一人の不心得者の為に、空腹にも関わらず待たされる事暫し。
面には出さずとも、私の機嫌は良くなかった。
その事に気付いていた者が、果たしてあの時、どれ程居ただろう。
いや、恐らくは一人も居なかったに違いあるまい。
でなければ、この私の力を良く知る君達の事だ、決してあのような無作法はしなかったであろうからな。
○月×日 PM13:00
この時私は、バーベキューなるものを初めて体験していた。
肉も魚介も野菜も一緒くたに焼くだけという随分大雑把な料理ではあるが、実際に体験してみると、そう悪くもなかった。
この日のバーベキューは、幹事のの提案で日本様式だった。
日本では、焼き上がったものに様々な調味料をつけて食すらしく、塩コショウにレモン汁、それから焼肉のタレとポン酢なるものが揃えられていた。
これらは日本様式のバーベキューには欠かす事の出来ない、メジャーなソースらしい。
塩コショウやレモン汁はともかく、焼肉のタレとポン酢の味を知らぬ私に、は味見を勧めてきた。
如何なる分野であろうとも、知識を広げて損になる事はない。
勧められるまま味見をしたところ、いずれも実に美味だった。
焼肉のタレは甘辛く濃厚かつフルーティーで、程良いガーリックの風味と香ばしい胡麻の香りが、否応なしに食欲を刺激する。
前述のミロの日記で触れられていたの握り飯とも、実に良く合いそうだった。
一方、ポン酢は柑橘系の香りが効いて爽やかで、後味がさっぱりしている。
この柑橘系の香りは、柚子の香りだそうだ。
香ばしい香りを嗅ぎつつ、焼き上がった肉や魚介にこれらをつけて食べる瞬間を想像していると、ミロのせいでささくれ立っていた心が癒されていくような思いだった。
ややって。
「は〜い、焼けたわよ〜!」
「さあ、存分に食うが良い。」
というとサガ、幹事2名の声で、我々はようやく食事にありつく事が出来た。
目の前には、網の形にこんがりと焼き目のついた肉や魚介が、芳しい香りを放っていた。
「おおーっ!美味そうだなーっ!」
「さあ、食うぞーっ!」
アイオリアやアルデバランなどは、見るからに嬉しそうな顔をして、我先にと手を伸ばしていた。
全く、卑しい連中め。
しかし彼等には、『質より量』という貧困層特有の哀れな思考が染み付いているのだ。
あまり責めてやるのは気の毒というものかも知れぬ。
「どんどん焼くから、シャカも食べてね!ぼーっとしてると取り分なくなるわよ!」
もどうやら同じ思考の持ち主だったようだ。
彼女にしてみれば親切のつもりだったのだろうが、私にしてみれば、それはお節介というものだった。
確かに腹は減っていたが、だからこそ、最初の一口は吟味した最高のものを食したい。
その方が、食べる喜びも有り難みも、感謝の気持ちも、何倍にも増すというもの。
それが私の考えだったのだ。
「フッ、揃いも揃って落ち着きのない・・・・。私は、己の食い時は己で見極める。君は私の世話より、肉の世話を焼きたまえ。」
「そう?なら別に良いんだけど・・・・・・」
は渋々引き下がり、私は再び、網の上に目を向けた。
そこには、そろそろ良い具合に焼き上がっている肉や魚介がたんとある、筈だった。
しかし。
「む・・・・・!」
たった今までそこにある筈だったものが、次々と網の上から、いや、この世からも消滅していっているではないか。
そう、彼等の手によって。
「うむ・・・・、美味い!良い肉だ、あの値段でこの味なら、かなりの買い得だったな。」
「うん、イケるイケる!タレも良い味だ!」
「ちょっと待て、デスマスク!それは私のエビだ、大事にここまで焼き上げたんだ!横取りはやめて貰おうか!」
「何だよ、ケチくせぇな!あ〜っ!!ちょっと待った老師!その肉は俺が目ェつけてたんスから!」
サガやミロは、溢れんばかりの肉汁を湛えた肉を、満足そうに頬張っていた。
アフロディーテは、蟹と卑しい奪い合いをしておきながら、今更上品ぶって特大のエビを一口大に切り分け、チマチマと食べていた。
争いに敗れたデスマスクに至っては、無礼にも老師の手元から大きなスペアリブをぶん取り、
骨までしゃぶらんばかりの勢いでがっついていた。
何たる事だと、私は愕然とした。
しかし、そんな私をよそに、彼等はひたすら貪り続けていた。
「美味しそうなムール貝ですね。どれ、ひとつ・・・・」
「このポン酢とやら、魚に良く合うな。」
「このチキン、レモン風味でもなかなかいける。」
「うむ、ウインナーも乙な味じゃのう。」
ムウも、カミュも、カノンも、老師までもが、皆。
「あっ、これすっごい柔らかい〜!」
調理に徹しているものとばかり思っていたでさえ、片手でトングを操りつつ、もう片手でヒョイヒョイと肉を摘んでいた。
そうして、私が呆気に取られている間に、肉や魚介は一つ残らず食われてしまい、後に残ったのは丁度良い加減に焼けてきていた野菜のみだった。
「むう・・・・・・・」
最初の一口は是非とも肉でいきたいところではあったが、このままピークを超えて焦げていく野菜をむざむざ見逃す事は、私には出来なかった。
私は仕方なく、目の前のカボチャを一切れ取り、口に運んだ。
「うむ・・・・・・・・」
カボチャは、これはこれで美味かった。
何もつけずとも、素材の味そのままでも十分に美味だった。
私がカボチャを噛み締めていると、が再び声を掛けてきた。
「シャカ、食べてる〜?」
「・・・・・・うむ。」
カボチャをな、と喉まで出掛かったが、言わずにおいた。
私の世話より肉の世話を焼きたまえ、と言ったのは私だったからな。
に恨み言を言うのは筋違いというものだった。
「あっ、おにぎりは?取ってあげようか?」
「いや、結構だ。」
の握り飯を断ったのは、決して嫌いだからではない。
是が非でも、肉と共に味わいたかったからだった。
実はこの時、私の胃袋はてっとり早く満腹感をもたらしてくれる炭水化物を求めて鳴いていたのだが、
神に最も近い男、このバルゴのシャカが己(の胃袋)に負けたとあらば末代までの恥。
私は断固、負ける訳にはいかなかった。
そうこうしている間にも、幹事達はせっせと焼き続けていた。
そのお陰で、網の上にはまた新たな具材が次々と焼き上がっていったのだが。
「おお、このサイコロステーキ美味いな。あまり焼き過ぎない方が美味い。」
「タコも美味いぞ!やはりこれは塩コショウだな!」
「あっ、このエビすっごい美味しい〜!身がプリプリ〜!」
焼ける端からどんどん食われて無くなっていくではないか。
しかも、完全体となる前から。
はこの時、一便目で確保しておいたエビを食べていたようだが、シュラはレアのサイコロステーキに舌鼓を打ち、アイオリアは軽く炙っただけのような状態のタコを頬張っていた。
他の連中も、皆、似たような状態だった。
皆、焼ける端から次々と、無秩序に、無遠慮に、食い尽くしていった。
そして気が付けば、またもや肉・魚介は全滅し、野菜だけが僅かに残った状態となっていた。
私が食べる前から、いや、目を付ける前から、連中は我先にと奪い、喰らっていったのだ。
まるで畜生のように、いや、理性も知性もなく、ただ際限のない食欲に支配されて喰らい続ける、
おぞましい餓鬼のように。
「おのれ・・・・・・・・」
平素の状態なら、餓鬼と化した彼等を蔑んでせせら笑う程度で済んだだろうが、この時の私は冒頭で述べた通り、只でさえ機嫌が良くない状態だった。
私の心に殺意の芽が芽生えたとて、何の不思議があろうか。
「ねえシャカ、本当に食べてる?」
だけが時折理性を取り戻して、私に声を掛けてきた。
が私を気遣い、心配していたのは、その表情から読み取れた。
しかし、最早私は、に心配を掛けまいと平静を装う事すら不愉快に感じていた。
が悪い訳ではない。悪いのは餓鬼共だ。
そうと分かってはいても、次第に私は、自分で自分を抑えきれなくなっていった。
「・・・・・・・・うむ。」
私は言葉少なに返事をすると、1つだけ残っていた玉ネギを摘み上げ、おもむろに口に入れた。
瑞々しく甘い、良い玉ネギだった。
だが、限界寸前の私の腹の虫が、たかが玉ネギ1切れで治まる訳がない。
「あっ、あのっ、ほらっ!美味しそうなの、ここで焼いておくから!これはシャカが確保って事で!ね!?」
私の小宇宙を敏感に察知したのか、は取り繕うように笑って、私の手の届き易い場所にせっせと具材を並べ始めた。
他のものより大ぶりなものや美味そうなものばかりを厳選して並べているを見て、私は若干、溜飲が下がる思いだった。
「・・・・うむ、ご苦労。」
折角の行楽でもある事だ、の気遣いに免じて、この怒りはこのまま私の腹の中にそっと収めておいてやろう。
私はそう思いさえしていたのだ。
「シャカ、お肉もうちょっとで焼けるからね。」
「うむ。そろそろ握り飯も貰おうか。」
「はいはい。」
はどうも、意識して私の世話を焼き始めたようだった。
は小宇宙の何たるかも分かっていない、平凡極まりない一般人の娘であるが、これ以上私を怒らせては大変だと感覚的に悟ったのだろう。これが女の勘というものだろうか。
ともかく、大したものだった。
素人娘にしては上出来だった。
それなのに、何故。
小宇宙のコの字も知らないが気付いた事を、何故。
何故、黄金聖闘士達が揃いも揃って気付かなかったのだ。
「もうそろそろ良いんじゃないかな?どんどん食べてね!」
「うむ。」
に差し出されたトングを受け取って、私は網の上に手を伸ばした。
目当ては、正に今この瞬間が最高という状態に焼き上がっていた、分厚い牛肉だった。
ところが、ところがだ。
「おっ、美味そうなのがあるじゃないか!」
あっ、という暇もなく、それはアルデバランに掻っ攫われた。
奴が共食いする様を愕然と見つめたのも束の間、その一瞬の後には、またぞろ連中の手が伸びてきて、私の聖域を荒らし始めた。
牛肉も豚肉も、
鶏肉もウインナーも、
魚介類も、
野菜さえも。
奴等はイナゴの大群の如く、全てを食い尽くしていった。
「シャ、シャカ・・・・・・・・?」
は恐る恐る私の顔色を伺ってきたが、奴等は一切、全く、さっぱり。
何ら気にする事なく、私の食べる筈だった物を奪い、喰らい続けていた。
余りの事に、余りの怒りに、私は言葉も出なかった。
するとは、私を庇うように奴等をたしなめ始めた。
「ちょっと皆!好き勝手に食べないで、ちゃんと数を数えて食べてよ!シャカはさっきからロクに食べてないみたいよ!?」
に言われてようやく気付くかと思いきや、奴等は悪びれもせず、飄々と言った。
「そうなのか?どうした、食欲がないのか?具合でも悪いのか?」
「珍しいな。いつもなら食いっぱぐれるような事は絶対にないのに。」
「何を遠慮してるんだ?普段は遠慮のえの字もない癖に。ははは!」
「そうだそうだ。お前は遠慮するようなタマじゃないだろう。はははは。」
残念ながら見当違いだが一応心配して下さった老師はともかく、
カミュも、アイオリアも、シュラも。
皆、申し訳なさそうにするどころか、軽口を叩いて笑った。
「まあ、シャカは何を考えているのか良く分からない男だからな。何か彼なりの理由があって食べないのだろう。も心配しないで、放っておくと良い。」
「言えてるな。シャカの言動は深く考えるだけ無駄だ。」
「頑なな男だからな。本人に食べる気がないのなら、が幾ら勧めても無駄だぞ。」
「放っておけ放っておけ。」
アフロディーテ・ミロ・アルデバラン・カノンなどは、謝るどころかこの言い草。
「まあ、食べる気になったらお食べなさい。は貴方の給仕係ではないのですからね、余り手を煩わせないように。」
「そうだぞ。も私も忙しいんだ。幾ら幹事だからといって、余計な世話を掛けるんじゃない。子供ではないのだから、足りないと思ったら自分で焼いて食う位の事はしろ。」
ムウとサガに至っては、説教までしだす始末。
そしてとどめは、蟹のこの言葉。
「面倒臭ぇなあもう。んじゃほら、これ食ってろよ。」
お前坊主だから丁度良いだろ、という言葉と共に、蟹は私の皿に残り物の野菜を放り込んだ。
焼きすぎて焦げたキャベツやらピーマンやらを。
「ちょ、ちょっと・・・・・・!」
が私と連中とをオロオロしながら見比べて青ざめていたが、もう遅かった。
私の中の殺意の芽は急成長を遂げ、葉を茂らせ、茎を伸ばし、そして遂に花を開かせた。
私の怒りは、この瞬間、頂点に達したのだ。
「餓鬼界へ帰れ!!天魔降伏!!!」
私はと老師を除く全員に、引導を渡した。
「・・・・フン、行儀の悪い餓鬼共め。」
息も絶え絶えに倒れている連中を見て、私は清々した。
「ちょ、ちょっとシャカ、幾らなんでもやり過ぎじゃない、これ・・・・!?」
「まあ、こやつらの事じゃ、死にはすまいがの・・・・・・」
は相変わらずオロオロと心配そうにしていたが、老師の仰る通り、これしきの事で奴等は死なぬ。
何しろ、往生際の悪さだけが取り得のような連中だからな。
「構わん。捨て置きたまえ。それより、まだ肉は残っているのだろうな?」
「う、うん。まだまだあるけど・・・・・・」
「ならば早速焼きたまえ。今の内に、ゆっくりと食事を楽しむとしよう。」
こうして、ようやく私は食事を始めた。
邪魔な餓鬼共も葬り去り、己との闘いにも勝利した後の肉と米の味は、また格別だった。
記述者:乙女座シャカ
〜読後コメント〜
・あの時のシャカは、本当に怖かった・・・・・!()
・人を餓鬼呼ばわりとは、失礼な人ですね。(ムウ)
・貧困層って何だ貧困層って!本当に失礼な奴だなお前は!(アルデバラン)
・皆で楽しく食べているのに、急にキレるな!(サガ)
・お前の拘りはワケが分からん!(カノン)
・全くだぜ!我慢しまくってキレる位なら、最初っから適当に食えば良いだろうが!(デスマスク)
・というか、お前の全てがさっぱり分からん。
とりあえず、人を蔑むような言い方はよせ!(アイオリア)
・神に最も近い男も、案外俗物じゃのう。ホッホ。(童虎)
・遅れたのは確かに悪かったが、そもそもが俺のせいみたいに書くな!
単にお前が妙な意地を張っただけの話だろう!(ミロ)
・お前こそ思いきり食欲に支配されているじゃないか!俺が餓鬼ならお前も餓鬼だ!(シュラ)
・言っておくが、私はそんなにがっついていなかったぞ。一括りにされて天魔降伏を食らったのは
大変に心外だった。(カミュ)
・↑私もだ。私は卑しくもなければ上品ぶってもいない。実に不愉快な記述だ。
即刻訂正するように!(アフロディーテ)