第一部 連雲港で日本語教師をして | ||||||||||||||||
3.学生は一に勉強、二に勉強 | ||||||||||||||||
淮海工学院 淮海工学院は名前のとおり、工学系の学部を中心とした大学である。昨年、2005年、創立二十年を迎えた。機械工程、土木工程、電子工程、外国語、海洋学院など十五の学部・学院からなり、約一万五千の学生が学ぶ。 学費 好好学習天天向上! 私は、授業の行き帰り、「欣園」と呼ばれる、小さな池のある公園を横切るのが常であった。この公園は、学生たちの早朝学習の場になっていた。始業前の時間、ここで、英語のテキストを音読しているのである。持っているのは英語の教科書、聞こえてくるのは英語ばかりなので、不思議に思って、そのことを日本語科の学生に聞いてみた。「私たちは主楼前の噴水の所でしている」との返事が返ってきた。どうも、英語科と日本語科で、棲み分けができているようだ。この早朝学習は、人数は減っていくが、真冬になっても続いているのには感心した。 学生寮 上の写真の通り、概観はモダンできれいだが設備はあまり良くない。まず、暖房設備がない。連雲港の冬は、明石、神戸の冬より3、4度は寒い。それに、常に冷たい北風が吹いている。学生に聞いた諺。「連雲港は1年に2度、風が吹く。1度は半年」。つまり、一年中、風が強いということだ。暖房設備がないのは教室や図書館も同じである。従って、冬になると学生は、寮でも教室でも防寒着のままである。 風呂屋とお湯ポット 学生の生活必需品の一つに大きなポットがある。ほとんどの学生は、このポットを二つ持っていた。朝、ポットを持って寮を出て、「開水房」という給湯所の近くにポットを置いて授業に出る。そして、午前中の授業が終わると、ここで、ポットに湯を満たしてから寮へ持ち帰る。ポット1杯1角(角は元の1/10。日本円で約1.4円)。学生はこの湯を携帯用のペットボトルに入れて、日常の飲料としている。また、この湯は、インスタント麺を食べるときにも使うし、洗髪のときにも使うとのことだ。 学生食堂 一万五千人の胃袋を満たすのである。大きな学生食堂が4つあった。その他、構内には、「小吃」という、個人が経営する小さな食堂がいくつもあり、また、蒸篭を何層にも積み上げて湯気を立て、良い匂いをさせている饅頭屋も店を出していた。食堂やこれらの店は、寮と教室・図書館の中間にあった。寮を出て、食堂で朝食を済ませてから授業に出る者、時間がなくて、饅頭屋で買った肉まんをかぶりながら教室へ急ぐ者、私が教室へ入ってもまだ食べている者、いろいろであった。食堂を利用するにしても、途中で饅頭を買うにしても、食後の歯磨きはどうしているのだろう。 話ば(hua ba ) 学生が良く利用する場所のひとつに「話ば(ば:口偏に巴)」がある。「話ば」は構内に何ヶ所もあった。ここには、電話、パソコン、コピー機等が置かれていた。私も宿舎に近い「話ば」をよく利用した。最初は、ここから、日本への国際電話をかけた。しばらくして、カードを使うと、宿舎の電話で安くかけられることが分かり、「話ば」からの国際電話は止めた。大学には、教師が自由に使える紙もコピー機もなかったので、私は、生徒に配布する教材をコピーするのに「話ば」を利用した。配布教材の費用は学生負担になっていた。事前に、委員長に原紙を渡しておけばコピーをし、コピー代はクラスの預かり金から支払っておいてくれた。しかし、これは、合理的なようで不便であった。使用教材は、そういつも余裕を持って準備できるものでない。授業の直前に「話ば」でコピーをすることがよくあった。これは自腹になった。A4、1枚が2角で、2クラス分だと、20元ほどになり、原紙の枚数が多いと馬鹿にならない。その他、学生はここで、インターネットを利用し、必要な論文などをダウンロードしたりしていた。このような料金は、日常品の物価に比べて高かった。また、寮にテレビがなく、新聞も取らない学生にとって、「話ば」は、数少ない情報源であった。 コンビニ「蘇果超市」 文芸晩会&外語文化節 11月11日(金)の夜、4年生の学生の案内で大学の礼堂(講堂、ホール)で催される文芸晩会を見に行った。学生の話では、毎月のようにこの日のようなイベントがあるそうだ。広い会場が既に満員であった。それでも、教師席として、見やすい席が確保されていた。「“展現自我”文芸晩会」というのがこの日の行事の名称だった。「展現自我」は、「自分を表現する」というような意味か。淮海工学院の学生なら誰でも出場資格があるようで、日本語科の知り合いの女子学生も出演した。彼女の歌唱力に改めて感嘆。 これらのイベントにはスポンサーがついている。この外語文化節は、上の写真で分かる通り、名称に「NISSAN汽車杯」と付いている。つまり、日本の日産自動車が後援しているのだ。11月11日の文芸晩会の方は、「龍河電脳杯」と付いていた。つまりこれは、連雲港の中心街にある龍河電脳城の後援なのだ。
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