2002.6 新版

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2012.2.■ 記

没後15年の出版
『藤沢周平全集 二十六巻 補巻(3)』
文藝春秋社  2012.1.15刊 3600円

 所収された単行本(文藝春秋社)            内容 メモ
 1 『藤沢周平 未刊行初期単篇』    
    2006.11.10  1714円
昭和37年〜39年間に高橋書店の雑誌『読切劇場』、『忍者読切小説』に掲載されたもの14篇

本全集には、『藤沢周平 未刊行初期単篇』に所収されていない「浮世絵師」が入っている。
 『藤沢周平 未刊行初期単篇』刊行後に発見されたものだろうか?
 「浮世絵師」については、解説の阿部氏が似たような作品「溟い海」と比較して述べられている。(全集 535ペ)

 2 『帰省 未刊行エッセイ集』
    2008.7.30   1524円
本全集には、単行本『帰省 未刊行エッセイ集』のエッセイ4(寒かった話〜10篇)は、収録されていない。これは、『全集 25巻 拾遺』に収録されている。

読者が単行本として、初見するのは、本全集の4の「叱られて当然」〜11篇。

新聞記者時代に書いた文章は、ほかのもあると思うので、“落ち穂拾い”をしていただきたい。

 文藝春秋社『オール読物 2012.2月』号に阿部達二氏「発掘! 新聞記者・藤沢周平のエッセイ」がある。たいへん興味深い。とくに、プロ野球好きの私には、日ハムの社長大社氏とのくだりは、おもしろい。

 3 選評集 
  単行本なし   本全集初出
○直木賞選考委員  (昭和60年下期〜 20回 年に二回だから10年間くらい)の選評
○日本推理作家協会賞(昭和42年)
○朝日新人文学賞  (平成元年〜4年)
○松本清張賞    (平成6年)

藤沢周平さんの選評は、ていねいで、暖かみがある。いやみな元・芥川賞選者の知事とはえらい違いである。(笑)

 4 年譜(追補)
  単行本なし   本全集初出
平成14年〜24年まで
 5 解説 阿部達二
  孤独が紡ぎだした十五篇
いつものことだが、阿部氏の労作は、勉強になります。

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2002.6.22 記

元教師として・・・
『藤沢周平全集 補巻(2)』 手紙より

 藤沢さんの教師生活はわずか1年余でしたが、私も37年間公立小学校の教員でした。
そして、日教組(日本教職員組合--教職員の労働組合の連合)組合員でした。

 というわけで、全集の書簡集にあった「日教組」について書かれた部分にふれてみます。

湯田川中学時代の同僚渡辺とし先生にあてた手紙
(1966=S41 業界新聞社在籍 3年前に最初の奥さんが 幼子を残して死去)

〜108ページから要約〜 ( )は横山

●(1) 10.21斗争の(教育)現場の模様、手紙で読むだけでも心が傷みます。かつて教職にあった身として人ごととは思えない。----


●(2) 自民党(当時の政権を握っていた保守党)の文教政策などというものは頭から認めない。政府の文教政策は、内閣・大臣が変わっても一貫して日教組をつぶし、教育を支配下に治めようとの意図があることは明白だ。

●(3) しかし、戦後教育の欠陥が存在するのも事実のように思う。
敵は戦後教育の欠陥に乗じて、日教組をつぶしにかかるのは当然。原則論だけではそれと戦えない。

●(4) 日教組は、この欠陥を埋めた政府の政策を越えた新しい文教政策・教育原則・方法を書き上げないだろうか。現在の日本人と子どもが置かれている立場に密着して、政府の政策よりより上等な教育原則・方法を提示するといい。保護者が納得支援するようなものである。


●(5) 今日の夕刊(1966.12.22) に(日教組)宮之原委員長達幹部が逮捕されたとの報道。結局は政府によるデモンストレーションだろうと思う。


 ●(1) 1966年(S41)  佐藤内閣  二年前に東京五輪。公害(環境汚染深刻化) 中国文化大革命はじまる。
 手紙の中の「10.21斗争」はなにかわからないが、世間では「国際反戦デー」であり、集会・デモ行進などがされていた。しかし、「手紙を読むだけで心が傷む」とあるから、地域・職場の組合にたいする弾圧や内部での対立などを渡辺先生は憂いて、かつての同僚藤沢先生に 手紙を出したのだろう。

 おそらく「国際反戦デー」の行動だけでなく、「スト権奪還闘争」「勤評評定反対闘争」や地域の闘争などもからめてのことと推測される。

 この時代は、政府資本側と日教組労働界側の激しい対立と反作用の時代でもあった。普通の教師も、この渦に巻き込まれていた。

そのことは、●(5)の日教組のトップの逮捕に見ることができる。(薄れ行く記憶によると、たしか「スト権奪還のためのスト」を指令したとの逮捕理由だったと思う)


●(3) 「戦後教育の欠陥」がなにかは藤沢さんは書いてない。「僕も責任がある」と 手紙にはある。

 これも推測だが、欠陥はむしろ当時の教育体制の欠陥であり、現場の教師が100%責められるものではないだろう。藤沢さんが教職についたのは、戦後の混乱期(1949〜1951年)のことであり、ひとりの教師の責任とかいえる時代ではなかったと思う。
     *藤沢さんの教員時代と渡辺先生の手紙の時代に十数年の時間差があることも注意したい。

 当時は軍国主義教育から民主主義教育へそして再びきな臭い風の吹く時代であり、
「六・三制 野球ばかり 強くなり」との川柳によめるような教育制度の問題、そして新しい教育内容・授業方法などの問題そして欠陥があっただろう。


●(3) ●(4)の藤沢さんの手紙にある「政府の政策より上等な提言を」については、せんえつですが、全面的に賛成したい。
 日教組も教師たちも、 ただ原則論ばかりではなく、さまざまな教育提言・研究集会・民間の教育運動・保護者との連帯運動など とりくんできた。

 が、-------------------------------------------------。

 私が退職するときは、日教組も党派で分裂し 加入しない教師も増え、政府自民党・教育委員会などから「日の丸」「君が代」で学校が徹底的に 荒らされていた。
 しかし、新しい教育運動の芽も育ちつつあった。いつまでも、現状のようなものではないと信じている。


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雑誌『文芸春秋』02.7月号
初公開没後5年 藤沢周平の手紙と遺書
編・文 阿部達児(藤沢周平担当編集者)

 ■手紙
  ・藤沢さんが師範学校を卒業し勤めていた故郷の湯田川中学の同僚へ
  ・同中学での教え子へ  ・山形師範の同窓生へ  ・アララギ派の歌人へ
  ・妻へ

 ■家族への「書き残すこと」(遺言)


 ■これらの手紙・遺書は 『全集補巻(2)』に収録されているが、本号は 阿部編集者の解説があり、わかりやすいものになっている。全集もこのような編集にできなかったのだろうか。


 ■驚いたことがある。初期の作品が暗いものであった理由として「私(藤沢周平)にはひとに言えない鬱屈した気持ちをかかえて暮らしていた」(「転機の作物」 昭和58年)と書いたとき、読者は「なるほど、そういうわけか」と思ったが内容までは知らされてなかった。
 ところが我々編集者も尋ねることにためらうものがあった、とあるところだ。
 それが初めて編集者たちにも明らかにされるのが 「半生の記」(平成4〜6年)(最初の奥さまが幼子をのこして死去されたこと)だったと阿部編集者が書いていることだ。

 事情を尋ねなかった編集者も、語らなかった藤沢さんも--------------恥じらい、美学、たしなみ というのか。


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『藤沢周平全集 補巻2巻・別巻1冊』
没後5年、刊行される全集

補巻(1)通巻第24巻 
5月下旬刊行 3429円
漆の実のみのる国(全)/岡安家の犬/深い霧/静かな木/
桐畑に雨のふる日/品川洲崎の男
補巻(2)通巻第25巻 
6月下旬刊行 3429円
早春/半生の記/書簡/句集/詩篇/あとがき集/
エッセイ拾遺/書き遺すこと(遺書)
別巻 
人とその世界
8月下旬刊行 4000円藤沢周平の世界/藤沢周平のすべて/地図、写真等

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