第一部 連雲港で日本語教師をして
4.卒業論文&スピーチ大会に見る学生の意識

卒業論文に見る学生の意識・関心

昨年(2005年)8月、私が赴任したのは、4月の北京、上海の反日デモ以降、日中関係が緊張した時期だったので、学生の日本観・日本人観については、かなり、気になっていた。
  9月から、淮海工学院の日本語科の4年生に卒業論文の指導をするようになったが、学生たちの選んだテーマの中に、日中関係に関するものがいくつかあった。そんな一つに、「なぜ、中国人は日本人が嫌いか」というのがあった。私は、この題のままで出来上がりの論文を読みたかったが、途中、学生は、「中国人の日本人観の変化」というように変更してしまった。この他、「中日友好に影響を及ぼす諸問題」というのがあった。この学生は、首相の靖国神社参拝、油田開発問題などを扱っていた。また、日本の『新しい歴史教科書』を取り上げた学生もいた。
  以上、4年生の卒業論文には、日中関係に言及したテーマがいくつかあったが、普段の授業中、あるいは、個人的会話の中で、このテーマにふれる学生はほとんどなかった。
  下の表は、新しい学年がスタートして間もない10月時点での卒論の題である。欠けている学生が数人あり、この後の変更もあるが、中国の日本語科に学ぶ学生の関心・意識を知る上で参考にしていただきたい。

1組          題 2組          題
川端康成の戦前戦後の変化 日本の庭園
環境保護の中日比較 渡辺淳一論
尊敬語の必要性について 京劇と日本演劇の比較
名探偵コナンに見る日本人 茶道について
中国人の日本人観の変化 家庭料理の中日比較
日本企業の中国戦略 鬼の中日比較
日本経済の復活と国民性 日本人はなぜ漢字を採用したか
中日伝統服装の発展 外来語多様に関する分析
あいまい表現から見る恥の文化 徐福と日出ずる国
10 茶から茶道へ 10 中日相撲比較
11 ファッション、化粧品、服装、美容 11 結婚式の中日比較
12 歴史教科書について 12 戦後の日本映画の発展
13 日本語におけるぼかし表現 13 武士道と日本の近代化の関係
14 日本茶文化の発展 14 日本の学校教育における諸問題
15 現代日本女性の思想・観念 15 飲酒文化の中日比較
16 『吾輩は猫である』作者の風刺 16 「を」の使い方について
17 中日社会福祉の比較 17 芥川龍之介の作品と人生
18 徐州と日本の納豆の比較 18 「縁起かつぎ」の中日比較
19 日本現代文明の根無し草の研究
20 家屋の沿革における中日比較
21 敬語の丁寧度について
22 間投詞の比較
23 『伊豆の踊り子』について
24 アニメで詩を作っている宮崎駿
25 自動詞と他動詞
26 「に」と「へ」の比較
27 中日友好に影響を及ぼす諸問題

スピーチに見る学生の日本観・日本人観

  次にあげるのは、昨年の日本語スピーチ大会に出場した学生の「私と日本人」の全文である。
                        
  私は大学に入る前、日本人と触れ合うチャンスはありませんでした。テレビや新聞でしか日本人を知りませんでした。「日本人の印象はどう」と言われたら、正直に言えば、日本人にはよくない印象持っていました。それは、戦争のとき、日本人が中国で犯した罪に大きな憎しみがあったからです。また、日本人は顔がむっつりして冷たくて悪い人と聞いていました。
  大学の日本語科に入学したおかげで、日本人の先生に教わるようになりました。日本人の先生方は皆、優しくしてくれます。しかも、笑顔はたっぷりあります。先生方は授業に熱心で、学生たちから尊敬されています。先生方の仕事や人間関係などに対する真面目な態度にとても感心することが多くあります。雨が降ろうと風が吹こうと先生方は一度も遅刻することがありません。それに、小学生のように、毎回、授業の出席を取ります。そして、もし、わからない時、「わかりません」と言えば、先生方はうれしそうに親切に指導してくださいます。だから、私は日本人に対しての見方が変わりました。今、日本人は親切で、いい人だと思うようになりました。
  私たちは、日本人が全部悪い人だという見方を変えなければいけないと思います。昔、とても残酷なことをした日本人は戦争の時の軍人たちだと思います。今の日本人は気立ての優しい人が多いと思います。また、日本人だけでなく、どの国の人も友好を切望しています。そのために、私たちは日本語の学習をしっかりやって、日本の文化や歴史・慣習などをよく勉強して、もっともっと日本のことを理解することがとても大切です。日本人とお互いに心と心を開いて、本音で話し合い、理解しあいたいです。これからの中日友好が活発になるように私は努力していきます。(3年2組 X.Y)

スピーチに見る中国の教育事情

 これも、昨年の日本語スピーチ大会に出場した学生の文章である。題は「学校教育の悲しさ」。
                        
  私たち中国人にとって、試験は大切なものです。幼稚園から試験に追われて疲れています。
  私の生活も試験に縛られていました。いろいろ苦労して、やっと大学の入学試験に合格しました。これからは、自分が憧れた豊かな大学生活ができると思いましたが、たくさんの資格試験が次から次に現れました。
  今、私は取るべき資格証書を全部手に入れました。たぶん、他人から見たら「成功だなあ」と思うでしょう。しかし、私は何となく心細い気がします。なぜかと言いますと、人間としてあるべき能力が欠けているような気がするからです。例えば、人との関係とか、自分の決断とか、とても弱いのです。しかし、そんな力は、将来の仕事や生活にとって大切なのです。
  私は、学生は成績がよければ何でもいいという社会の普通の考え方にずっと支配されてきました。考えてみますと、試験のための勉強は何の意味がありますか。高い点数を取ったら人間としての力が高められるのですか。答えはノーです。せいぜい、試験上手というところです。だから、私は試験生活から離れて、自分の好きな生活をすることにしたいのです。まず、多種多様の本を読みたいです。実は、私は、心理学とか文学とかに興味を持っているのですが、試験用の本ばかり読んで、なかなかそんな分野に進もうとしませんでした。「読万巻書、行万里路」という格言があります。私は中国を遊びまわる夢を持っています。しかし、中国どころか連雲港さえ知らなかったです。今はその夢の実現に取り掛かろうと思います。そのほか、学校の活動にも参加したいと思います。その活動の中に必ず自分を高められるものがあるでしょう。試験勉強ではなく自分の人間性を高めるために何をしたらいいか、よく考え、あらゆることに挑戦したいと思います。(3年2組 X.

 X.Wは、試験に追われる生活が幼稚園から続いていると言っている。私は、幼稚園の状況については知らないが、小学校の状況については、いくらか知っている。
 淮海工学院の外国語学部長に、ユカちゃんという小学校6年生のお嬢さんがいる。ユカちゃんは、ほぼ毎日、夕方、7時前に帰宅する。「どうして、そんなに帰りが遅いの?」と聞くと、「タ(施の偏が手偏)課とタ課の延長」との返事。「タ(tuo)」ということば自体、「引き延ばす」ということなのに、「タ課」に、更に延長があるというのだ。通常授業のあと「タ課」があって、更にその延長がある。遅くもなるはずだ。上海に住む中国人の友人も、3年生になるお嬢さんがいて、同じようなことを言っていた。「生徒も大変だけれど、先生も大変だねえ」と私が言うと、「生徒の成績が悪いと先生の給料が下がるから先生も真剣なの」と実情を説明してくれた。

 X.Wは優秀な学生である。成績が優秀なだけでなく人間的にもすばらしい。しかも向上心が強い。上のスピーチは、X.Wの「今までの自分からの脱皮宣言」である。