第26版 改訂(2006.3)
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このページがいっぱいになりましので、藤沢作品の魅力を書いた本(2)を新設しました。(06.9)
この頁で取り上げた本
■関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』 ■別冊宝島編集部『藤沢周平の本』 ■藤沢周平ほか『藤沢周平 心の風景』 ■オール読物責任編集『「蝉しぐれ」と藤沢周平の世界』 ■福沢一郎『知られざる藤沢周平の真実--待つことは楽しかった』 ■佐高 信・高橋敏夫『藤沢周平と山本周五郎--時代小説大議論』■高津國生『たそがれ清兵衛の人間像〜藤沢周平・山田洋次の作品世界』 ■別冊宝島『藤沢周平』 ■阿部達二『藤沢周平 残日録』 ■北影雄幸『命を生きる! 藤沢周平の世界』上・下 ■秋山駿『時代小説礼讃』 ■常磐新平・佐高信ほか『藤沢周平を読む』 ■幸津國生『時代小説と人間像〜藤沢周平とともに歩く』 ■向井敏『背たけにあわせて本を読む』 ■蒲生芳郎『藤沢周平「海坂藩」の原郷』 ■和田あき子『藤沢周平の世界へようこそ』 ■池内紀『ちょん髷とネクタイ』 ■高橋敏夫『藤沢周平ー負を生きる物語』 ■鷲田小彌太『時代小説の快楽』 ■阿川佐和子『あんな作家こんな作家どんな作家』 ■小沢信男他『時代小説の愉しみ』 ■『藤沢周平が愛した風景』(下の方の『藤沢周平と庄内』に) ■『この時代小説がおもしろい』■『この時代小説が面白い!』 ■岸本葉子『恋もいいけど、本も好き』 ■松田静子『藤沢周平の魅力』 ■『歴史小説の懐』 ■『百冊の時代小説』 ■『人生に志あり藤沢周平』 ■『司馬遼太郎と藤沢周平』+ 新聞書評 ■『続・藤沢周平と庄内』 ■『藤沢周平論』 ■『藤沢周平。人生の極意』 ■『藤沢周平のすべて』 ■『藤沢周平と庄内』 ■『海坂藩の侍たち』(追補) ■『藤沢周平の世界』
関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』
(岩波書店 06.2.21 1700円) 06.3記
時代小説家たちは静かに戦闘的な教養人である.彼らはその作品に何を託したのか.時代小説の感性とおじさん的感性が交錯する歴史の焦点にあるものとは.山本周五郎,吉川英治,司馬遼太郎,藤沢周平,山田風太郎など,代表的な時代小説家の作品を読み解きながら,時代小説の本質と近代日本のありかたを明らかにする画期的な試み. |
センシティブな人/ 生と死の境界域で/ 藤沢文学の本質/ 巧みな作家から愛される作家へ/ 化政期という現代の原型と『蝉しぐれ』/ 「内面」とは無縁の世界/ 時代小説の典型/東北地方の明るさ/ ユートピアの歳月 |
藤沢周平が登場したのは低成長時代のとば口です。そして作風が明るくかわったのは一九七七年です。経済が成長しても人間そのものが成長するわけではありません。
藤沢周平の時代小説は、経済成長しても人間はかわらないなあ、としみじみ感じた、いわば成長疲れした日本人の心情にしみとおりました。 時代小説は現代小説の変種ですし、藤沢周平は会社やサラリーマンというものをばかにしない人で、会社やサラリーマンを化政・天保期の東北の小藩海坂藩に映し出したということでもあるのですが、その小説には二百年をつらぬく日本人の姿のたしかなリアリティがありました。経済成長しなくても、人々の暮らしは満ち足りたものになりうると、藤沢周平は説得力を持った物語で語ってくれたのです。 さらに藤沢周平は、東北地方の明るさというものを表現しました。庄内平野は豊かでさわやかな場所としてえがかれています。それは宮沢賢治や井上ひさしがえがいた東北にもつながるのですけれども、東北は貧しくて暗いといった、これも明治初年、成辰戦争後につくられた通念に果敢に挑んで、あっさりと破っています。これこそ文学の力量というべきでしょう。 司馬遼太郎にしろ藤沢周平にしろ、そして山田風太郎にしろ、大衆文学の巨匠は、みな静かに戦闘的なのです。戦闘的教養人なのです。 |
■「私の青春の終わりにめぐりあったた、まぎれもなく忘れがたい一冊」(青春の一冊『故郷を廻る--』)というカロッサ『ルーマニア日記』やダビ『北ホテル』についても関川さんは紹介しています(生と死の境界線で/「海坂藩」の原風景」)。
なまけものの私はそれらの作品が気になりつつ、読まずにきていましたが、これを読んで「なるほどそういう本と背景があり、それが藤沢作品の培養土になったのか」と勉強になりました。■この評論集は、文芸評論家でもある関川さん独特のいささか決めつけ的な、「へえ、 そこまで言うか!」と思えるような展開もあります。
ま、関川夏央式藤沢周平論です。ときどき「?」というところもありますが、そういう気で読むとけっこう 刺激的でおもしろく読めました。さすがです。関川夏央さんは。
【帯】 65冊に凝縮された日本人の心
ムック『別冊宝島964号 藤沢周平』(04.3) を改定し、黒土三男監督
(映画・「蝉しぐれ」)へのインタビューを追加した文庫版。
*『別冊宝島藤沢周平』は このページの下の方にあります。
藤沢周平・佐藤賢一(鶴岡出身・作家)・山本一力(時代小説作家)・八尾坂弘喜(写真家)
『藤沢周平 心の風景』
(新潮社 とんぼの本 05.9.20 1400円) 05.9記
【帯】 この美しい国の風景を 作品はの中に昇華させ読者を魅了し続ける藤沢周平の“原風景”を
可能な限りヴィジュアルに散歩する!
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【目次から】 ■グラフ「 鶴岡・海坂の四季」文・藤沢周平 撮影・八尾坂弘喜
■藤沢周平「金峰山は母なる山」 ■グラフ「古写真に見る鶴ヶ岡城」 ■佐藤賢一「海坂とミクロコスモス論」 ■編集部「名作『蝉しぐれ』を歩く」 ■山本一力「たとえば、橋ものがたり」
力作である。何人かのライターに文を書かせ、ワンパターンの庄内の写真を配置した「藤沢周平特集」の雑誌・書籍を何冊か読んだ。 |
●僕は山本一力作品は数冊で読むのをやめた。彼が自衛隊のイラク派遣を認める発言をしたからです。なんか筋の違うようなことかもしれませんが、そういうのも読者の勝手です。
という山本さんですが、彼の「たとえば、橋ものがたり」の土佐弁と堀詰のどぶ川に落ちた話はおもわず読み入りました。(私も、土佐出身。懐かしいなあ)■117頁の「ペアトが撮影したと見られる永大橋」の写真には驚きました。長い長い木造の橋です。
なんの理由も根拠もなにもなく、勝手に『橋ものがたり』などの橋はこちらからあちらの人の顔が見える短いものだと決めこんでいました。
こんなに長いなら、小説の読み方が変わってしまいます。永大橋を渡りきると息が切れるだろう(笑)
オール讀物責任編集
『「蝉しぐれ」と藤沢周平の世界』
文芸春秋社 1200円 2005.9.15
記 05.9
■「蝉しぐれ」撮影日誌 黒土三男
■藤沢さんの日の光 井上ひさし
■父のぬくもりを感じながら〜愛用の品々 遠藤展子
■名作の舞台/海坂と鶴岡──藤沢周平世界の原郷 関川夏央 ■「海坂藩」の食卓を再現 湯川豊 ■私の好きな「藤沢周平この一冊」石田衣良/加藤紘一/江夏豊/川本三郎/藤原作弥/小室等/白石公子/三遊亭圓窓/皆川博子/あさのあつこ/佐高信/池内了/松平定知
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特に興味をひかれたもの
・井上ひさし「藤沢さんの日の光」 藤沢さんの上半身のこなしが---ギクシャクしている-----
・黒土三男「撮影日記」 たいへんだなあ。いやあご苦労様
・遠藤展子「父のぬくもりを感じながら」 業界紙に勤めていた時の新聞も段ボールに纏めてありました
・関川夏央「海坂と鶴岡」 関川のまとめあげる筆はさえている
・加藤紘一「風の果て」 鶴岡出身の国会議員----「私も読後、政治の複雑さ、人生のむずかしさをつくづく感じました」 憲法改定路線につっぱしる自民党の中で故後藤田議員のあとを継ぐ位置に立ってほしい。
・江夏豊「蝉しぐれ」 背番号28、完全数! 氏が藤沢さんの読者とは知らなかった。
福沢一郎
『知られざる藤沢周平の真実--待つことは楽しかった』
清流出版 1800円 2004.12.18
記 05.2
■黄金村高坂 ■鶴岡 ■山形 ■湯田川 ■東村山 ■東京 ■故郷
【帯】なぜ、作家の道を歩むことになったのか? 不遇時代、藤沢周平を支えた女性たちがいた! |
■著者、1953年生 『文藝春秋』記者をへて、ルポ・ライター。『藤沢周平のすべて』(追悼号 文藝春秋社)のために、教え子・関係者の取材をした。本書が第一作。
■著者は、本書を書く動機として「あとがき」で下のように書く。
藤沢はその時代の制度やしきたりを受け入れつつも、不変にある、男と女が織りなす人情とは何かを描きたかったのだ。‥‥ 藤沢周平という作家が、なぜ男女間の思い、人情を巧みに描けるようになったのかを探ろうとしたのが、本書を執筆する動機になった。 そこで、藤沢が辿ってきた人生を 振り返ってみた時、よくプロの小説家になれたものだと感心し、筆者なりに分析した小説家になれた理由を明らかにしたかった。 |
■この本で初めて知ったことがいろいろあった。著者の取材は制約された時間であっただろうが、「あとがき」によると、文春の取材後 本書のために追加取材もしたとある。
【例】鶴岡湯田川小玄関に建つ碑文は、「赴任してはじめて、私はいつも日が暮れる丘のむこうにある村を見たのである」である。ところが本書によると「決まりかけた候補」として「私はその生徒たちがかわいくて仕方がなくなった。多分ここが教育というものの原点だったのだろう」とのエッセイにある文章だったそうだ。
初めて碑文を読んだとき、どうも散文的なものだなあと思ったが、この本を読んで納得できた。藤沢周平さんは「これが学校の敷地内に建つと、なにやら現役の先生に注文をつけるようで、いやだからやめよう」と言ったらしい。なるほど、わかります。■藤沢さんは結核療養後、教職に復帰できなかったが、著者は「本人が教師に復帰することをそれほど強くは望んでいなかったと考えた方がいい」などと書いている。
私はこれには異論があるというより、反対である。藤沢さんの学校・教育・教え子についてのエッセイを読むと、元教師であった私は「藤沢さんは教職をあきらめたとき堅く唇をかみながら、涙した」と確信できる。
子どもと教育を愛する小菅先生の姿勢は、戦後の民主主義教育を支えていくひとりの優秀な東北の教師の道を歩けたと思う。
■本書で プライベートなことに筆が入りすぎたきらいがあるのは、残念。■書名『知られざる藤沢周平の真実』は仰々しいというかキワモノ的。
その書名については、書店で見つけたときから、このホームページに取り上げたときまで、違和感があった。
「知られざる〜真実」と著者はいうが、だれから 見ての「真実」だろうか。あくまでも著者が取材した範囲からの著者の考えたかっこつきの“真実”ではないだろうか。
どうも書名に抵抗感がある。「待つことは楽しかった」というサブタイトルは、どういう意味か。なんか読み取れないなあ。
佐高 信・高橋敏夫
『藤沢周平と山本周五郎--時代小説大議論』
毎日新聞社 1600円 2004.11.30
記 05.2
■時代小説ブームの解読 ■完結する物語などひっくり返してしまえ ■隆慶一郎は司馬遼太郎を見限って登場した ■「人々」を描く山本周五郎、「自然」を描く藤沢周平 ■「時評」というスタイルについて ■時代小説の始まり=『大菩薩峠』に漂う妖気 ■『山の民』は物語的面白さを拒む ■国家の吉川英治が、会社の司馬遼太郎になった ■ふたたび、山本周五郎と藤沢周平へ ■時代小説のそとへ、日本の外へ ■時代小説20選 【帯】英雄でなく庶民を、力ではなく生活を、正史ではなく闇の歴史を描いた時代小説の魅力を語りつくし、「日本史のなかの民衆的なもの」を捉えなおす画期的対談! |
■佐高 信には、『司馬遼太郎と藤沢周平〜歴史と人間をどう読むか』(光文社 99.6 1500円)があるが、今回の書の「はじめに」で次のように書いている。
対談相手の高橋敏夫の著は、このページの下の方にある『『藤沢周平 〜負を生きる物語』 』(集英社新書 02.1.22 680円)があります。
多くの経営者は、『徳川家康』を"経営の教科書"などと崇め奉る始末だった。
たとえば鐘紡の会長から転じて日本航空の会長となった伊藤淳二は「山岡荘八の『徳川家康』は、トルストイの『戦争と平和』を超える、日本の歴史文学史上、比類ない大河小説である」とまで書いている。
こうした浅薄な歴史小説観を徹底的に破砕するために、この本は企画された。
歴史は一人や二人の英雄によって動かされるのではない。多くの要素がさまざまにからみあって一つの流れをつくる。英雄も、しょせんは。時代の子〃なのだが、その視点を欠いたオメデタイ歴史小説が、あまりに多すぎる。どうして、そう簡単に自分を信長や秀吉に擬することができるのか?------
■この本にでている時代小説作家の本をほとんど読んでいないし、またふたりの挙げた思想家・政治家・文化人たちも知識があまりないので、ついていくのがなかなか困難です。
■失礼ですが、ふたりのおたくがうんちくを傾けて、おしゃべりしている本という印象でした。正直にいうと、歳をとるとこのような本を読む根気とまじめさがなくなってきたという感じです。う〜ん。
高津國生
『たそがれ清兵衛の人間像〜藤沢周平・山田洋次の作品世界』
花伝社 2000円 2004.9.3
記 04.10
内容〜目次から
■藤沢周平・山田洋次の作品世界の重なり合いによって生み出されたもの
■この映画の目指したもの
■映画と原作との共通点と相違点
■藤沢周平・山田洋次の作品世界の立場
■現代日本の文化における藤沢・山田作品世界の重なり合いの意味
●本書は、勤務先(日本女子大学)の学科機関紙発表した論文をもとに、出版に向けて 大幅な加筆をしたもの。●著者高津氏には、『時代小説と人間像〜藤沢周平とともに歩く』( 花伝社 1905円 02.12.27)がある。
●著者の『時代小説と人間像〜藤沢周平とともに歩く』の紹介などは、このホームページの下の方にありますので、ご覧ください。●著者は「小説と映画の作品世界の重なり合いが多くの人々に受け入れられたのである。このことは、何を意味しているのか。そこには何か画期的な出来事が生じたのではないか」(「はじめに」より)と、著作を展開している。
●が、私は 両者にはかくべつ、うるさくいうような、重なり合いはないと思う。
だから、 困ったなあ--------------。
別冊宝島964『藤沢周平』
宝島社 1200円 2004.3.3
記 04.5
内容 ■文庫版全作品---簡単なメモ的なものから数ページにわたる解説まで
■「映画「たそがれ清兵衛」を語る山田洋次監督〜本物のチャンバラを撮りたかった
(山田監督は「宮本武蔵」を撮りたいと思い、藤沢さんに話を聞きにいく) -------藤沢さんは、当時売れっ子中の売れっ子、着物を着て総髪で・・・という想像をしていたら、実際は田舎の中学の先生のような素朴な感じの静かな人でした。
ああ、これが藤沢周平なんだと、とても感銘を受けたことを覚えています。----■作品の登場人物などを図解した「人別調べ」がおもしろいといういか----
■『本所しぐれ町』切り絵図
■藩士(おとこ)たちの剣術流派図
■江戸の人々の生活・藤沢周平作品の・・・
など、写真・図版なども入り、力の入った編集。
●テレビの横に置いておき、コマーシャルの時間やちょっと時間のあるときに 読んだり眺めたりするのにいいかな。●藤沢作品の評論などではあまり見かけない著者の集まりです。
例 細谷正充氏他(あの子沢山用心棒細谷さんの子孫だったりして(笑))
●著者たちには、“チャンバラ派”もいるようだ。藤沢作品に登場する「藩士たちの剣術流派」など、マニアチックで力が入っているな。
藤沢さん以外の時代小説はほとんど読まない私だし、剣道もしてないので、作品に出てくる侍たちのチャンバラがよくわからない。(例 正眼(青眼)にかまえる・・)●写真・図版などが本書の特色ともいえるものだ。知らなかった映画の写真まである。(「神谷玄次郎捕物控」1990年松竹)
阿部達二『藤沢周平 残日録』
文春新書 790円 2004.1.20
記 04.5
文芸春秋社の藤沢さん担当の編集者だった阿部達二氏の本です。これは変わった藤沢本です。帯に「150のキーワードで浮かび上がる“ちょっぴり偏屈な”作家の素顔」とあるように、150の言葉・作品を「あいうえお順」に並べたもの。
【だだちゃ豆/カタムチョ/近所の喫茶店/選挙演説/--------】“藤沢事典”ともいえるようなものです。
■「(藤沢周平の)散歩道に大きな欅(けやき)の木があった。-------冬の大木は、すべて虚飾をはぎ取られて本来の思想だけで立っているという趣がある。もうちょっと歳取るとああなる、覚悟はいいかなと思いながら、(坂道をのぼる)」 これは藤沢周平「冬の散歩道」『小説の周辺』(文春文庫)の一文である。
■「この欅が、海坂藩の城下、五間川のほとりに移植された。晩年の短編「静かな木」『静かな木』(文春文庫)である」 ■「福泉寺の欅も、-----こまかな枝もすがすがしい裸である。-----あのような最期 を迎えればいい。ふと、孫左右衛門はそう思った」(「静かな木」)
■で、小説は老人・孫左右衛門の活躍であるトラブルを解決する。 と、阿部は引用をする。そして、「藤沢は、世の元気老人一般のように「自分だけは老いない」と考えず、老いへの覚悟も心の準備もできていたようである」と書く。 で、この項目は終わりかなと思うと 藤沢周平さん、エッセイ、小説、欅、老い 見事な構成である。 |
● 作家と編集者の日々についての項目もなく、語られることはない。
編集者の含羞というのか。編集者の仕事のわきまえであろうか。● しかし、読者は編集者から見た作家の姿も知りたい。 作家はあの大量の作品をどのようにして生み出したのだろうか。
北影雄幸『命を生きる! 藤沢周平の世界』上・下
大村書店 各1600 2003.9.24刊 03.10記,04.3追記
上巻 | ○「藤沢周平」という生き方 自然観 人生観 死生観 処世観 文学観 ○庶民のひたむきな生き方 検証・藤沢周平の描いた魅力的人間像 |
下巻 | ○『たそがれ清兵衛』と『蝉しぐれ』凛とした生き方 映画「たそがれ清兵衛」人気の秘密 名作『蝉しぐれ』魅力の分析 ○武士の清冽な生き方 検証・藤沢周平の描いた魅力的人間像 |
●著者の名前は初めて聞いた。著者紹介によると、「“男の生きざま”をテーマに、武士道と軍人精神の究明に傾倒し、関連書籍の出版を重ねる」と。なんかおどろおどろしいなあ。武士道・軍人精神なんて。私の近寄りたくない道・精神だな。
「男は闘い、女は堪え忍ぶ」なんてこと書かれていたら、かな わんなあと思いつつ読んだ。結論として、「そんなに男男・侍侍した筆の本ではないなあ」というところか。
藤沢作品を “男気”で読む人もいるかもしれないが、私は“人間気”として 読みたい。言い換えれば、藤沢作品を「男が」、「女が」、とか言わずに読みたい。 そういう作品だと思う。
●本書は、藤沢作品について書かれたものだが、ひとつ他の本と違うことがある。 それは、映画「たそがれ清兵衛」公開後に出版されたこともあり、映画「たそがれ清兵衛」についてかなりの紙面をさいて書かれていることだ。
●上下二卷というのも同様の本としては珍しい。かなりの分量だと予測されるが、 約半分は 作品の(簡単な)の読みどころとあらすじが占めている。はたしてこれは必要だろうか。
秋山駿『時代小説礼讃』
日本文芸社 1550円 1990.12.20 03.5 記
本書内容
■時代小説について 剣・この簡単な物 時代小説の役割 時代小説礼讃(桶谷秀昭、中野孝次氏との対談)
■柴田練三郎 五味康祐 坂口安吾 白井蕎二 中里介山 津本陽 隆慶一郎
藤沢周平(『蝉しぐれ』・『たそがれ清兵衛』) の作品書評
この小説の本当に味わうべき肉は、事件ではなく事件を取り包んでいるものの側にある。取り包んでいるものとは、城下町の姿であり、自然というか季節の移ろう感じであり、日常のゆっくりした時間である。 「--木立の下に入ると、頭上から蝉の声が降って来た。---日射しはまだ暑かったが、木々の葉を染めている明るみには秋の気配が見えていた」(藩の処分で転居することなったとき、最後に今まで住んでいた家の周辺を描写した文) こういうところが、この作品の主調だ。至るところで、繰り返しこの旋律が鳴っている。----題名の『蝉しぐれ』とは、この旋律のことだ。 |
小説の場合、作者によって料理されているのは読者の心理である。 したがって、料理されたわれわれには、読後にある感慨が生じる。それが、愉しさだ。 1.ほのかな明るみ、が射し込んでくる。 2.おなじことかもしれないが、読後、われわれの心事が晴朗になる。 それは第一に、この主人公たちの人間味と、夫婦の味わい、日常の暮らしぶりなどが、デッサンの的確さで描かれることから生ずる。--------- |
さすが秋山駿氏と言いたい。ただ、他の時代作家の作品についてはほとんど知らないのでなんとも。
常磐新平・佐高信ほか『藤沢周平を読む』
プレジデント社 1400円 1995.2.28 03.5 記
う〜ん、「プレジデント社」 「プレジデント(大統領、総裁、会長、学長)」とは、なんちゅー会社名やねん!」と思う。ま、政財界などのトップもしくはその予備軍向けの出版社だろうか。どうも基調はサラリーマンを叱咤激励し、お説教し、プレジデントへの幻想を煽るものがあるみたい(かな)。
この会社の雑誌『プレジデント』(ちょっと昔の話。今は知らない)は、藤沢周平さんの特集をしていた。それはそれでけっこうなことだがが、表紙の肖像画が“脂ギラギラ・欲望むきだし”という感じで人物が描かれていて、手に取ると脂がべっとりとくっつきそうで思わずひいていました。それに私には関係ないもんね。本書はその雑誌に掲載されたもの(9本 93.9月号)と書き下ろされたもの(4本)を集めた「私と藤沢作品」集です。
雑誌の企画に「ビジネスマンに推薦する本」という企画があります。オエライ人たちがビジネスマンに推薦する本として、藤沢作品をあげたりしています。その理由になんか違和感を感じるときもありますが、ま、『徳川家康』や司馬作品なんかよりは---------(略)。
なかには、『漆の実のみのる国』を リストラ読本なんて薦めている人もいて、たまらんなあと思ったりしました。(この本がそう書いているのではないが)
【帯から】
『密謀』『三屋清左衛門残日録』・・。藤沢周平清冽な世界をビジネスマンの視点から読む。
秋山富一・商事会社社長 | 『密謀』と直江兼続 |
佐高 信・評論家 | 『市塵』と新井白石 |
三好京三・作家 | 『漆の実のみのる国』と上杉鷹山 |
高橋義夫・作家 | 『回天の門』と清河八郎 |
神崎倫一・経済評論家 | 『雲奔る』と雲井龍雄 |
水木楊・作家・新聞社 | 『用心棒日月抄』 組織に弄ばされながらも飄々と生きる |
江坂彰・作家(企業もの?) | 『蝉しぐれ』 派閥抗争に巻き込まれた男の悲劇 |
塩田丸男・作家 | 『三屋清左衛門残日録』 あるハッピーリタイアメント |
常磐新平・作家 | 『海鳴り』 男が「道ならぬ恋」に身を焦がす時 |
佐江衆一・作家 | 活人剣の味わい |
常磐新平 | この魅力的な女たち |
尾崎秀樹 | 藤沢周平その人と作品 |
半藤一利・出版社 | 「海坂藩の城下町」鶴岡を歩く |
ま、小説の読み方は自由です。が、この本のように、藤沢作品の登場人物やプロットをビジネスマン・サラリーマン・経営者の物語にひきうつして評するのには、なじめない。
*そうではないものもありますが。『蝉しぐれ』を読みながら、「一種のサラリーマン小説」「派閥」「---」と現実の会社・組織を想い浮かべながら読むなんて、もったいないことよ。
もっと気軽に小説をたのしみたいな。
幸津國生『時代小説と人間像〜藤沢周平とともに歩く』
花伝社 1905円 2002.12.27 03.3.30 記
時代小説における人間の探求 | 時代小説に何を求めるのか /作者と作品の関係 /人間と自然の関係 /人間と人間の関係 /人間の探求 |
時代小説の時間感覚と人間像 | 町の光景 /自己と世界との関係における個人の人生の意味づけ /時代小説における自己と世界の関係 /作品を読むということ /時代小説の舞台としての江戸時代 藤沢の時代小説の人間像 /「約束」における人生の意味づけ /自己の世界との関係の新たな在り方への可能性 |
【あとがき】より抜粋要約
「藤沢の作品群に触れたのは、没後であった。回顧特集などに惹かれ、やや受動的に読み始めたが、作品に惹かれて読み進めていくうちに、むしろ積極的な読者になった。繰り返して読んだものも含め全作品を読んだ。さらに、小説の舞台(江戸・深川・海坂藩)を登場人物になった気分で彷徨ったりした。病膏肓という状態という状態である。-----。
【帯】より抜粋 人間を探し求めて。 藤沢周平ととにも 時代小説の世界へ 人間が人間であるかぎり変わらないもの 人情の世界へ
【あとがき】より抜粋 |
■数年前、学生さんから「藤沢周平を卒業論文で書いた」とのメールをいただいた。「へぇ、藤沢周平さんを卒論の対象にするのか」「気の毒に、藤沢作品を愉しめなかっただろうなあ」とお節介な感想を持ちました。■本書は、大学の「学科研究誌」に発表したもの。ま、小論文みたいなものか。 学生さんだけでなく、大学教員も藤沢周平さんを研究の対象にする人もいるらしい。
■すてきな作品や映画をみたあとに、感想を聞かれたり評論を書かなければならないのは、作品を楽しんだ罰みたいなもんだ(楽れば苦あり)。いやですね。
私が小学の教員をしていたとき、読書感想文を求めて書かすことはしなかった。■それよりは、気の合う友だちとおいしいコーヒーを飲みながら、「オレは藤沢さんの○○が好きだなあ」とか『蝉しぐれ』のおふくさんと文四郎の会話を暗唱してみせる方がいいなあ。
■本書は著者が「勤務先(日本女子大学)の学科機関誌に発表したものに筆を加えたもの」を 原稿持ち込み出版(自費出版)をしたものと思われる。
今の大学では 教員の論文は紙に印刷されるだけでなく、大学のコンピュータにも入力されているのだろう。本書の巻末の「索引」の項目に【これからは】【あるがままに】【むかし】 【人間】なんてものもあり、コンピュータでの検索時のキーワード登録でもしているのかなあと そのマメさに 驚く。しかし、【これからは】という言葉で索引・検索するのは著者だけだろうなあ。本書は研究者のお仕事の論文をそのまま商品にしたようなものだ。持って回ったような文体、わざとらしい面倒な表現、------などは、普通の人向きの文章からかなり外れた「大学内・研究者お仲間内方言」ともいえるものだ。《例文-上の水色枠の文章》
だから、書かれている内容を読みとる前に、文章に抵抗があり途中でなげだしたくなった。一応読み終わるのにかなりの忍耐が必要だった。
しかし、研究者ともなると、作品をしっかりと読み込みそれを組み合わせて論証するものだなあ。
■このホームページ「藤沢作品の魅力をえがいた本」に取り上げられた本は 3つに分けることができそうだ。A 藤沢作品が大好きで、「こんなところがすごい」「おもしろい」「好き」だと、書くことを楽しんでいる。だから、読者もそれが伝染して楽しくなる。
B 藤沢作品・作家に自分なりの解釈・評論を加えようと試みている。なかには、ひとりよがりだったり、奇を狙ったために藤沢論というより、著者の演説・聞きたくもない人生論になっていたりしているのもある。
C 著者が書く動機・理由がそんなにうかがえない。出版社の求めに、または生活のために書いたように見えるもの。また、自己満足のために書いたものも、藤沢周平をネタに著作を持とうとしたもの。(と、私が思うだけ)
ま、いろいろだ。これからは、“研究書”的なものが増える予感がある。あまり、作品や作家をこねくりまわさないでほしい気もします。(勝手ですがね(笑))
このホームページの作者には、「ヘーゲル哲学」「アンリ・ベルグソンの哲学」コンプレックスがあるような気がする(笑) (読者)
『背たけにあわせて本を読む』
文芸春秋社 02.11.10 2286円 02.11.24 記
2002.1 逝去 向井氏の書評は名人芸といわれた。本の選択のひとつの目安にしたばかりか、本の読み方の参考書にもしていた。向井氏は『藤沢周平全集』の解説者として、藤沢周平ファンには忘れがたい書評家だ。下の書評の中には単行本未発表のものもあります。
菜の花忌と寒梅忌 00.3 文藝春秋 |
司馬遼太朗の「菜の花忌」と藤沢周平の「寒梅忌(1.26)」を作中にでてくる菜の花と寒梅を引用し、それぞれの作者にふさわしい名前だという。 |
「はだか童」の諧謔 99.5 本の話 | 「葭簀(よしず)よりはだか童(わらべ)の駆け出づる」 との療養所での闘病中の句。「もし彼が句作を続けていれば、この系統の諧謔を秘めた佳句がいくつか生まれたであろうに。惜しいことをした」 |
寡黙な人々 97.6 本の話 | 「脳裏にある私の読者層は、概して寡黙である」(『周平独言』)と藤沢さんはいう。作品に登場する人物も寡黙であると著者はいう。 |
江戸の人間交差点 95.12プレジデント | 『本所しぐれ町物語』の商家とその人々。ラストの「秋色しぐれ町」で「作品の全体の印象がずっとやわらかく、ずっとなごんだものになった」という。 |
『早春』の謎 97.4 文藝春秋臨時増刊 | 唯一の現代小説『早春』と『三屋清左衛門残日録』とのちがいは。 |
藤沢周平が遺した世界 97春 別冊文藝春秋 | 『漆の実のみのる国』をめぐって |
両刀づかい 00.9 本の話 | 直木賞に選ばれた『暗殺の年輪』の選評がまるで落選の理由のようだ。その中で水上勉は藤沢を「時代小説の軟派という世界を耕してほしい」とエールを送っている。 藤沢か軟派の小説なら、司馬は硬派、著者は両方つきあえしあわせという。 |
蒲生芳郎『藤沢周平「海坂藩」の原郷』
(小学館月刊総合文庫 02.7.1 657円 02.11.22記
![]() | 本書の目次から ●第一章 面影を偲ぶ ・藤沢さんの思い出 ・二つの遺墨の間 本書の特色は、小菅(藤沢周平)青年の師範学校時代の様子・文学活動などと その後故郷の人々との交流記にある。 ●第二章 作品を読む
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和田あき子『藤沢周平の世界へ ようこそ』
(かわさき市民アカデミー出版部 シー・エー・ピー出版 02.3.30 650円
ISBN:4-916092-49-X MBN:MJ02037942) 02.10.30記
![]() | ■本書は、「川崎市市民アカデミー文学ゼミ」講座の記録を編集したブックレットだと思われる。 ■内容は、「作品・作家の世界」と「大泉学園町の作家」の二部。 ●「作品・作家の世界」は、藤沢周平さんの作品を引用しつつ、作品と作家を浮かび上がらせている。藤沢作品を読み始める読者に最適な指針とも言える。 ある種の藤沢周平論には、著者自身の一方的な想いや思いこみの押しつけ的なのもあるが、本書にはそれが感じられない。 藤沢さんゆかりの町の風景風物の写真も掲載してほしかった。(ブックレットという性格上出来なかったことだろうが)
第二部の見出し「作家としての生活者」との日本語には違和感を覚える。意味も不明で、なんかもやもやもやとしている。だいいち生きている人間はみんな生活しているからわざわざ生活者なんて流行の言葉を使うことはないのになあ。ところで、俺は
「無職としての生活者」というのかなあ。 |
池内紀『ちょん髷(まげ)とネクタイ 〜時代小説を楽しむ』
(新潮社 01.11.25 1800円) 02.4.22記
![]() | ■ドイツ文学の池内が時代小説エッセイを書くという取り合わせは予想外だ。 『ちょん髷(まげ)とネクタイ』との書名について次のように書いている(あとがき)。 --------- 時代小説は現代の小説である。舞台は庄内藩だったり、時は天明であれ、決して過去に行きっぱなしになりはしない。小説を生み出した『今』が色濃く投影されている。
■意表をつく小見出し「藤沢周平を持って豊島園に行こう」。豊島園って、聞いたことがあるような気もするが、それ以上は知らない。どうも遊園地らしい。ならば、 そこへ藤沢周平を持っていくって、ますますわけがわからない。 豊島園の近くの「城南住宅」の片隅に藤沢作品の登場するような住宅があるという。 この自由な切り口・発想は 時代小説論に珍しいものだ。池内は、上のような話をどこから入手したのだろうか。 |
高橋敏夫『藤沢周平 〜負を生きる物語』
(集英社新書 02.1.22 680円) 02.4.28記 02.8.6改訂
【目次・小見出し】・藤沢周平、その魅力の源泉。負を生きる物語/・負を生きる物語の方へ/・藤沢周平のほうへ、同時代作家と藤沢周平/・藤沢周平これでしばらく生きていける
【読書感想文】 そりゃあ初期の作品は、藤沢さんが書いているように(『又蔵の火』あとがき)「暗い情念が生み落としたもの」「負のロマン」といえるでしょう。その一
だからといって、こう次々と「負の物語」「負を生きる」「負」-------とやられるとまいります。
そうでしょうか。素朴に読むと、「負」なんていえない明るいユーモラスな作品もあります。
作品論にとどまらず藤沢さん自身の生き方まで「負」であるように読みとれます。他人の生き方にそんなことをいっていいでしょうかねえ。今朝のコーヒーはおいしいなあ、という日常生活があり、家族・知人・友だちと楽しく生きたのではないでしょうか。
その二 143頁から引用
「ユーモア(笑い)が、哲学者アンリ・ベルグソンの指摘するとおり、あるものの「こわばり」を人が突然自覚することにかかわるとすれば、市井の側から体面や言動における「武士なるもののこわばり」をあばき、武士の側から風俗や常識といった「市井の者のこわばり」をてらしだすことを可能にする浪人は、いわばユーモアの達人といってもよい(ユーモアを生む「距離」の確保は、「隠居」にもいえ、『三屋清左衛門残日録』に空虚感とともにただようユーモアがそれである)。」 こういう文章はどうも苦手だ。
「ベルグソンの指摘するとおり」と突然言われても困ってしまう。その人を知らないからなあ。著者はこの新書本の読者をどう想定して書いたのだろうか。おもうに、購買読者より大学周辺のお仲間を対象として書いたのではないだろうか。普通の市民も「ベルグソンの指摘」を理解していると思っているのかなあ。また、こんなに長い長いセンテンスの文章を読むのもつらい。この本には、引用部分のような私にとっては難解な表現が散見されて、閉口しました。
著者の書かれているところが理解できない私がバカであることは、認めます。が、 こういう文章を読むと、藤沢さんは小説でもエッセイでもわかりづらい文は一行も書かなかったとあらためて思いました。平易で美しい文章も藤沢作品の魅力だと思っています。
その三 本書で取り上げられた作品は他の藤沢評論本ではあまり取り上げられないものがあります。それらを読んでいて、「そういえばそんな作品があったなあ。また読もう」という気にしてくれました。
小沢信男・多田道太郎・原章二『時代小説の愉しみ』 01.3.27記
(平凡社新書 01.3.19 660円)
原章二
「時代小説の美と思想〜山本周五郎『ながい坂』と藤沢周平『風の果て』を読む」私は残念ながら、『ながい坂』を読んでないので-------------。周五郎で読んだのは、『?の木は残った』と人情物(説教くさかったなあ(失礼))を1〜2冊、それに映画化された「雨上がる」くらいですので、なんともいえません。ただ、山本作品には突然「とかく人間というものは、-----」とか「-----というものが女の性だ」なんて出てきて面食らいました。
周五郎は、私にはあわないような予感がします。
鷲田小彌太『時代小説の快楽』 01.3.27記
(五月書房 00.10.25 1900円)
「普通の人の当たり前の人生」で藤沢周平さんの人物・作品を論じている「時代小説はビジネスマンになるための必読書」という著者は、なんかわざと奇をてらって書いたような部分もあるし、一読 いくつかひっかかる所があります。で、気がむいたらそのうちにこの本について書くことにします。
どうも 今のところ書く気になれません。で、ここでは書名紹介だけ。
阿川佐和子『あんな作家 こんな作家 どんな作家』 01.3.27記
(講談社文庫 01.3.15 571円)
「先生はミステリーがお好き」
ふ〜ん。ちなみに小見出しの好きなミステリーのインタビューのときは、ドロシー・ユーナック『二度殺された女』文春文庫 を熱く語られたそうです。
午前中はコーヒーを飲んだり新聞を読んだり散歩したり。三時頃から机に向い、原稿を書き始めるという毎日。
「出勤型なんです。日常の生活から二階の仕事場に出勤する。これがなかなか、交通停滞とか遅刻とかがあって、すんなりいかないときがありましてね」
話をするときの藤沢さんの指先には表情がある。長くて細い、しかし安定感に満ちたきれいな指をしておられる。
「二階で男上位の物語を書いて、下に来ると家内が威張ったりしてね。あのお父さん(弘之)の娘なら インタビューをそうそう断られることもないのか、なんと57人の作家の話を聞いている。彼女と藤沢さんとはなんか妙な組み合わせに思える(笑)
櫻井秀勲『この時代小説がおもしろい』 00.8.27記
(編書房 99.3.10 1150円)
「第一章 今は亡き巨匠たちの作品群」のトップに「藤沢周平とその作品」。●動きのある出だしの文章の絶妙 ●(作家に必要な)経歴、過去、環境の大切さ
●大自然を題名にする必然性が----(この小見出しはミス。藤沢作品で大自然を題名にしたものはないと思うがね。また、必然性について書かれてない。) ●ぜひ読みたい作品はどれか
藤沢は松本と似ている----(要約) ▲藤沢が結核で入院したその年に清張は芥川賞受賞。藤沢は清張の時代小説を読んでいたと推測される▲藤沢のもつ庶民性は、清張作品の基本でもある。清張の『無宿人別帳』は藤沢が業界紙に就職した年から連載されている。この無宿人の物語は、のちの藤沢作品の大きな柱になっている。(第二作『黒い縄』)
「無宿人が藤沢作品の大きな柱」には、私には大きな異論があります。▲藤沢の側面を見る限り、いくつかの面で清張とひどく似ていると 著者。
(1) 文壇登場が 43歳
(2) それまでの 半生が不遇
(3) 出世作が 森鴎外、北斎 という巨人をテーマに
(4) 市井の人を 初期の作品で扱っている
(5) 初期は 短編からスタート少々 こじつけ過ぎではないの? そして、著者は「この共通点から、大人がじっくり味わい読める作品でありながら、現代人の生き方を暗示する作品が藤沢作品である」という。どうも、理屈が飛びすぎて説得力がない。
著者はラストに「芳醇な酒をゆっくり味わうようにじっくり読むのが、藤沢作品のほんとうの味わい方ではあるまいか。心が洗われることは間違いない」と書く。それなら、その“芳醇な酒”についてもっと語って欲しい。清張の共通点をさぐるのではなく、藤沢酒自身の味わいをね。
(清張は読んだことがあるが、嫌いでも好きでもないことを書いておこうっと)表紙の藤沢周平さんのイラストはなんともなんとも。これでは本の売れ行きにも影響があると思う。
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これは時代小説マニアの本のようだ。時代小説を題材として【作家・作品・キャラクター・歴史・マルチメディア--】と幅広く書かれている。
藤沢周平さんは、「作家を極める」章「まず最大の人気作家を押さえよう」に
司馬・池波に続いて登場する。 氏の「悲しい思いをした人はね、自分の胸の内にしまっておけないものがある。それを抱えたまま死ねない。そういう切実なもの、やむにやまれぬものがあって人は小説を書くんだと思います」(「小説を書くきっかけは」より) と「現代小説を書くと私小説になりそうだから(時代小説を書く)」(直木賞受賞後記者会見より)というコメントがある。この章の著者はそれをもとに次のように書く、
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次は、類書ではあまり取り上げられない「マルチメディアで楽しむ」の章に藤沢さんの作品で映像化《全てテレビ作品》されたものがリストアップされている。こういうのは、初めてみた。
“遅れてきた藤沢ファン”としては知らなかったのがたくさんある。私の印象に残るのはなんといっても、仲代達也「三屋清左衛門残日録」だ。村上弘明「腕に覚えあり」の私設ハローワークスの坂上次郎は よかったね。
藤沢作品の映画がないのは ●私はその理由は、「藤沢作品には信長・家康みたいな大量殺人政治家もでてこないし、仕事もせんと家出して法螺をふいてあちこち歩く龍馬さんのような人もいないし、大菩薩峠で意味もなく人を斬り殺す侍もでてこないから商業的に映画には向かないからかな」と考えていた。
それもあるが次の指摘がある。●「藤沢周平が、直木賞を受賞した1951年(昭和四十八)は、日本映画界が低迷を極めていた時代と重なる」 手元に日本映画史の年表がないから、この説にはなんとも言えないが、黒沢明と三船敏郎は 藤沢作品には似合わなかったような気がする。
同じ用心棒でも、黒沢作品「用心棒」の仲代と 『日月抄用心棒』の又八郎さんはもうこりゃあ 怖さが違う(笑)。黒沢「七人の侍」のグループ用心棒はもうプロだぜ。
-----変な文章になったが、わざと消さずにおいておこうっと-----
またまた、藤沢関係について書いてある本を発見しました。 やっぱり、買ってしまいました。私の場合そう言う偶然が多くて、知り合いにも「よく見つけるよね。なんか、Aさん、匂いするんじゃないの?」と言われてしまいました。本当に偶然なんですけど・・・(笑) |
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ファンであり続けることが出来たのには、作者の風貌も大きい。作者の顔を見たら、作品から抱いていたイメージと違い過ぎ、裏切られたような気がすることは、よく あるものだ。 この作者についても、作品を好きになるにつれ、(これでもし、思っているのと正反対の、ぎんぎんに脂ぎった人だったらどうしよう)と不安がつのった。ある日出版公告の写真が、不意打ち的に目に飛び込んできた。そのときはほっとした。 世俗の欲からはいかにも遠そうなたたずまい。山形師範学校に学び、子供たちを教え ていたという経歴までも似つかわしい。作者の顔と人となりが、作品とこれほど一致 しているケースも、めずらしいのではあるまいか。 |
の部分です。
これって、やっぱり女の人ならではのコメントだなあと・・・
でも、やっぱり私もどういう人がこの作品を書いているのかなあとか結構気になるほうです。 作品についてのコメントは多いと思うけど、作者の風貌についてのコメントは初めて見たような 気がしました。あと、『三屋清左衛門残日録』のなかの文章に
「いよいよ死ぬるそのときまでは、人間にあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして 生き抜かねばならぬ」 と言うメッセ−ジがあった、と言うところがありました。
これを見た時に、これは、藤沢周平の人生そのものだなあ・・・と思いました。やっぱり、人は生まれたからには人生を一生懸命生き抜かなくてはいけないんだなあと改めて思い、なんだか一人色々と考えてしまったのでした。 ----------------------------------------------------------------------------------
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1940年生 現在鶴岡工業高校国語科教諭 鶴岡市在住
「私が(藤沢周平)作品論を書き始めたころ、私の亡父が若いころに、青龍寺の小学校に勤務していたことをふと思い出して、藤沢さんにお手紙を差し上げたことがあった。すると、すぐにお返事が来て、三年生のときの担任だった。不思議な縁だという旨のお言葉があり、感激したのを思い出す」(本書「あとがき」より)
●エッセイ--藤沢周平の世界を歩く(二の丸の桜 欅のある風景--) |
庄内の人と「生家からは、東の方に月山が聳え、西には金峯山や母狩山が低く連なっているのが、美しい風景画のようによく見えた」風物とともに生活している著者ならではの 本です。鶴岡旅行のときに、市民図書館で拝見した地元の新聞などにも 著述を拝見し、「作品舞台に生きている」ことを羨ましく思いました。最後の「高校生と『蝉しぐれ』を読む」は、高校と小学との違いはありますが、元教師の私は興味深く読みました。
「今年の春から鶴岡を離れ、東京に住む前に、この作品を読みことができ、うれしかった」との感想はこちらもうれしくなれました。
そこにある高校生の読書感想文はいささか 肩に力の入ったいかにも“読書感想文”でしたが(失礼)、ラストの
![]() | ▲東京工業大学教授・山室恭子さんの書評は好きだ。意表をついた視点からの書評・手の込んだ文の書き方(アクロスティツクで書いていたことすらある)など、毎日新聞の書評欄が楽しみだった。 ▲歴史学者としてもおもしろい人らしく 『黄門さま犬公方』中公新書 は、おもわず説得されてしまった。 ▲さて、山室氏が藤沢作品の何を取り上げたか、どう料理したか、隠居には大枚2500円は痛いが、誕生日だし、どんなに書いているかの興味の方が勝ち購入しました。
▲なんと、シリーズの話の季節を取り上げている。 |
これには、気がつかなかった。ところが、『孤剣』『刺客』『凶刃』と巻が進むにつれ、「温暖化現象」が始まり、しだいに日脚が伸び、寒さが緩んでくると、話の季節を見せてくれる。なるほど、暖かい春・秋も多く、『日月抄』にはなかった夏も出てくる。おもしろい。
▲と、指摘されてみると、たしかに第一作『日月抄』はユーモラスではあるがなにか緊迫した気分で読んだ。ところが、巻が進むにつれ、 又八郎さんの脱藩・用心棒生活もしょうしょうぬるいものになってくるもんなあ。アルバイトもさることながら、佐知さんとの話にも力が入りだしたもんなあ。
★ついでに書いておくと、このシリーズでの アルバイト仲間の髭の細谷氏の最後はつらいなあ、藤沢周平さん。
▲文芸雑誌編集者の著者は、かなりの「ちゃんばら」ファンのようだ。▲藤沢作品は 6つ選定されている。
(1)剣客 「決闘の辻」(武蔵の執念の力) 『暗殺の年輪』(一撃で倒す武士魂)
『麦屋町昼下がり』(白昼にふさわしい決闘)
『隠し剣孤影抄』(破滅の宿命を自覚)
----いずれも剣の場面に力を入れて紹介されている。(3)武将・武士道・謀略 『三屋清左衛門残日録』(隠居武士の公平・寛大さ)
『蝉しぐれ』(政変に挑む下士描く成長小説)▲「伝奇・忍法」の章にないのは、うなづけるが、「人情・捕り物・股旅」の章には 藤沢作品は選ばれてない。
▲ということで、この著者は藤沢周平を剣の描写のうまい作家として書いている。確かに、藤沢の剣の描写のうまさを評価する人もいるが、 著者のように『蝉しぐれ』ですら、剣の描写の部分に力を入れて書くのは、珍しい。
▲剣・ちゃんばら・やっとう については何も知らない私は、藤沢作品でのその描写も何が行われたか分からない。という意味で、この本のような藤沢作品の取り上げ方は私の好みではない。しかし、ちゃんばら小説の好きな人には、それも藤沢の魅力だろう。
剣道をする知人もその方面から入った藤沢ファンである。しかし、ボクは人の頭を棒で叩くのは好きでない(笑)。
『残日録』を定年退職したばかりの先輩が読んで、大いに身につまされたという感想を聞いたことがある。筆者は身につまされるというより、うらやましいという思いに駆られた。 ---この主人公が隠居生活に入ったのが五十二歳、衣食住に恵まれた境遇もさることながら、隠居時点での若さがうらやましかった。 若いころに親しんだ剣術道場や塾に通う余力が残っているからだ。----- |
▲藤沢論が次々と出版されるのは嬉しい。 さて、この著者を知らなかった。略歴に「1947生 新聞記者・雑誌編集者をへて評論活動に」とあり、主な活動は某革新政党関連出版社のようだ。
▲で、「この評論は某党らしい図式的・定型的・類型的なものかな。だったらいやだな」と少し思ったことを告白しておこう。
▲早々に脱線をしよう。年上の女性問題運動家に藤沢周平を勧めたことがある。感想は予想されたようなものだった。
▲しかし、藤沢周平さんの作品はそういうことを感じさせない、それを越えている
ものと読んできた。よめば、彼女たちがただ封建的な男社会に堪え忍ぶだけが人生とは描いてない。そういうものを越えた生きているひとりの人間描かれている。 |
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▲若い時代小説作家・乙川優三郎の作品は、“封建時代の不条理”“封建社会への憤り”が 主旋律として流れている。それはそれで、彼の志を感じることはできる。が、小説としてやや定型的になっている。
言い方をかえて、大胆にいうと、小説を読む楽しみにかける気がする。作者の思い・憤りが勝ちすぎている。(藤沢さんの初期の作品とはまた違うものだが・・・)▲さてこの本の著者は“封建社会の不合理”“今の国政への批判”へ向かっている、それはそれで彼の今までの活動からみると当然の視点であろう。
あえていうと、乙川の志を持って藤沢作品を読んでいるように私には感じられる。だから、いささか息がつまる評論でもある。評論集だから力が入るのはまああたりまえだが、 読者はいささかへきえきとする。
▲著者の綿密な作品の読み方には感心する。勉強になった。
■ 国の本は民にあり--------『漆の実のみのる国』 (遺作の要諦) ■ 背を打つ霙は冷たくて---『又蔵の火』と武士道 (初発の心) ■ 市井に情と詩あり---------浪人青江と俗世の人一茶 (転機の作物) ■ 人それぞれに花ありて----新兵衛とおこう、文四郎とおふく、清左衛門 (自在の筆) |
藤沢周平の文学をひとことで言うと、問う人がいる。ヒューマニズムと答える。このヒューマニズムは、周平さんのように一見、弱々しくはかなげである。だが、健気である。周平さんの作品の題を借りるなら、そう「雪割草」のようである。春がめぐり来て雪が溶けはじめると、いつものようにそっと芽を吹く雪割草である。 周平さんの作品につらぬかれるヒューマニズムは、そういうものだった。(あとがきより) |
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「藤沢さんが鶴岡、私が酒田の生まれで郷里が近いということと、藤沢さんは、学校の先生をして業界紙、私も教師から経済雑誌というふうに、両方とも『苦界』に身を沈めた」との辛口の経済評論家・佐高信氏の本。 氏が各誌に書いた「司馬と藤沢」論と書き下ろしをまとめた待望の一冊です。 私の61回目の誕生日、「最上川」の風景や「奥の細道」の絵を描いた日本画家・小野竹喬展へ往復の車中 舌なめずりする感じで一気に読んだ。いい誕生日だった。 |
私は司馬は読まない。なにかうさんくささを感じるからだ。私は天下国家を論じ、日本万歳を唱えるために、また日本国のありようを説教してもらうためには本は読みたくない。江戸・明治の武士や軍人の偉大さを云々されても眉唾である。そんなに偉大な歴史なのに、なんであの侵略戦争をしたのだ、と思う。日本を“こんな国のかたち”にした責任の一端がある財界・政界のエライ人たちが司馬の愛読者だという。司馬はあんな指導者たちにうけるのかと思う。
メディアで語る司馬を見ていて、「この人はなにかあぶない」と偏見のような予断を持った。そのもやもやとしたものを解決してくれたのが、佐高氏の論だ。
さて、藤沢周平。第三章「有名作家になっても変わらぬ師弟関係」の一文で十分だ。
第一章 両者の違い /「上からの視点」と「市井に生きる」/「清河八郎」を・ 第二章 両者への違和感と疑問 /司馬の避けた問題/藤沢への唯一の疑問 第三章 藤沢周平の心性 /農民の血と・・/心に「狼」を・・・ 第四章 司馬をどう評価するか /「自由主義史観」と「司馬史観」/色川大吉対談 第五章 藤沢をこう読む /俳句にこめられた・・/宮部みゆき対談 |
単なる野球好きならいい。しかし、「私は巨人と阪神ファンです」なんていう人がいたら、そのバカさと無節操さにはあきれだろう。しかしいるのだなあ。「私は司馬と藤沢の愛読者です」という人が。こういう人をけっこう見かける。例えば、ネット上で「藤沢周平」と検索するとその頁に「愛読書は司馬と藤沢です」とある。作家たちにもいる。
「私は時代小説が好きで、司馬も藤沢も読みます」ならわかるが、両方愛読してますという“なんでもあり”という人の精神が信じられない。どんな神経と心根があるかとさえ思う。このコラムの勲氏は書く。
一気に読んだ。どこかさいなまれる気分があった。そのことを含めての面白さである。 というのも佐高氏は司馬氏を「上からの視点」の人、藤沢氏を「市井に生きる」人というように対立する関係で描く。双方の等分の愛読者であった身には、自らの無節操を問われる時間があったからだ。 -----庶民の町中に住む司馬氏、司馬氏が明治の将の賛美だけをしたのかは議論の余地がある、穏やかな偉ぶる風のない司馬氏、------- 佐高氏の著作のもつ重要な意味は司馬文学を率直に批判したことにあると思う。売上総数が二億冊を優に超える日本史上最大のベストセラー作家。司馬氏賛美には、ひところのマルクス主義者によるマルクス賛美のような気配がなくもなかった。 だが、今、司馬作品の本格的な「評価作業」が始まったと思う」 |
そう司馬氏の“タブー”も含めて評価したら如何。
2年前の『藤沢周平と庄内』(この頁の下に)に続く地元山形新聞に連載されたものの単行本化。副題に「海坂藩の人と風」とある。
【第一部 海坂藩のまぼろし】は、藤沢作品と鶴岡の歴史と作品を |
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書中の『蝉しぐれ』より創作された「海坂城下町図」、「城下町鶴岡略図」も興味がひかれる。
また、写真やスケッチも 2年前の鶴岡旅行が思い出され懐かしい風景である。とくに、「庄内の地吹雪は、冬の最も過酷な貌の一つである」(86ぺ)は、蝉しぐれの夏しか知らない私は一度体験してみたいものである。(というせりふは土地の人にとってはいい気なもんとみえるだろうが)
さて、第三部の題名の「はるかなる」藤沢周平は、それはないぜと思う。
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(講談社 98.1 1800円) 1930年生まれの文芸評論家が「藤沢周平の、いわば土性骨に迫って触りたい」と書いた本。また「感覚の俊敏な鋭さと速さを生得に持っていた藤沢さんの内奥を、少しでも探りたいと念じている」とも「あとがき」に書いている。 正直にいって、「藤沢周平論」との書名に抵抗を感じた。「今さら、“論”もないではないか」と。下で紹介している『藤沢周平。人生の極意』にいささか閉口したことも一因である。素朴に「藤沢作品はいい。好きだ」「読書の楽しさを満喫させてくれる」と楽しみたい。だから、難しいことのわからない私は、「あまりごちゃごちゃと私の愛読書に触って欲しくない」と思う。(だったら読まねばいいが、そうもいかない) 教師時代の私は、例の「読書感想文コンクール」には参加しなかったし、読書感想文を課題にはしなかった。本を読んでごちゃごちゃいうのは興ざめだからね。ついでに言うと、あれは本を楽しんだ罰として書かされているようなもんだ。 |
と上のようにつっぱりつつも、読みの浅い私は「解説」などを読んではじめて「ああそうか。ふ〜ん、そういう読み方があるのか」「気がつかなかったなあ」「教えられたなあ」ということが再三ある。ただ、説教などはして欲しくない。
さて本書、著者はたんねんに作品を読んでいて、その“論”につられて読み進むうちにまた藤沢作品を読みたくなった。たくさんの作品が取り上げられていて(いささか作品が多すぎと思うが)、「そうだ、そんな作品もあったなあ」と藤沢作品の引き出しを開いてくれた。
また、日本史の知識のないうえに時代小説を読まなかった私は知らない言葉だらけだった。で、藤沢作品を読むときに「電子辞書」を手元においた。なんせ「側用人・小頭・古手屋・・・」って何?の連続だった。
本書は作品の時代の人々の暮らし、しきたりなどの解説もあり作品の背景もより理解できるものもある。
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(PHP 97.12 1333円) 困ったなあ。藤沢さんと人生の極意なんて。なんか違う。そりゃあ、本の読み方はひとそれぞれです。だから、用心棒の「青江又八郎に学ぶ行動原則七箇条」(本書)というのも、自由です。 この手の藤沢論にもたまにはお目にかかるが、その度に「私はそうではないな」とつぶやく。「低経済成長期には、藤沢作品がよまれる」とか、「シャボン玉がはじけたあと、企業戦士がいま癒し文学として読む」とか、ひどいのになると リストラ読本として『漆の実』を紹介したりする。 私は思う。藤沢作品のいいところのひとつは、説教をしない・教訓を垂れ流さない、声高に演説をしない、静かにしかもきちんと語るところにあると思う。藤沢さん自身もそういう生き方をしてこられた方だと思う。だから、「人生の極意」を学ぶのは勝手だが、似合わないと思うし、違うと思う。 |
私が藤沢さんを読むのは、いや本を読むのは「人生の極意」を学ぶため、教養を高めるため、世の中を憂えるため、、、、ではない。読むのがたのしいから、おもしろいからだ。
食わず嫌いではあるが、昔から「PHP」関係書はうさんくささを感じ、どうも好きでなかった。この親会社の本社は私の職場のちかくにあるが、来客によく見える中庭にずらりと裃姿の銅像が並んでいて、けったいな感じがしていた。やはり、この出版社から本を出すには、“PHP”的説教・教訓話が必要かとも思った。
つけくわえると、書中に散見する下品な・著者は今風と思っているらしい文章には閉口した。【例「史上最強の濡れ場-『海鳴り』の新兵衛とおこう」など】 いやだねえ。
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97.4月に発行された雑誌『藤沢周平のすべて〜完全保存版・文藝春秋増刊号』を単行本化したもの。 雑誌に収録されていた小説は削除され、新たにいくつかの藤沢さんについて書かれた文章が入った。写真も入れ替わっているものもあり、できたら両方欲しい。 「湯田川中学校 教え子たちと」の見開きの写真の生徒たちの笑顔がじつにいい。小菅先生と生徒たちが共同でかもしだす暖かい雰囲気が伝わってくる。ほんのすこし前の日本の中学生たちはこんな笑顔だったのかと、思う。 |
今後、「藤沢周平文学アルバム」のようなものの出版を期待したい。それには、藤沢さんの写真・作品に出てくる庄内の風物の写真・作品に関係した土地の写真などを収録してほしい。また、中野孝次・向井敏・井上ひさし氏たちの藤沢周平をめぐる庄内紀行文もあると楽しいものになるだろう。
地元の新聞社の本というのがなによりだ。私の山形旅行の数日前に発刊され、「ああ、もう少し早ければ、旅程 を変更できたのに」と贅沢な感想。もちろん鞄の中に。旅先でも山形の人が「この本ご存知ですか」と紹介してくださった。あなたが「藤沢山形庄内旅行」をするなら、ぜひお手元に。 の了解をいただいています |
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■山形新聞鶴岡支社に赴任した寒河江浩二支社長がおにぎり持参で藤沢さんの作品の風景をさがして取材した(第一部 「なつかしい風景を探して」)新聞連載シリーズ。その土地の地図も添えられているが、もう少し詳しい地図が欲しい。庄内の人にはあたりまえの地形でも、小説だけで舞台を空想している読者には簡単な地図から読み取ることがむずかしい。
ところが、風景を訪ねて歩いているうちに、作家藤沢さんに興味が強くなり「ゆかりの人」の取材も始める。(第二部 「ゆかりの人々」)
■「なつかしい風景」では、鶴岡に関係していると思われる17の作品(『三屋清左衛門残日録』,『秘太刀馬の骨』,『義民が駆ける』など)と「鶴岡の味」「方言」「ペンネームと海坂の由来」で構成されている。
■著者は作品の描かれた舞台にいき、その風景と作品について書いている。土地の風景とからめて小説の紹介を書かれると説得力がある。また、著者の小説の解釈も読ませられる。
板垣カメラマンの写真もいろいろの季節があり夏の終わりの風景しか見たことのない私には魅力がある。
■著者はたくさんのゆかりの人にインタビューしている。
・藤沢さんのお兄さん ・幼友だち3人 ・中学の同級生 ・師範の同級生2人 ・教え子 ・文学同人 ・句会仲間 ・恩師の娘さん などがそれぞれ藤沢さんについて語っている。藤沢さんと作品を理解する話がたくさんあり興味深く読めた。
■付録として、「庄内ところどころ」のエッセイ、年譜がある。
![]() | 上の『藤沢周平と庄内〜海坂藩を訪ねる旅』の文庫版です。 題名と写真構成が変わったところがあります。 これなら、庄内の旅のポケットに入ります。 2000.10.6 記 表紙写真は、酒田市の山居米倉庫 |
■当代きっての書評家向井敏が文芸春秋版『藤沢周平全集』(全23巻 H4.6〜6.4)の巻末に書いた作品解説に補筆し、編集しなおしたもの。
このように一冊の本としてまとまると、便利だしなによりも作家論・作品論として教えられることがたくさんあった。
■第一部 しぐれ町の住人たち 二部 海坂藩の侍たち 三部 英雄ぎらい
とくに第一部の「山本周五郎から遠く離れて」は、「どうも周五郎っておしゃべりで説教臭くて、べたっとした人情ものだなあ」と数冊で読むのをやめていた私にとっては「うん、そうなんだよなあ」とうれしがらせてくれた藤沢周平論でした。
■ついでに勇足で書くと、藤沢作品は司馬遼太郎とも「遠く離れ」たものだと思う。インターネットでこんなことを書くと、多数派の司馬ファンから袋叩きにあいそうだが、司馬ってうさんくささが、、、、、。
藤沢さんの死後、各社の文庫本が版をかさねて発行されたが、この文庫は初版。従来の上の本に2つの文章を加えたもの。巻末に作品の年代順のリストがある。
(1) 【「早春の光」(唯一の現代物)の謎】・・・『文芸春秋・増刊号・藤沢周平のすべて』,『藤沢周平のすべて』 初出
(2 )【最後の六枚(『漆の』の最後の六枚の遺稿)】・・・同上(改題されている)
巻末に「未刊行」の6作品リストがある。
■「振子の城」 ■「早春」 ■「岡安家の犬」 ■「深い霧」 ■「静かな木」
■「野菊守り」の6作品。
単行本に入ってない理由は、なんだろうか。著者が許さなかったのか。たんなる出版社の都合か。ただ、掲載雑誌の社がいろいろあるから、発行が難しいのか。
と、いうことは読者にはどうでもいいことだ。どんな作品か読んでみたいなあ。早く単行本にして欲しい。(本に掲載されているということは、編集者はその存在を意識しているであろうから、期待はできそうだ)
追記(98.2)「静かな木」「岡安家の犬」(「偉丈夫」)は、新潮社刊『静かな木』(98.1)に収録。「早春」「深い霧」「野菊守り」 は、文春社刊『早春』(98.1)に。
「振子の城」はどんな作品だろうか。
同郷の丸谷才一を始め、井上ひさし、中野孝次、関川夏央らたくさんの藤沢ファンがその魅力について語る。文庫版の解説などから収録したもの。
また、藤沢さんと同郷の城山三郎との対談、 インタビュー「幸も不幸も丸ごと人生を書く」、講演記録「米沢と私の歴史小説」も興味深い。
小説の読みの浅い私にとってはこういう作品解説はありがたいもので、それを集めてあるこのような本は便利なものでもある。