私もに倣って、あの日以前の話、キャンプの準備期間中の出来事を書こうと思う。
それを詳しく知っているのは、私とだけだからな。
今こそ明かそう。
と私、二人だけの、知られざる思い出を。
○月□日
キャンプに向けて、私とは、人知れず着々と準備を進めていた。
内密に事を進めていたので、五月蝿い連中が余計な口を挟んで引っ掻き回す事もなく、
準備はとてもスムーズにはかどった。
準備に充てられる時間はごく限られていたが、私はその時間が来るのを、いつも心待ちにしていた。
との秘密の時間は、私の密かな楽しみとなっていたのだ。
しかし、その楽しい時間も、キャンプの日が迫り来るにつれて、終りが近付いて来る。
1日、また1日と時は過ぎ、とうとうキャンプを翌日に控えたある暑い日、私達は最大にして最後の準備に取り掛かった。
食料品をはじめとする、キャンプに必要な物品の買い出しに出掛けたのである。
そして私はそこで見てしまったのだ。
強大な小宇宙と小宇宙がぶつかり合う、熾烈な闘いを。
この日の早朝、私はとの待ち合わせ場所・ロドリオ村に向かっていた。
二人共、この日の外出にはそれぞれ別の口実を用意していたのだが、一緒に出掛けるところを見られて万一にも他の連中に気取られるのを避ける為、という理由も勿論あった。
が、もう一つ、理由があったのだ。
「おはよう、サガ!」
「おはようございます、教皇様。」
私の姿を見つけてニコニコと手を振る、と、もう一人。
私に恭しく頭を下げる初老の男性、彼こそがその理由だった。
「ああ、おはよう。」
「今日もほんに良いお天気で、良うございましたなぁ。」
「全くだ。朝早くから面倒な事を頼んで済まないな。」
とある町の朝市で、安くて良い物が手に入るという情報をから貰い、そこへ行く事にしたのだが、その町は聖域から少し遠い上、帰りの荷物も相当な量になる事が予想されたので、私がこの老人に車を出してくれるよう頼んだのだ。
「とんでもございません!こんな老いぼれが教皇様のお役に立てるなど、まるで夢のようで・・・・!」
老人は嬉しそうに笑って、傍らの白い小型トラクターを誇らしげに撫でた。
ロドリオ村の人々は、古くから聖域の庇護を受けて暮らしており、聖闘士、とりわけ聖域の教皇に対して、絶対的な敬意を持っている。
彼も無論、例外ではなく、私の頼みを二つ返事で快く引き受けてくれた。
報酬は、私のスマイルと祝福の言葉。
たったそれだけで、こんな朝っぱらから何十キロも離れた町まで、ガソリン代も取らずに乗せて行ってくれるのだ。
持つべき者は盲目的な信者だ、実にチョロい・・・・いやいや。
持つべき者は心優しく親切な隣人だ、全くもって有り難い事だ。
ともかく、は助手席に、私はトラクターの荷台に乗り込み、早速出発した。
なお、絶対的な敬意を持たれている割に荷物扱いされているのは、
トラクターが小さくて、と二人揃っては乗れなかったからだ。
故に、レディファーストでに席を譲った、只それだけの事だと、信心深い彼の名誉を守る為に一応付け加えておく。
安全運転のトラクターに乗って、ゴトゴトとのどかに揺られる事暫し。
私達は、目的の町に到着した。
みずみずしい野菜やフルーツが山と積まれた市場の風景や、きびきびと行き交う人々を見て、私は『平和な景色だ』と目を細めていた。
しかし、私は知らなかったのだ。
その平和な光景が、一瞬にして非情な戦場に変わるとは。
間もなくして、朝市の開催を告げる涼やかなベルの音が響いた。
すると、それまで朗らかに談笑していた人々が、その瞬間、目の色を変えて走り出したのだ。
「サガ、私達も行くわよ!」
そして、も。
一斉に売り物の積まれたワゴンへと駆けて行くを含めた人々を見て、私は何となく、我等黄金聖闘士と星矢達青銅聖闘士のかつての死闘を思い出していた。
この瞬間は、喩えて言うならそう、火時計に火が灯った瞬間だった。
人々の、特に中高年の女性のパワーは、圧倒的だった。
より速く走ろうとしているらしく、フォームがどことなく聖闘士走りになっているのが凄い。
手に提げている花柄だの水玉だのの大きなバッグが、まるで武器に見える。
より良い物を、より安く。
人より早く、誰より早く。
その一念で我先にと髪を振り乱して走る姿と、血走った眼。
戦慄さえ覚える程の、その執念。
私はすっかり圧倒され、完全に出遅れてしまったのだが、は人波を掻き分けて果敢に突撃し、野菜のワゴンに辿り着いていた。
「!失敬、・・・・・!!」
ぼやぼやしてはいられないと、私も遅ればせながら後を追い、押しつ押されつしながら、どうにかの側に行き着いた。
「それとそれと、それも頂戴!」
「こっちは、これとこれとこれ!」
「ちょっと、こっちの注文も聞きなさいよ!」
「そうよそうよ、さっきからそっちばっかり!いつまで待たせる気!?」
するとそこは既に、血で血を洗う戦場と化していた。
採れたて新鮮、そして激安な野菜を1つでも多く獲得しようと必死な女性客達と、
そんな彼女らをこれまた必死に捌こうとする店側との、激しい攻防戦が繰り広げられていたのだ。
常に非情な闘いの中で生きているのは聖闘士ぐらいだと思っていたが、どうやらそれは私の思い上がりだった。
家族に囲まれ、温かい家庭の中で日々を呑気に・・・・いやいやいや、穏やかに暮らしている、闘いとは無縁の平和の象徴のような主婦達。
彼女達もまた、日々こうして身を呈して闘っていたのだ。
一家の家計を守る為、家族の健康を守る為に。
「!!無事か!?」
「あっ!サガ!」
しかし私も、守らねばならないのだ。
非情な予算の枠に囚われながらも、明日のバーベキューの為、牛馬の如く飲み食いする我等の為に、命を張って闘ってくれているを。
「おい、こっちだ!こっちの注文も聞いてくれ!」
恐らくは百戦錬磨の猛者であろう女性客達と私とでは、実力の差がありすぎて、張り合うだけ無駄だと本能的かつ瞬間的に悟ったのだが、せめてのサポート位はしてやりたい、いや、出来る筈。
そう思って、私はその場の客の中でも抜きん出て高いこの背丈を活かし、店のオヤジに向かって必死にアピールした。
すると、私と目が合ったオヤジは、私の方に動いてきてくれた。
「はいよ!ニイさんは何にする!?」
「血路は開いたぞ!さあ行け、!」
「うん、有難う、サガ!」
私は思わず喜びと安堵の笑みを浮かべながら、を促した。
その瞬間だった。
を押し退けて、強引にその身を最前線に捻じ込もうとする女性が現れたのは。
「危ない、!」
私は咄嗟に我が身を盾に、を庇った。
似たような背格好ならともなく、こんな肥・・・、もとい、逞しいパワーファイター系の体格をした相手と押し合いになって、が勝てる訳がない。
しかし、なら勝てなくても、私なら勝てる。
幾ら相手が屈強なパワーファイターでも、流石に私よりは小さい。
彼女はあくまでも女性なのだ。
私が盾のように壁のように立っているだけで、誰もを押し負かす事は出来なくなるだろう。
そう密かに自負して、これで私も立派に役に立てると喜んだその瞬間。
「邪魔よ、退いて!!」
女性の怒鳴り声が聞こえたと同時に、何故か私の脳裏に、雑兵・カシオスの顔が浮かんだ。
私に洗脳されたアイオリアに立ちはだかり、彼が絶命した時、私は『聖闘士のなり損ないが、格好をつけてでしゃばるからだ』としか思わなかったのだが、そうではなかったのだと、この時、私は身に滲みて分かった。
彼は本当に、あの女聖闘士を愛していたのだ。
そして、情けなくも非力な聖闘士のなり損ないが、愛する女にしてやれる事はたった一つ。
己の身を、己が命を、盾にする事だった。
同じ立場に立って、それがようやく分かった。
そう、この時の私は、神でも教皇でも黄金聖闘士ですらなく、カシオスと同じ、雑兵だった。
強大な小宇宙を持つ無数の黄金聖闘士に囲まれた、非力な雑兵だった。
「はぅあっ・・・・・・・!?!?!?」
黄金聖闘士の豪腕にぶら下がっていたハイビスカス柄の買い物袋から放たれた狂気の一撃を股間にまともに受けて、私はなす術もなくその場に蹲った。
押し合い圧し合いの果てのアクシデントだったから相手を恨みはしなかった、
しかし、立てもしなかった。
やけに硬かったが、一体何が入っていたのだろう。
「ナイスディフェンス、サガ!」
そんな事をぼんやりと考えながら沈みゆく私に、は一言そう言い放ってから、他の客達の攻撃を巧みにかわして店のオヤジを捕まえ、注文を始めた。
はどうも、私の身に何が起こったのかを知らないようだった。
いや、知らなくても良い、知らなくて構わない。
お前と、明日のバーベキューの食材さえ無事なら、この命、捨てても惜しくはない。
私は脂汗と共に微笑を浮かべて、が無事、野菜を確保するのを見届けてから、静かにその場に沈んだ。
しかし、お陰様で私は無事だった。
一時はどうなる事かと思ったが、何とか痛みが薄らいできたのだ。
会計を済ませたが、再び人波を掻き分けて出て来た時には、どうにか平静を装える程度には回復していた。
「さあ、次へ行こう。」
一時、男性機能の危機を迎えていた事など微塵も感じさせぬ態度で、私はを促した。
そうして、あちこちの店に必要な物を買いに行き、着々と荷物が増えていったのだが。
「最後はメインのお肉ね。私、良いお店知ってるの。行きましょう。」
「ああ。」
そこでまた、強大な小宇宙が私達を待ち受けていようとは、思いもよらない事だった。
壮絶な死闘は終わったものだとばかり思っていたが、それは間違いだったのだ。
あの朝市よりももっと熾烈な、もっと過酷な闘いが私達を待ち受けていようとは。
「ごめん下さ〜い!」
が案内してくれた店は、町の片隅にある小さな肉屋だった。
はそこに元気良くにこやかに飛び込み、私も後について入った。
「・・・・いらっしゃい。」
そこに居たのは、またもや中年の女性だった。
言葉こそ『いらっしゃい』だが、その口ぶりはとても客を歓迎している風ではなく、
むしろ『よくぞ我が肉屋まで辿り着いた』と言わんばかりの不敵な口調で、声音も地を這うような重低音だった。
店主なのか、それとも店主の奥方なのか、ともかく彼女は一人で店番をしていた。
でっぷりと肥え太った・・・・・、いやいやいやいやいや。
多少ふくよかで、多少無愛想な彼女に一睨みされて、私はまた情けなくも怯んでしまった。
何しろ、中高年の女性には、朝市で散々な目に遭わされたばかりだ。
この時の私に、中高年女性に対する多少のトラウマが残っていても、何ら不思議はあるまい。
「え〜っとね、こっちのお肉を5キロと、そっちのも5キロ、あと、ウインナーも2キロね。それから・・・・」
しかしは、彼女の威圧的な視線に全く怯む事なく、サクサクと注文していった。
「・・・で、あとはその鳥モモを3キロね。・・・・・で、全部でこれでお願いしたいんですけど・・・・・」
闘いが始まったのは、正にその瞬間だった。
「これで・・・・・?」
彼女は、の差し出した金を見て、低いダミ声で呟いた。
そして、不敵な笑みを浮かべて『フン』と鼻を鳴らした。
てんで話にならないと思っているのだろう。
私も確かにそう思った。
この店の品は元値からして安いのに、それを更に、しかも大幅に値切ろうとしているのだ。
そんな神をも恐れぬ大胆不敵な所業が、まかり通る訳がない。
少しでも経費を抑えようと頑張ってくれているの心遣いは嬉しいが、そんな無茶を言うものではないと、私はを窘めようとした。
しかし、出来なかった。
二人の小宇宙が高まっていくのが、この非力な雑兵にも、はっきりと感じ取れたのだ。
「お、おい、・・・・・・」
黙って睨み合う二人を交互に見比べながら、私はオロオロとに声を掛けた。
無意味に、ただ声を掛けただけだった。
そうこうしている間にも、二人の小宇宙は高まっていくばかり。
しかし、同じように高まっているとしても、に分が悪いのは明らかだった。
何せ相手は、アルデバラン並の重量(推定)と貫禄を持つ、教皇クラスの小宇宙の持ち主だった。
対するは、いわば青銅聖闘士。
相手にならないのは、目に見えていた。
「・・・・・・分かったわ。じゃあ、そっちのお肉も2キロ買うから、全部でこれだけにしてくれない?」
は、遂に奥義を繰り出した。
もう1種類、肉を追加し、更に少額の金を上乗せしたのだ。
しかし、青銅聖闘士の稚戯にも等しい技など、教皇に通じる筈がない。
彼女はそれさえも一笑に付し、まるで埃を払うが如く跳ね除けた。
もう駄目だ。
おとといきやがれと追い出されるか、それとも塩を撒かれるか、そう思った瞬間。
「・・・・・・ところでおかみさん、ちょっと痩せた?」
は急に話題を変えた。
「この前来た時より、デコルテラインがほっそりした気がするんだけど。」
こう言っちゃあ何だが、彼女にデコルテラインなどという繊細そうな部位があるようには、お世辞にも思えなかった。
私には、どこからどう見ても胴体に頭がめり込んでいるようにしか見えなかったからだ。
そんな見え透いた世辞は、却って気を悪くさせて逆効果ではないかと、私は肝を冷やした。
今に彼女は怒り狂って、その強大な小宇宙を爆発させるだろうと、私は死すら覚悟したのだが。
「・・・・・そ〜お?」
気のせいか、彼女の顔が、心持ち嬉しそうに緩んだではないか。
私は驚愕した。
まさか青銅聖闘士が、教皇を押し返す事が出来るとは、と。
「うん。ホントホント。顎のラインも、引き締まって細くなった感じがするし。」
「あら、そうかしら・・・・・?」
「うん。一目見て分かったもの。」
の力は、次第に彼女を押し負かしていった。
「実はねぇ、2キロ痩せたのよ。」
「やっぱり!?そうだと思った!ていうか、2キロって凄いじゃないですか!」
「オホホ、まぁね。」
すっかり気を良くしたらしい彼女は、豪華・三段重ねの顎を揺らして笑った。
「仕方ないわね。大まけにまけて、今日はそれで良いわ。」
「有難う〜!おかみさん大好き♪」
「全く、ちゃっかりしてる娘だわね!」
この瞬間、遂に、彼女は敗れた。
あれは見え透いた世辞などではない。
の、究極の秘奥義だったのだ。
しかしそれは、一介の雑兵如きが到底見切れるものではなく、私は二人が愉快そうに笑い合う光景を見て、驚きと動揺をつい口にも顔にも出してしまった。
「なっ、何ぃ・・・・・!?」
「何って何よ?」
「い、いえ別に・・・・・!」
彼女に睨まれ、慌てて目を逸らした私はやはり、非力な雑兵以外の何者でもなかった。
「は〜!大漁大漁!これで皆、お腹一杯食べられるわね!」
「あ、ああ・・・・・・」
は晴れやかな顔で、私は複雑な心境で、肉屋を後にした。
あの場では思わず圧倒されたが、改めて考えてみると、どうも納得出来なかったのだ。
何故あんな大嘘が、すんなりと通じたのか。
「それは良いのだが、、その・・・・・、悪く言うつもりはないんだが、よくあんな嘘をつけたな・・・・・・。」
私がそう言うと、は心外だという風に首を振った。
「嘘じゃないわよ!本当の事よ!」
「ほ・・・・・、本当だと!?あれのどこが・・・・!?」
そう、あれの何処が痩せて見えたのか。
たとえ実際痩せたのだとして、彼女の身体から2キロばかりの肉が消えたところで、依然、巨体には変わりない。
私はそう思っていたのだが。
「あのおかみさんとは、いつもダイエット話で盛り上がるんだけど、その話の流れで、前に寒天をあげたのよね。ダイエットメニューにぴったりの食材ですって、レシピも一緒に。おかみさん、ちゃんと食べてくれてたんだなぁ。フフッ。」
私はまた思い出していた。
青銅聖闘士が教皇を打ち負かした事実が、過去確かにあったという事を。
そう。
他ならぬ私自身が敗れたではないか。
非力な青銅聖闘士の、熱き友情の力によって。
「・・・・・そうか、良かったな。」
「うん!」
全く、良い経験をした。
私は晴れがましい気持ちで、大量の荷物と共に、再びトラクターの荷台に乗り込んだのだった。
記述者:双子座サガ
〜読後コメント〜
・あの時、そんな大変な事になってたの!?ごめーん知らなかった!その・・・もう大丈夫?()
・それはそれは・・・・・・、ご愁傷様です。その後、男性機能の方は大丈夫でしたか?(ムウ)
・俺もそれが心配だ。男性機能は(以下同文)(アルデバラン)
・ざまあみろ、天罰だ・・・と笑ってやりたいような気の毒なような。男性機能は(以下略)(カノン)
・同上。(デスマスク)
・同情。(アイオリア)
・合掌。(シャカ)
・何やら災難だったようじゃが、食材の他にも得るものがあったようで何より。(童虎)
・ていうか朝市怖えぇぇぇ!!(ミロ)
・肉屋も怖い・・・・・!(シュラ)
・そこに行けば、きっと私も雑兵だろうな。(カミュ)
・しかし、そんな恐ろしい体験の数々を、さも良い思い出のように語れる君って一体・・・・(アフロディーテ)