第一部 連雲港で日本語教師をして
3.学生は一に勉強、二に勉強

淮海工学院

淮海工学院は名前のとおり、工学系の学部を中心とした大学である。昨年、2005年、創立二十年を迎えた。機械工程、土木工程、電子工程、外国語、海洋学院など十五の学部・学院からなり、約一万五千の学生が学ぶ。
  最初、私は、学生が中国全土から来ていると思っていた。授業中、出身地や卒業後の希望を書かせたところ、出身地の欄に書かれた地名が全て江蘇省なのが意外だった。学生に聞くと、外国語学部は、江蘇省出身が出願条件になっているとのことだった。

教学主楼。私の授業の大半はここであった。写真は、9月上旬、新入生を歓迎するアドバルーンとアーチ 構内の並木道

学費

  大学への納付金は教科書代を含めて授業料が四千四百元(1元は約14円)、寮費(食費は別)が千二百元。他に、学生たちは、食費など日々の生活費として、月600700元使う。中国の学生でアルバイトをしている者はごく少数で、ほとんどの場合、この全額が親の負担となる。
  私が教えた3年生が一人、連雲港一のスーパー、時代超市の1階にあるマクドナルドでアルバイトをしていたが、私は、彼女以外にアルバイトをしていた学生を知らない。彼女は、時給は4元といっていた。この時給は、物価の安い中国にしても安い。私の帰国後、別の学生からのメールに、「待っていた甲斐あって、やっと、ケンタッキー・フライド・チキンのアルバイトが決まった」とあった。マクドナルドやKFCのような、外資系のきれいな職場で、しかも、フルタイムの勤務ではなく、自分の都合で勤務を入れるパート勤務は、連雲港のような地方都市ではまだ少なく、買い手市場のようである。

好好学習天天向上!

 200529日(月)、新学期が始まった。1学期は8月29日から’06年1月22日までの21週間である。このうち通常の授業は第17週までだ。その後、学生は1学期末の試験とその準備に忙しい。試験が終わると半年ぶりに故郷へと帰っていく。そして、家族一緒に春節を祝う。1ヶ月あまりを故郷で過ごした学生たちは、2月中旬、大学に戻る。2学期は’06年2月20日から7月16日までの21週間である。
 次に、学生たちの一日の時間割をあげる。
  @ 8:00 8:50   9:00 9:50
  A10:1011:00  11:1012:00
  (昼休み:夏期時間半、冬期2時間)
  B14:3015:20  15:3016:20
  C16:3017:20  17:3018:20
  この後、多くはないが、夜に開講される科目もある。学生は、授業のないときは教室、図書館、あるいは寮の自室で自習をする。教室および図書館は10時に閉まる。 

構内の公園「欣園」での早朝学習風景 氷の張った欣園の池で遊ぶ子供たち

 私は、授業の行き帰り、「欣園」と呼ばれる、小さな池のある公園を横切るのが常であった。この公園は、学生たちの早朝学習の場になっていた。始業前の時間、ここで、英語のテキストを音読しているのである。持っているのは英語の教科書、聞こえてくるのは英語ばかりなので、不思議に思って、そのことを日本語科の学生に聞いてみた。「私たちは主楼前の噴水の所でしている」との返事が返ってきた。どうも、英語科と日本語科で、棲み分けができているようだ。この早朝学習は、人数は減っていくが、真冬になっても続いているのには感心した。

学生寮

  基本的には全寮制である。一万五千の学生のほとんど全員が寮生活をしている。従って、大学構内、すごい棟数の寮が建っている。学生の話によると、今までは、男子寮と女子寮が混在していたが、男子学生が女子寮を覗くとの苦情が相次ぎ、昨年から区域を分離したとのことである。昨年の8月下旬、私が赴任した時、大移動が行われていた。結果、女子は、大学構内の北西の隅、教室や図書館から一番遠い不便なところに隔離されることとなった。一方、男子の寮は食堂に近く、教室や図書館にも比較的近く便利である。

学生寮 寮の内部

 上の写真の通り、概観はモダンできれいだが設備はあまり良くない。まず、暖房設備がない。連雲港の冬は、明石、神戸の冬より3、4度は寒い。それに、常に冷たい北風が吹いている。学生に聞いた諺。「連雲港は1年に2度、風が吹く。1度は半年」。つまり、一年中、風が強いということだ。暖房設備がないのは教室や図書館も同じである。従って、冬になると学生は、寮でも教室でも防寒着のままである。
  私は、一度、学生の寮に入ったことがある。部屋に入ったところ、左側がトイレと洗面所、右側が個人のロッカー、そして奥、左側が二段ベッド、右側が本棚と机。「洗濯はどうしているの?別の場所に洗濯場があるの?」と聞くと、洗面台を指差して「ここでする」。「こんな狭いところで?」「毎日少しずつする」。

風呂屋とお湯ポット

 また、寮にはシャワーがなく、学生は構内の淮工浴室という風呂屋を利用する。
  私は、職員宿舎にシャワーがあったので淮工浴室は利用しなかった。学生の話では、日本のような浴槽はなく、シャワーだけが並んでいるとのことだ。学生は週に二、三度、利用すると言っていた。私は理髪店も利用しなかった。一度、理髪店の様子を見に行ったが、切った髪が床に散乱し、とても、入る気にならなかった。 

ポットは生活必需品。給湯所近くに並ぶポット 給湯所でポットに湯を入れる学生

 学生の生活必需品の一つに大きなポットがある。ほとんどの学生は、このポットを二つ持っていた。朝、ポットを持って寮を出て、「開水房」という給湯所の近くにポットを置いて授業に出る。そして、午前中の授業が終わると、ここで、ポットに湯を満たしてから寮へ持ち帰る。ポット1杯1角(角は元の1/10。日本円で約1.4円)。学生はこの湯を携帯用のペットボトルに入れて、日常の飲料としている。また、この湯は、インスタント麺を食べるときにも使うし、洗髪のときにも使うとのことだ。
  寮生活は、私から見れば、ずいぶん不便に思えるが、学生たちは、それを当然と受け止め、大学で学ぶ機会を与えられたことを意気に感じている。

学生食堂

学生で混雑する第一食堂 一番手前が私の席。ご飯(2角)、レバーのピーマン炒め(2元)、麻婆豆腐(1.5元)、スープ(無料)

 一万五千人の胃袋を満たすのである。大きな学生食堂が4つあった。その他、構内には、「小吃」という、個人が経営する小さな食堂がいくつもあり、また、蒸篭を何層にも積み上げて湯気を立て、良い匂いをさせている饅頭屋も店を出していた。食堂やこれらの店は、寮と教室・図書館の中間にあった。寮を出て、食堂で朝食を済ませてから授業に出る者、時間がなくて、饅頭屋で買った肉まんをかぶりながら教室へ急ぐ者、私が教室へ入ってもまだ食べている者、いろいろであった。食堂を利用するにしても、途中で饅頭を買うにしても、食後の歯磨きはどうしているのだろう。

話ば(hua ba )

 学生が良く利用する場所のひとつに「話ば(ば:口偏に巴)」がある。「話ば」は構内に何ヶ所もあった。ここには、電話、パソコン、コピー機等が置かれていた。私も宿舎に近い「話ば」をよく利用した。私がよく利用した「話ば」。左端に「話ば」の看板最初は、ここから、日本への国際電話をかけた。しばらくして、カードを使うと、宿舎の電話で安くかけられることが分かり、「話ば」からの国際電話は止めた。大学には、教師が自由に使える紙もコピー機もなかったので、私は、生徒に配布する教材をコピーするのに「話ば」を利用した。配布教材の費用は学生負担になっていた。事前に、委員長に原紙を渡しておけばコピーをし、コピー代はクラスの預かり金から支払っておいてくれた。しかし、これは、合理的なようで不便であった。使用教材は、そういつも余裕を持って準備できるものでない。授業の直前に「話ば」でコピーをすることがよくあった。これは自腹になった。A4、1枚が2角で、2クラス分だと、20元ほどになり、原紙の枚数が多いと馬鹿にならない。その他、学生はここで、インターネットを利用し、必要な論文などをダウンロードしたりしていた。このような料金は、日常品の物価に比べて高かった。また、寮にテレビがなく、新聞も取らない学生にとって、「話ば」は、数少ない情報源であった。

コンビニ「蘇果超市」

蘇果超市
 コンビニは学内、他にもあったが、学生も私も、蘇果超市を最もよく利用した。果物、野菜、米、卵、ビール、お菓子、ノートなど文房具、電気スタンド、蛸足コード、スリッパ、トイレットペーパー、シャンプー、化粧品、下着、煙草等々、日常品はほとんどそろっていた。蘇果超市の次によく利用したのが隣にあった八百屋だけれど、最後まで店の名前は分からずじまい。

文芸晩会&外語文化節

 1111日(金)の夜、4年生の学生の案内で大学の礼堂(講堂、ホール)で催される文芸晩会を見に行った。学生の話では、毎月のようにこの日のようなイベントがあるそうだ。広い会場が既に満員であった。それでも、教師席として、見やすい席が確保されていた。「“展現自我”文芸晩会」というのがこの日の行事の名称だった。「展現自我」は、「自分を表現する」というような意味か。淮海工学院の学生なら誰でも出場資格があるようで、日本語科の知り合いの女子学生も出演した。彼女の歌唱力に改めて感嘆。
 1125日(金)の夜、礼堂で、外国語学部、つまり、日本語科と英語科の文化祭、「外語文化節」が開かれた。日本語科の若い女性教師、A先生が出演されるということで、前評判は上々。そして当日、A先生と男子学生のデュエットは、観客の期待を裏切らない出来栄えだった。

司会する学生たち 「NISSAN汽車杯」の文字
熱唱する日本語科の学生 日本語科のA先生と学生

 これらのイベントにはスポンサーがついている。この外語文化節は、上の写真で分かる通り、名称に「NISSAN汽車杯」と付いている。つまり、日本の日産自動車が後援しているのだ。1111日の文芸晩会の方は、「龍河電脳杯」と付いていた。つまりこれは、連雲港の中心街にある龍河電脳城の後援なのだ。