
源氏の落ち武者7人が漁業を
生業として移住した事が始まりと
云われています。

狛犬は、両方共、口を噛みしめています。
向かって左の狛犬は年代物で、
かなり風化して貫禄があります、
素朴な造形が美しい。

滋賀県近江八幡市沖島町  撮影 2012・8

清水寺



山号を音羽山・世界遺産
境内には、地主神社があり、明治以降は
神仏分離により、独立したが
もともと、鎮守の杜として、
清水寺の一部であっらた。

阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)とも、
口をあけている。

京都府京都市東山区清水1-294  撮影 2012・3
還来神社(もどろぎじんじゃ)

平治の乱に敗れた、源頼朝が敗走中に
同神社に立ち寄り、
源氏再興を祈願した。

太平洋戦争時には、
出征する兵士の
無事の帰還を願い、
全国から多くの参拝者者が
訪れるようになった。

滋賀県大津市伊香立途中町518 撮影 2012・6

宇多須神社
石川県金沢市 ひがし茶屋町 撮影 2017・12
八幡神社  (大きさは日本一)
 
滋賀県大津市南小松397   撮影 2018・5
 
 
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