第一部 連雲港で日本語教師をして
8.携帯電話−楽しき哉メル友−

ピンイン入力と筆画入力

 淮海工学院の学生のほとんど全員が携帯電話を持っていた。基本的機能だけのものから、カラー画面のもの、カメラつきのもの、国産機、外国メーカーのもの、値段も600元前後から千数百元のものまで多種多様であった。多くの女子学生は、カラー画面、カメラつきの高価な携帯を持っていた。私は基本的機能しか使わないので、650元の諾基亜(NOKIA)を買った。私の電話番号は13511561507、つまり11桁、日本と同じである。

私の「諾基亜(NOKIA)」 「話す」、「メールする」という基本的機能において、日中に差異はない。しかし、学生の持っている携帯で、インターネットとの接続ができる機種は見なかった。中国全体がそうなのかもしれない。したがって、アドレスといったものは必要なく、メールも電話番号で行った。文字入力の方法は日中、はっきりと違った。これは、言語の特性から来る差異である。
 文字入力について、私の携帯を例にとって説明しよう。文字キーは6個でそれぞれ上端を押す場合と下端を押す場合で別入力ができるので12通りの入力ができる。

 1、。?   2ABC  3DEF
 4GHI   5JKL   6MNO
 7PQRS 8TUV   9WXYZ
 、。?!:   0    入力切替キー

 文字入力の方法には、ピンイン入力と筆画入力とがある。少し細かいことになるが、私にとっては興味深かったので、これらについて説明する。
  まず、ピンイン入力である。ピンインは、漢字の発音をアルファベット表記したものである。今、「晩上好(wan shang hao:こんばんは)」と入力する場合。まず、「晩」の入力である。9のキー、2のキー、6のキーと押す。すると、「yao」と、「yao」に対応する漢字「要薬?・・」が表示される。ほしいのは「yao」ではないので、変換キーを押し続けると、次々、「yan」「wan」「zao」「zan」と、それぞれに対応する漢字が表示される。ほしいのは「wan」であるので「wan」と「wan」に対応する漢字、「万完晩湾・・・」が表示された画面で、ほしい漢字「晩」を反転させて、確定キーを押す。同様に、「上」「好」を入力する。
  筆画入力は、漢字の筆画を次の五つに分類し、筆順に従って入力していく方法である。
   1.横(一)
   2.竪(|
   .左払い(ノ)
   4.点、あるいは右払い(ヽ)
   5.折:各種転折を含む(¬
 例えば、今の「晩」なら、2、5、1、1、3と入力した段階で、「明晩星・・」と、最初の画面に「晩」が表示される。これを反転させ確定キーを押す。「上」なら、2と入力した段階で「是中上・・」と、もう「上」が表示される。「好」なら、5を入力した段階では、「乙了也子那出以好・・」と、ほしい「好」は、まだ、後ろのほうで、携帯の最初の画面では隠れているが、5の次に3を入力すると、「力乃刀好・・・」とかなり前に出てくる。更に、1を入力すると、「女好・・・」となり、最初の画面に表示される。これら二つの入力方法のうち、私はいつもピンイン入力でメールを打った。

楽しき哉メル友

 学生が、電話をしてくることはまれであったが、メールは頻繁に届いた。パソコンのメールもあったが、その大半は携帯であった。学生からメールが届くのは、嬉しくもあり、返事をすることを思うと、多少、億劫でもあった。しかし、学生との重要なコミュニケーションの手段であるので欠かさず返事した。メールへの対応は、私の重要な日課の一つになった。
 学生からのメールのいくつかを紹介しよう。
 ところで、メール原文を記したいが、ホームページでは、簡体字は文字化けして読めないので、日本の漢字に直せるものは直し、できない場合はピンイン表記した。

1.優しい心遣いのメール
  学生は、優しく、親切で、何かと私のことを気遣ってくれた。まず、最初は、そんなメールから紹介しよう。
□「阿,先生的中文越来越!」(11/13
  「先生の中国語、段々、上手になっているよ」。学生は優しい。
□「先生,今上完自習出来発覚外面霧好大阿。明天応該挺冷的要注意保暖奥」(11/21
  学生の多くは、夜、閉館時間の 10時まで、図書館や教室で自習をする。「先生、今、自習を終えて外に出たところですが、すごい霧です。明日は、きっと気温が下がりますよ。暖かくしてくださいね」。この時期、朝起きると深い霧が立ち込めているという日がよくあった。そして、そういう日は底冷えがし、段々、冬に向かっていった。
□「奥,在家里打
掃衛ma? 那我明天下午過去ba?」(12/4
 この頃、私は期末考査の問題作成に追われていた。試験は1月なのに、教務主任から、科目ごとに二通りの問題とその回答を12月14日迄に提出するようにと言われ、しかも、平均点が必ず、70から80点の間にくることという条件までついていた。試験問題をはじめて作成する者に平均点の幅まで要求されても無理である。「このごろ超多忙で、その上、風邪気味だ」との私のメールに、「それじゃ、部屋の掃除はできていますか?私、明日の午後、行きましょうか?」と返事が返ってきた。「掃除をしに行きましょうか」との学生の申し出に、「では、お願いします」と答えるほど、ずうずうしくはないが、気持ちは嬉しかった。
□「今天的教室改主楼301」(12/19
 「今日の授業は教学主楼の301号室に変更になりました」と知らせてきてくれたのである。教室変更などの連絡について、教務から私たち教師への連絡は一切ない。これも中国式なのだろうか。
  別の日のこと。授業が始まってまもなくの9月上旬のことだった。学生に、「先生、明日、休講になっているけどどうして?」と聞かれ、驚いて、外事弁公室(私たち外国人教師の用事はすべてここが取り扱う)へ行き、初めて状況を把握した。明日、連雲港出入境検験検疫局という所へ行って感染症などの検査をする、午後までかかる、とのことであった。後でわかったことだけれど、この検査にパスしないと、「外国専家証」も就労ビザも発給されなかったのだ。  
 それ以降、学生用の連絡黒板には気をつけるようにしていたが、この日の教室変更は見過ごしていた。学生からのメールがなかったら、あたふた走り回るところであった。
□「先生,天気予報説,明天下雪,加件衣服!」(12/29
  普段、私は学生に、先生は薄着だとよく言われていた。冬になると、学生は、暖房がないこともあって、教室の中でも羽絨服(羽毛の防寒着)を着ている。私には、家や教室など室内で防寒着を着るという習慣はないので、街へ出かけたりする以外は大きな防寒着は着なかった。だから、そんな私に、「天気予報によると明日は雪が降るので、いつもより服を余分に着るように」と注意してくれたのだ。
□「奥,先生,那要不要我和ni一起過去na?」(1/7
 「じゃあ、私、先生と一緒に行きましょうか?」。これは、「明日、淮安へ行きます」という私のメールへの学生からの返信である。この頃、大学は期末考査の真っ最中で、学生たちは考査準備に余念がなく、緊張していた。一方、私は、私の担当する「高級日語(一)」の考査日の12日まで余裕があった。折角の機会なので、この時期、私は普段、行けなかった所、あちらこちらへ出かけた。1月8日も、淮安へ行くことにしていた。淮安は、連雲港から120km、高速道路で時間のところにある大きな都市である。
  翌々日、1月9日には、彼女自身の考査が控えていることを知っていたこともあり、私は、「淮安は二度目なので大丈夫」と、彼女の申し出を断った。それにしても、考査準備という重要なことを後回しにしてまで私のことを優先してくれたのだ。

2.お祝いや誘いのメール
  感謝祭、文化祭、クリスマス、私の誕生日等のお祝いや誘いのメールも多かった。
□「sui然我不信基督,但我感謝上蒼譲我men相識,祝福ni我,祝感恩節快楽!」(11/24
 1124日は感謝祭だった。「私にキリスト教の信仰はないが、私たちが知り合えたこと、神の計らいに感謝します」とは、しゃれたメールである。私が連雲港に来なかったら、私たちの出会いはなかった。文字通り、一期一会である。
□「先生,晩上演出是
7:30。如果先生想去看的話,七点鐘左右去先生家和一起去」(11/25
 「夜の公演は7:30からです。もし先生が見に行きたいなら、7時ごろ迎えに行きます。一緒に行きましょう」という誘いである。もちろん、私はOKした。日本語科の学生も出演し、なかなか、面白かった。
□「老師,早!祝nin生日快楽!」(12/13
 「先生、おはよう。お誕生日おめでとうございます」。学生が、どうして私の誕生日を知ったのか、思い当たらなかった。でも、このメールがなかったら、だれからの祝福もない誕生日になるところだった。
□「漂亮的聖誕樹給先生。祝聖誕快楽!」(12/24
 「クリスマスおめでとう。先生に、きれいなクリスマスツリーを贈ります」。メールで、文字を組み合わせて描いたクリスマスツリーが送られてきた。
□「老師,早!祝nin新年快楽,万事如意,身体健康!」(1/1朝)
 「吃飯了ma
? 要不要一起去食堂吃飯,然后去看電影?」(1/1夕方)
  朝と夕方、どちらも同じ学生からのメールである。夕方の方は、「学生食堂で一緒に食事をし、その後、構内の学生活動センターへ映画を見に行きませんか」、という誘いである。日本人教師4人のうち、年末年始、連雲港にいたのは私だけだった。一人では寂しいだろうと誘ってくれたのだ。この日の映画は西遊記のコメディと洋画の2本立てで、入館料の2元は学生が払ってくれた。

3.「先生、おしゃべりしよう!」
□「先生有空ma?可以去ni家ma?聊天阿!」(12/8
 学生たちは、私との会話を楽しみにしてくれた。私は、年生の10人ほどに卒業論文の指導をしていたので、これらの学生は私から呼ぶこともあり、我が家に、よく出入りしていた。話の内容は、卒業論文の指導ということもあって、硬い話が多かった。一方、年生の学生たちは、私とおしゃべりがしたいということでよくやってきた。
 夜、夕食を済ませてテレビを見ていると、3年生から、「先生、お時間ありますか。家に行っていいですか。おしゃべりしましよう」とメールがあった。私が、「いいですよ。いつ来る?」とメールすると、「すぐ」と返事が返ってきた。おそらく、図書館か教室でメールしているのだろうから、「すぐ」といっても、10分近くはかかるだろうと、食事の後片付けをしかけると、ドンドン!とドアをノックする。エッ!まさか!と思ってドアを開けると、学生たちは、もうそこに立っていた。「どこからメールしていたの?」と聞くと、「前の道から」との答え。開いた口がふさがらないとはこのことである。小学校の頃、「○○ちゃん遊びましょ」と友達の家の前で大きな声で叫んだものだけれど、直接の声がメールに変わっただけで、やっていることはあまりかわらない。よくいえば純朴、悪くいえば幼いということか。なんとも可愛い学生たちである。
□「老師,我和L.Z還没有回家。没有事情做,去nin家玩玩可以ma?」(1/15
  続いていた期末考査も、多くは112日、13日辺りで終わりになる。考査が終わると学生は一刻も早く家に帰りたいのだろう。
  1月15日早朝。まだ薄暗い大学前。帰省荷物を持ち、バスやタクシーを待つ学生たち気の早い学生はその日のうちに、ほとんどは翌日に故郷へ帰る。この時期、朝の校門前は、大きな荷物を持ってバスやタクシーを待つ学生でごった返す。帰郷は10日頃から始まり、1213日がピークで、14日の午後になると、大学のキャンパスは閑散となる。
 「先生、私とL.Zさんはまだ寮にいます。することない。先生の家に遊びに行っていい」、こんなメールが入ったのはそんなときである。「いいよ」と返事すると、バナナとみかんを抱えてやってきた。「私たちの階には、もう、私たち二人だけしか居なくて寂しい」という。でも、メールをくれたのは自宅通学の学生である。「君は家から通っているんだろう」と言うと、「L.Zさんが、寂しいから一緒に寮に泊まってと言うから、昨夜から泊まっている」とのこと。ひとしきり話をして、9時過ぎ、人気のない寮へ帰って行った。
  私の宿舎は、学生たちが寮と教室・図書館を行き来するメイン・ストリートに面している。特に、教室や図書館で自習していた学生たちが一斉に寮へ帰る夜の10時前後は、ぺちゃくちゃにぎやかである。一日の勉強が終わった解放感から多弁になるのだろうか、楽しい雰囲気が伝わってくる。私は、毎日、道路に面した部屋の机に向かい、この時間を学生たちと共有した後、シャワーを浴びて一日の日課を終えた。           
 
ところが、1月も10日を過ぎると、夜のぺちゃくちゃが急に少なくなり、14日の夜からはまったく途絶えた。いつもは人が居て賑やかな場所に人気がなくなるのはなんとも寂しいものである。 

4.こんなメールも
□「先生,我現在発焼了。如果明天早上還没好的話,就得去医院了。所以,提前請病假,望諒解。我会尽量去上課的」(
12/7
 「せんせい、私、今、熱がある。もし、明日の朝、まだ、良くなっていなかったら、大学の医務局へ行かないといけない。それで、前もって病欠の届をしておきます。よろしくお願いします。でも、明日、できるだけがんばって授業に出るつもりです」。夜9時前、学生からこんなメールが入った。でも、翌日、ちゃんと出席していた。「熱はどう?」と問うと、「治った」と返事。さすが、若い!
□「不好意思,以前那个手机ka給我papa用了,今天才看到nin的短信」(1/8
 「恥ずかしいです。以前、この番号の携帯カードをお父さんに貸していたので、今日になって、先生のメールを見ました」
 子どもの携帯(あるいは携帯カード)を親が使うということは、あまりないことだ。しかし、そういうことができるのは、親子の関係がよほどいい証拠である。 
□「我自行車被tou走了,傷心
!」(1/18
 「自転車盗られた。悲しい!」。大学の広いキャンパス、ほとんどの学生が自転車か電動自転車で移動していた。そして、自転車の盗難はしょっちゅう起こっていた。学生から、このメールが入ったのは、1月18日、私の帰国途中、上海の虹橋空港から浦東空港へ向かうバスの中でのことだった。だから、何もしてやれなかった。この後、彼女は、構内を探し回ったようだが、結局、見つからなかったそうな。
  帰国後、彼女から、続いて起こった災難のメールが入った。
 「自転車を盗られた数日後、帰省途中の蘇州のバス停で財布を盗まれました。お金、身分証明書、銀行カードみんな盗られました。帰るに帰れないので、蘇州のホテルで働いているお姉さんに電話して、迎えに来てもらいました。悪いことばかり続く」携帯電話、財布など、学生が盗難に会ったという話はよく耳にした。大学へ納付する大金をとられた学生までいた。
  上のメールの学生は、今、大学院の受験準備に余念がない。悪いことが続いたけれど、今度は、大きな良い目の出ることを祈る。