第一部 連雲港で日本語教師をして
7.日本語能力試験受験記

 私は最初の授業で、日本語科の学生に、将来、就きたい職業について聞いてみた。多かったのが、日本語の先生になりたいという答えと、会社に入って通訳など日本語の能力を生かす仕事に就きたい、できれば日本の企業に就職したいという答えであった。これは、しごく当然といえば当然である。そして、学生たちは、その希望に近づくためには、日本語能力試験の1級合格が是非とも必要というのである。
  日本語能力試験は日本国内および海外において、日本語を母語としない人を対象として日本語の能力を測定し、認定することを目的として行う試験である。その内容は、1級の場合、「文字・語彙」と「聴解」が、各45分、100点、「読解・文法」が90分、200点、合計180分、400点で、その7割が合格最低ラインである。
  中国において、この試験は、日本と同じ日、同じ問題で行われる。昨年は、124日(日)、北京、上海、天津、重慶、ハルビン、長春、瀋陽、大連、済南、青島、南京、蘇州、合肥、長沙、南昌、成都、フホホト、西安、洛陽、武漢、杭州、広州、深セン厦門、以上24都市で実施された。
  私が教える学生たちは、申し込み手続きの遅れた一人を除いた85人が受験した。その受験地は、済南、青島、南京、蘇州が多かったが、合肥、北京、上海などもあり、中には、寒い12月に長春まで行く学生もあった。安徽省の省都、合肥へ行く学生に、「どうして合肥なの」と聞いてみたら、「申し込みが遅かったので、受験生の少ないところへ回された」と言っていた。北京、上海、長春へいく学生には、それぞれ、そこで受けたい理由があるとのことだった。
  学生たちのこの試験にかける意気込みはすごい。10月の頭、一週間は国慶節の休みであるが、この黄金週間が終わり授業が再開されると、授業中の雰囲気が一変した。それまで、授業中、顔を上げて、おおらかに、にこにこしながら聞いていた学生まで内職をしだした。最初、私は、学生たちが何をしているのかわからなかった。机間巡視をしてよく見ると、日本語能力試験の過去問や予想問題の入った問題集や参考書を夢中でやっている。学生たちは、起きてから夜十時の図書館および教室の閉まる10時まで、一日中、これをやっているのだ。この頃から、夜、私の宿舎に質問に来る学生が増えだした。
  大学は、試験当日の124日を挟み、122日から5日までの4日間休みになった。長春へ行く男子学生は、その週、月曜日からすでに休んでいた。彼は、試験後の一週間も大学に顔を出さなかったから、結局、試験日をはさんで前後2週間休んだことになる。ほとんどの学生は122日(金)に、バスや列車で連雲港を出発した。
  受験後、最初の授業時、全員に受験記を書かせた。学生は、4050分かけて次のような文章を書いた。日本語としておかしいところもあるが、学生の文章そのままを活字に直した。中国の大学の日本語科年生の文章としてお読みいただきたい。
                  
  121020分、済南へ出発した。山東師範大学というところで一級試験を受けることになっている。三人の友達と一緒に列車にのって、男の子は一人、女の子は私を含めて三人で、受験地へ行った。夜、時ごろ済南に到着した。むこうのホテルの費用はすごく高く、一宿は少なくとも150元だそうだ。私たちはいろいろな所へ行ったり、たずねたり、最後、一宿160元(筆者注:3人部屋、3人分の料金)のホテルに泊まることにした。
  12日朝、いろいろな試験の準備をしておいた。どの教室で試験を受けるか、どこでイアホーンを貸せるか、いろいろなポスターを見た。山東師範大学はうちの学校よりずっと広く、人数が多く、木も多い。午後、また少し勉強した。夜、友達と一緒にレストランでゆたかな食事をした。
  翌日、つまり124日、大切な日が来た。受験生は早く教室へ行った。朝時、試験が始まった。私は、語彙と聴解は大丈夫だと思った。読解の問題をやる時間は足なかった。一つの文章をやらなかった。残念だ、しかたがない、文章も読みない、自分の思うとおり選択した。とにかく、今度はしまった。
  済南の印象は、交通は非常に込んで、天気はやけに寒く、消費はとても高い。やはり、連雲港はいいなと思う。もう一つ、山東師範大学はほんとうに大学の雰囲気がある。学生の勉強の雰囲気の面でも、文化の面でも、土地の面積でも広いと思う。しみじみ感じた。
  試験は終わったあと、すぐタクシーで駅へかけたのに、もうすこしで間に合うところだったのに、午後40分の列車も行ったそうだ。途方にくれて、駅のまわりをぐるぐる歩いて時間を持て余すことにした。40分の列車にのって、夜10時、徐州についた。その時、連雲港へ行く列車がなかった。待合室で朝の4時の列車を待った。ほんとうに疲れた。待合室は寒くて、うるさくてたまらなかった。たいへんなことは、寝るベッドがなかった。友達はトランプをした。私はできないので、時間も座ったまま、疲れた。
  12時ごろ、やっと連雲港にもどった。連雲港はいいなあ。その時、太陽もむこうより暖かいと思う。寮へ帰るやいなや寝ました。昨日、一日中寝ていた。やっと疲れをとった。
  今回はたいへんだった。組 L.C)  
                  
  12日、私はL.Zさんと一緒に安徽省の合肥へ行きました。まずバスで南京へ、それからバスで合肥へ行きました。中国科技大学についた時は、もう六時でした。お腹がぺこぺこして、その学校の食堂で晩ご飯を食べました。その食堂はとてもきれいで、いっぱいおいしい物をそろっていました。
  宿泊の所はその大学向かっている町にあります。その町にいろいろな店があります。12日、私たちは一つの店で焼き鍋を食べました。とてもおいしいです。食べたあと、私たちは買い物へ行きました。バスでその街へ行きました。とてもにぎやかな所でした。私は時計と靴を買いました。L.Zさんは時計と服を買いました。その後、大学に帰って教室で一級試験のことを復習していました。夜九時ごろ泊まる所に帰りました。その時の気持ちはすこし緊張していて、寝れないでした。私たちはベッドで続いて本を読みました。二人はくりかえして試験の内容について質問したり答えたり、十一時半ごろねむってしまいました。
  受験当日、私たちは六時半起きて、朝ご飯を食べたあと受験場へ行きました。そこにまた本を復習していました。十二時半ごろ試験が終わりました。そして、私たちは駅へ行って家へ帰りました。
  この受験旅行はたぶん一生忘れないことかもしれません。こういう経験は一生何回あるでしょう。それでめずらしい記憶として心に保存することになりました。組 Y.W)
                   
 12日、私はクラスメートと一緒に受験地、青島へ行きました。青島はきれいなところといわれています。たくさん山もあればきれいな海もあります。私は早くそこに着きたいと思いました。
 時間半時間が経ちました。私たちもうきました。しかし、青島は私が思ったほどきれいではありません。そして、受験日まで私の体調がとてもわるかったです。頭がまぶかったし、体がだるかったし、胃腸も悪かったです。それで、気持ちが暗くなりました。
 試験は中国海洋大学でありました。試験が始まって、時間が飛ぶように早く経ちました。受験場を出て、心の中がめちゃくちゃでした。風が連雲港よりずっと強くて、気温も低くて、衣装が少し薄くて、とても寒かったです。青島の風の中で、ガタガタふるえていました。今は青島がきらいだと言いたいです。
 試験が終わったあと、私はずっとホテルにいて、どこも行きませんでした。天気も悪かったが、気持ちもそうです。
 昨日、みんなはまた一緒に学校へ帰りました。試験が終わったと思って、気持ちがよくなりました。組 W.W)

 ところで、月に帰国し、結果が気になっていた私に、吉報の第一号が入ったのは日だった。その後、次々、連絡があって、現時点(14日)で、85人のうち21人が合格している。