新版(1998.4)『静かな木』表紙画像(2000.8.30)
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一周忌を前に、『静かな木』『ふるさとへ廻る六部』(後者は文庫版の単行本化)(新潮) 『早春』(文春)が出版された。 読者としては嬉しいが、これで最後かと思うとひとしおさびしくもある。新聞などに藤沢作品が書評として掲載されるのはこれが最後かもしれない。で、資料としてここに記録しておきたい。 (なお、記録は「書評」・コメントの部分のみ要約) 読者のみなさんでこれ以外の書評をお持ちの方がいらっしゃいましたら、よろしけれがご連絡ください。ここに掲載させていただきたいと思います。 未刊行の小説「桐畑に雨のふる日」(『別冊文芸春秋』94 208号)があるようです。どうしてか遺作『早春』に収録されてない。となると読んでみたいものだ。文春さん刊行してください。 |
98.1.15出版の最後の本が 00.09.1に文庫化 新潮社 |
コリン・ウィルソン『わが青春・わが読書』 二葉亭『平凡・私は懐疑派だ』 佐伯章一『わが愛する伝記作家たち』をメインに紹介。最後に『ふるさとを廻る六部は』を取り上げている。 |
佐伯氏と似た感触があった。この人は読書でなく、ただ小説を書くだけの人生だったが、彼の描く「田舎エッセイ」は、実に人生的に豊富であった。 |
短くて、意味不明の部分がある。が、「田舎エッセイ」はないでしょう、秋山さん。せめて、「ふるさとエッセイ」と表現できないかなあ。藤沢さんのエッセイは田舎を書いたものではなく、自分とそのふるさとを書いたものだからと思う。 |
藤沢さんは、「時にはわずかに残る文学青年の残り火を掻きたてて、創作上の冒険をしてみようという気持ちが動くことがある」と書いている。唯一の現代小説の『早春』は そんな文学青年の残り火といえるだろう。 同時期の『三屋清左衛門残日録』と比べると人生の哀感が色濃く、救いがなく、何よりも物語性が薄い。 向井敏が指摘しているように「現代小説ではなまじ物語などを仕組めば、それだけで真実味が遠のいていきそうな不安」があったからだろう。 (「野菊守り」「深い霧」の時代小説は)人生の残り火のなかで書かれた、いかにも藤沢らしい温かな小説と、冷たい手触りの現代小説。見事な対比を味わえる遺作集である。 |
そうか、もう一度『藤沢周平のすべて』(文春)の向井氏の文章を読むとするか。『早春』は11年前の作品だそうだ。 |
風邪をひいた評者は寝床で数冊の時代小説を読む。書名を書いてはないが『蝉しぐれ』だ。小説の老齢になっての恋人との再開についつい身を乗りだしてしまい、そして次のように書く。 |
かくして中年になっちまったと半ば自嘲し、いやいや、人間死ぬまで、かく生きるのだと言い聞かす。 人が人として感じる恋慕、恋着に見て見ぬふりはおかしいし、軟弱、惰弱とそしられようとも、ある意味で小説は全てこの種の感情に収斂するものではなかったか。 |
そうか、そうかとだけコメントしておこう(笑) |
藤沢周平の目線の透明感と行間ににじむ哀感が読者を中毒患者にする。 (この著書では)「浮世絵師」に見たてられ、一筋縄ではいかない人間像に迫っている。 |
目線の透明感ってどんなことだろうか。 |
「早春」で、私は鮮烈な光景に出会った。 【早春の夕べ、赤く火のように燃える陽の光りが、窓から差し込んでくる。(略) 男は明るいひざしのなかで、「そうか、こんなぐあいにひとは一人になるのか」と思う。】 このシーンは、人間だれでも向かう老い、孤独、そしてその先にある死を、具体的に描いていて、実に強烈な印象を私に与えた。光りの中で、孤独な男の暗さが輝いていた。 『早春』は決して洗練されたスキのない小説ではない。むしろ不器用な、ゴツゴツしたような手触りがあって、それが読者をこの身近な世界に引き摺り込む。男をとりかこむ人々の姿が、手織りの木綿のような目の荒さのなかから逆にうかび上がってくる。そして、それらを全て失った男の寂寥感が読むものの心にしみわたる。 |
ここで、評者は、 収録されているエッセイ「ただ一度のアーサー・ケネディ」でチャップリンの「ライムライト」の脇役のバスター・キートンが主役を食った例をあげる。私もこの藤沢さんの映画の話を読みながら、脇役以上に目立った芸をしたキートンとそれを許したチャップリンを鮮やかに思い出したものだ。 |
「ただ一度・・」を読んだ時に、なんとなく私は藤沢周平の、それこそ晩年の心境がわかるような気がした。 そういえば、「早春」の男はもとより、「野菊狩り」の五郎助も脇役だった。五郎助には、それなりの幸せがあったが、「早春」の男にはそれすらもない。 しかしなぜ藤沢周平は、脇役を好んで書くのか。そこに自分がいて、だからこそそこに人間ののっぴきならぬ運命を思うからであろう。 それにしても、突然男を照らし出したあの光りの赤さはなんだったのだろうか。 |
こういう文章を読むと、つくづく「俺は評論家でなかってよかった」と思う。(なれるわけないが) 単なる本好き、藤沢作品好きでよかったと思う。理屈なんかないもんなあ、ただ「おもしろい、いいなあ」ともうただ楽しんだらいいからなあ。 それにしても、俺は突然もいつも光りに照らされないなあ。かといって暗闇にいるわけでもないし。 まあ、ええか。 |
時代小説の名手が残した短編「静かな木」「岡安家の犬」「偉丈夫」三つ。いずれも海坂藩もの。素晴らしい。 藤沢周平の理想は静かな慎ましい暮らしにある。海坂藩の武士たちはそれを守るためににこそ闘ってきたのだといま思い当たる。三篇とも穏やかに終わっている。 |
そう、「三篇とも穏やかに終わっている」の一行は納得。 作品中に「生きているといいこともある」と孫の生まれた嬉しさを老士が呟くところがある。この作品を書いている頃、藤沢周平さん自身にもお孫さんが生まれただろうと勝手に推測している。 97.7月に私が鶴岡を訪問したとき、中学教員時代の湯田川温泉の旅館のロビーで【藤沢さんご夫妻、娘さんご夫妻、そしてお孫さん】の写真を拝見した。また、藤沢さんとゆかりの深い新山温泉のご主人が「藤沢さんは、故郷を子どもと孫に見せておきたいと体調のよくないのをおして帰省された」と話しておられました。 エッセイにそのことを書かれている記憶はありませんが、藤沢さん自身のお孫さんを持った心境をこれらの作品に反映されたのではと想像します。 |
藤沢周平さが逝って一年。本の動きを見ると、愛読者はますます増えているようだ。 『早春』---老いの入り口に立つ人の、寂寥(せきりょう)がにじむ。 編集者萬玉さんは「時代小説にあるカタルシスがない。題は『早春』でも春の訪れを予感させる内容とは遠く、藤沢さんには珍しくアイロニカルな題です」と話す。 『静かな木』---「今となっては晩年という言葉を使わざるをえませんが、藤沢さんの晩年の心境がどこかに強く反映された作品だと思います」と栗原さん。 |
ふたりの編集者からコメントを掲載したのはいい。藤沢さんを担当された何人かの編集者の方の語る藤沢さんを本にしてほしいなあと思う。 |
下の文とこれは2ページの長い文ですので、部分的に要約したもののみです。 |
(市民大学で司馬遼太郎と藤沢周平を毎週交互に十数回語った)その際、ふと感じたのは、司馬さんを話す日と藤沢さんの日と会場の空気が少し違っていたことである。藤沢さんの日は、皆さんの肩の力が少し抜けて、気楽に私の言うことを聴いてくれた。それを打ち明けると、会場にさざ波のような笑い声が起きて伝わった。
ごく単純であっさりしている筋の作品のなかに、多様な刺激を与える刺のようなものがあちこちにひそんでいて、夢中で歩いている読者を、おい、と呼びかけ思わず振り向かせるような仕掛けがある。意外といっては失礼だが、北欧風、あるいはアイルランド風の味がある。 洗練された素朴さというべきか。いまの日本に、いちばん欠けた味かもしれない。 |
困ったなあ、私は「北欧風、アイルランド風の味」って想像もつかないもんなあ。実はこれ評論家が自分の知識をひけらかすために書いたりしたもんだったりして。(失礼!) |
宮城谷昌光「指の間の闇」 ---『静かな木』『ふるさとを廻る六部は』 |
「静かな木」---実生活において藤沢さんは人に教訓を垂れるより、「木をみなさい」とみじかくいうだけの人であろう。木は人にさまざまなことを教えてくれる。この作品は、葉を落とした欅(けやき)が青葉を吹くまでの事件が書かれている。すがすがしい佳品である。 「岡安家の犬」---読みおえたとたん、虚子の句を憶いだした。 灯をともす指の間の春の闇 その指の間の闇がこの作品には書かれている。本来、小説とはそういう闇をもつものなのである。何もないようで、何かとてつもないものがいるかもしれない闇をみつめることで、人は想像力の衰退をさまたげることができる。 藤沢さんの作品を読む人も、自分の指の間の闇をみるのである。 |
う〜ん、そういえばわかるような気もするが。でも、私の闇って何だろうか、と自覚のない男だな私は。 ところで、宮城谷昌光を一冊も読んでないなあ。なんか、中国物は難しそうでねえ。日本物で私にも理解できる作品はなんだろうかなあ。 |