新版(1998.1)

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神隠し



私の好きな作品と・・・(2)



「小鶴」(新潮文庫・『神隠し』から)

   笑いながら読んでいると、最後は涙ぐんでしまう。


派手な夫婦喧嘩の家庭に記憶喪失の少女が・・・

年金・パート生活の夫妻の喧嘩の話ではないからね(笑)

50才前後の武士の夫妻(子どもはいない)と娘さんの話


  神名吉左衛門の家の夫婦喧嘩は、かいわいの名物だった。

 いや、城中でも有名で上司から叱責されるほど。「ふ〜ん、昔は職場でプライベートなことの生活指導もされたのか」と思う。指導の理由は「武士の体面にもとる」というわけ。

 吉左衛門は、妻登米(とめ)のお婿さん。この家つきの娘がどうも「カナンナア」という感じの人みたいで、今だに夫の四十五石の実家の躾について云々する。自分は百石で格が違うというわけ。結婚後30年たってもそれをいうもんなあ。

前頁の「弾む声」は「 平和なほほえましい出だし」であったが、今度は何事ぞと耳をそばだてる争いである。これこれ他所の夫婦喧嘩に聞き耳たてて行儀が悪いというなかれ、その声は「塀の外まで筒抜けにひび」きますからねえ。では、ごいしょに少々彼らの喧嘩の様子を拝見しましょう。


「おのれ、そこに直れ。二度とその口が聞けないように成敗してやる」
吉左衛門の、興奮で一段高調子になった声がひびくのを聞くと、はじめて耳にする者はそこで固唾をのむ。
「おやりなされ」
吉左衛門の声をうけて、ちっとも興奮していない、落ちついた女の声が答える。吉左衛門よりは低いが、これもべつに近所をはばかる様子もない、よく徹(とお)る声だから、外の者によく聞こえる。
「さあ、どうぞおやりなされ。それで神名家のご先祖さまに申しわけがなるとお考えなら心がすむようになさったらよろしゅうございましょ」
「この肴(さかな)は腐っておる」
吉左衛門の怒声は、急に卑俗な事実を指摘する。
「かようなものを喰わせて、家内の取りしまる役が勤まると思うか」
 これで通りがかりの者は、喧嘩のもとは鮮度の落ちた肴かと興ざめし、・・
近所の家では、たかが肴一尾のことで成敗だの、ご先祖だのと、よく言うわと、・・



このかんしゃく持ちの吉左衛門さんは、「若い頃は庭の中を白刃を振りかざして妻を追いかけ回したなどという証言もある」らしい。すごいなあ。でもお互い五十前後になった今は「舌の争い」だが、「どうも吉左衛門に分がないようだ、との判定も出ている」

 藤沢さんも夫婦喧嘩についておもしろそうに書いているなあ。

という夫婦にはあとつぎがいない。養子探しをするがどうも思わしくない。世間には養子口を探している次男・三男・・はたくさんいるが、「あの夫婦喧嘩には、こわいもの知らずの若い者も怖気をふるうのは無理もない」と人々は噂している。それがまた喧嘩の種になり、・・・・・。

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そんな日、吉左衛門さんは旅姿の武家の娘さんを家につれて帰る。娘は橋の上で無表情で、何を聞いても答えずうつろな顔をして、立っていたという。

さて、話かわって、この娘のいた橋は「五間川」、ということはこの話は「海坂藩」の話だろう。あの『蝉しぐれ』の川でもある。藤沢作品にはこの川がよく登場してくる。


 この記憶を喪失している娘がきてからの喧嘩夫婦の会話がいい。娘を挟んでの夫婦の気持ちの動きの描写を読んでいると「あ、いいな、いいな」と思う。


 たとえぱ、吉左衛門さんが帰宅後の夫婦の会話。

妻は娘が「おいしいといって食事をした」「親兄弟の名前も覚えてない。いったどうしたことなんですか」と食事中の夫に話かける。


「ふーん」
吉左衛門は唸りながら香の物をばりばりと噛んだ。ふだんは物を噛む音をさせたり、喰べながら話しかけたりすると、登米(妻)は露骨にいやな顔をする。四十五石の家の躾はそういうものか、と婿にきて三十年もたつのに、吉左衛門の実家の躾を言う。それでたちまち喧嘩になるのだが、今夜は登米は何も言わなかった。吉左衛門がいつもでも香の物を噛んでいるのを、早く飲みこまないかと催促する眼で眺めているだけである。
 夫が香の物を飲みこむのを待って、妻は娘の名前は「小鶴」というと打ち明ける。 「吉左衛門は、ちらと娘を眺め、それから妻の顔を見た。二人は顔を見あわせて微笑した。」「かわいい名前だの」と夫。


 思うに藤沢さんご夫妻はこの「顔を見合わせての微笑」の日々ではなかったでしょうか。「えっ。オマエとこは?」ですって、それは今は関係ないの。

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 この調子で引用ばかりしていると著作権侵害になりそうだ。まあ、それくらい藤沢さんの筆をなぞっていくのは、楽しい作業です。

 その後、妻が娘をつれて嬉しそうに街を歩く描写は、「カナンナアこんな女性」はという読者の気持ちを和らげてくれる。

 今までふりむきもしなかった養子希望の男やその親戚たちが小鶴さん目当てにこの夫妻に言い寄ってくる。それにたいして、この夫妻が希望者の品定めを楽しむところは笑います。

 藤沢さんのユーモアは実にいい。大好きです。 藤沢さんは、“ユーモア作家”でもあります。人を傷つけて笑いを取る某たけし氏や 自分をこけにして笑いを取る関西人とはまた違うユーモアです。暖かい。

「この娘さんはこの夫妻の子どもになれればいいなあ」と単純な私は思い出す。派手な喧嘩の日々がこの娘の存在で変わっていく様子が おもしろく書かれている。

 でも、やがてこの娘の迎えが来る。ラストで小鶴の驚くべき身の上がわかる。そして、迎えにきた青年に連れられて帰っていく。う〜ん。

 神名吉左衛門の家から、時おり夫婦喧嘩の声が外に漏れるようになった。だがその声は以前にくらべると、いちじるしく迫力を欠いているというのがもっぱらの噂だった。養子話もとだえたままである。


あの〜、どなたか吉左衛門ご夫妻とこへいきませんか。いいご夫妻ですよねえ。
「あのねえ、家と結婚するのではないの」それもそうだなあ。う〜ん。


赤かぶ

「温海 赤かぶ漬」

『三屋清左衛門残日録』の清左衛門さんと熊太さん、
そして吉左衛門さんが食べた香の物です。
これはうまい。小茄子の漬け物もいい。
海坂藩の人たちはうまいもん食べてるなあ。

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