残る宮はあと二つ。
早く面倒事を済ませたい一心で、一同は宝瓶宮に向かっていた。
現在の位置は、磨羯宮と宝瓶宮の丁度中間位の所である。
が次の聖闘士に声を掛けに行くのは丁度その辺りだと、自身も含めた一同は、いつしか認識するようになっていた。
従って、今回もはそれに倣おうとしたのであるが。
「お前達。全員揃ってどうした。」
ご丁寧にも、次宮の聖闘士は、わざわざ自ら下りて来てくれたのだ。
といっても、事情を承知した上で迎えに出てくれた訳ではないらしい。
とすれば、これは何ともタイミングの悪い事である。
「ど、どうしよう・・・、説明する暇ないじゃない・・・・!」
「あ〜あ。こりゃここらが年貢の納め時か?」
「デス、何でそんな変な日本語知ってんのよ!?」
「そんな事はどうでも良いのですが、しかし困りましたね・・・・・」
「何が困るのだ?」
とデスマスク、ムウが繰り広げていたひそひそ話を聞きつけたカミュは、不審そうに首を傾げてから、その奥にいるミロとカノンの姿を目に留めて、軽く手を上げてみせた。
「ミロ、カノン。昨夜は済まなかったな。折角の飲みだったのに、急に行けなくなってしまって。」
「ばっ馬鹿野郎、カミュ!!飲みとか言うな!!」
「お前もだミロ!黙ってろ!!」
「どうしたのだ、ミロもカノンも。飲みがどうかしたか?」
カミュには、断じて悪気はない。
だが、悪気さえなければ済むのかと言えば、そうでもない。
少なくとも、今回はそうだった。
一同が凍りつく中、総主教はアルデバランの背から降りると、ヨタヨタとカミュの前に躍り出て来たのである。
「・・・・・・誰だ、この老人は?」
「これ、貴方。名は?」
「・・・・・・カミュ。だが、人に名を尋ねる時には、まず自分から名乗るのが礼儀というものでは?」
「シーーッ、カミュ!抑えて!穏便に!!」
突然見知らぬ老人から不機嫌そうに名を訊かれれば、流石のカミュもムッとしたらしい。
だが世の中には、その尤もな道理が通る相手と通らない相手が居るのである。
は冷や汗を掻きながら、小声でカミュを制した。
「穏便?私は別に揉めているつもりはないのだがな。ただ、こちらのご老体が何処の何方かと訊いているだけで。」
「私はギリシャ正教の総主教、ガリゴリ・ゴリグレオ。今のお話、聞き捨てなりませんな。」
「今の話?」
「飲み・・・・とは一体どういう事ですかな?まさか聖職者ともあろう者が、酒盛りなど?」
「僧?一体何の・・・」
「シーーーッ!!!!」
は咄嗟に駆け出してカミュの口を手で塞ぐと、ぶんぶんと首を横に振った。
「まさかー!とんでもありませんわ!」
「では、飲みとは一体何の事なのでしょうな?」
「それは・・・・・その・・・・あの・・・・・、おっ」
「お?」
「お茶会じゃ!・・・・・・ないかと・・・」
「ぐむ・・・%#$#‘{‘”!?!」
「ねっ、カミュ!?・・・・はいって言って。」
は手を離しざま、カミュにしか聞こえない程度の低い呟きを投げ掛けた。
「ぶはっ、はぁっ!何なんだ、一体!?」
「いいから!」
「・・・・・・・・・・『はい』」
「だそうです。だから決してお酒なんかじゃ・・・・」
「ほう。しかし・・・・・・、先程も何処かでちらほらと酒の匂いを嗅いだ気がするのですが。」
『!!!』
心当たりのある男二人と、その証拠隠蔽を画策した女一人が、気まずそうに顔を見合わせる。
このまままんまとだまくらかせると思っていたが、ここに来ていよいよ総主教の疑惑は強まったようだ。
彼は厳しい表情をして、カミュに詰め寄った。
「しかも貴方、僧衣はどうしたのですか。」
「何?」
「私は何も聖職者だからと言って、神のように振舞えとは言いません。我々人間は、風呂にも入れば眠りもする。しかし、僧衣は聖職者の看板にして信仰心の象徴。それを無くして、我々はギリシャ正教の僧を名乗れはしない。そうでしょう?」
「・・・・・・、一つ訊いても良いだろうか。」
「な、何?」
「この老人の言っている事が、私にはさっぱり分からんのだが。一体何事が起きているのか、説明してくれないか?」
「・・・・・・そうね。是非そうさせて。」
は今にも泣きそうな笑顔を浮かべて、コクコクと頷いた。
「全く・・・・・、それならそうと早く言ってくれれば。」
「言う暇がなかったのよ。カミュが先に下りてきちゃうから・・・・」
「私は只、町まで買い物に行こうとだな・・・・」
双魚宮へ続く階段を上がりながら、とカミュはひそひそと囁き合った。
あの後、はカミュ、ミロ、カノンを連れて、一旦先に宝瓶宮に引き上げたのだった。
そこで事情を説明し、カミュが納得したところで一同揃って次の宮へと向かっているのだが。
「しィーッ・・・・・!」
「ぐぁ・・・・・!」
「お、おいお前達、大丈夫か?」
「また見事に凍らされたな;」
アイオリアとシュラは、顰め面でギクシャクと歩くミロとカノンに憐憫の眼差しを向けた。
彼らは消臭強化の為、宝瓶宮にてカミュの凍気を浴びる破目になったのである。
ぱっと見は分かり難いが、良く目を凝らしてみると、心なしか肌の色の透明感が増している。
アイスコーティングの賜物のようだ。
「だ・・・・、大丈夫ぢゃだい゛・・・・・!」
「づ・・・・、づべだい゛・・・・・!」
二人とも、凍って上手く動かない顔の筋肉を必死で動かして喋っている。
そんな二人に、は小声で詫びた。
「ごめん二人共!もう少しだから辛抱して!」
「・・・・・この礼は高くつくぞ、。」
「何で私なのよ!?」
「だって、サガやカミュよりにナニかして貰った方が、俺達愉しいからさ。」
「たっ、愉しいって何させる気!?・・・・・あ・・・・・」
二人は薄い氷が張った顔を、どうにか含み笑いの形にする。
そのぎこちない笑みに慄き、が激しく首を横に振った時だった。
最後の宮・双魚宮の屋根が見えたのは。
「ん?」
「どうした?」
「・・・・・・次、行かなきゃ・・・・・。」
「じゃ、この話の続きはまた後でだな。」
「取り敢えず行って来い。」
「続きなんてしないわよ・・・・・。取り敢えず、行ってきます・・・・・」
相変わらず凍りながらニヤニヤ笑うミロとカノンに見送られて、は一人双魚宮へと向かった。
「へぇ、なるほど。それはそれはご苦労様だったね。」
「まぁね・・・・。で、アフロにも付き合って貰いたいんだけど。」
「任務とあらば何なりと。」
アフロディーテは、畏まった笑みを浮かべて頷いた。
「で、私の衣装はこれかな?」
「あ、うんそう。でも・・・・・・ごめんね。」
「何故?」
「だって、今からご飯だったんでしょ?」
は、ちらりとテーブルの上を一瞥した。
その上には、既にランチと思わしき料理の皿が並べられていたのである。
もうそんな時間になっていたのかと驚くと共に、折角のランチをお預けにさせてしまうのが何だか申し訳ない。
だがアフロディーテは、全く意に介した様子もなく、軽やかに笑ってみせた。
「あぁ、そんな事気にしなくて良いよ。今日は少し早目に用意しただけだから。」
「そう?」
「それに、どうせサガの所まで連れて行くだけだろう?」
「うん。そしたらすぐ戻って来れると思うんだけど。」
「なら全く問題はないね。仕事が終わってからゆっくり食べるよ。一緒にどうだい?」
「良いの?」
「勿論。さ、そうと決まれば、早速行くとしようか。」
アフロディーテは優雅な仕草で、に先を促した。
一方、そのすぐ目と鼻の先、つまり双魚宮の通路では。
「・・・・・まだ出て来ていませんね。」
「まだ支度出来ていないのか?」
到着したばかりの一同が、思い思いに散らばっていた。
だるそうに欠伸をする者も有り、このムウとアルデバランの様に、目でとアフロディーテの姿を探す者有り。
そして、総主教聖下はといえば。
「おお、これは見事な。」
通路の壁に一定の間隔を空けて飾られている深紅の薔薇に、うっとりと見惚れていた。
彼はこの十二宮の住人達に、次第に胡散臭さを感じ始めていたようであったが、今ばかりはそれも忘れているらしい。
飾り気一つない宮ばかりの中で、唯一花で彩られたこの美しい双魚宮を、彼は大層気に入ったようであった。
目を細めて壁伝いにゆっくりと歩き、時には花に手を触れたり、その芳しい香りを嗅いだりしている。
それが猛毒を持つ、魔宮薔薇だとも知らないで。
「皆、お待たせー!」
「やあ君達、もう来ていたのか。」
「遅ぇよお前ら。さっさと出てきやがれってんだ。」
「ごめんごめん・・・・、ってあれ、聖下は?」
「ん?あれ・・・・・、そういや・・・・・」
ふと気付けば、自分達の近辺に居る筈の総主教が居ない。
何処に居るのかと、一同が目線を遠くに投げようとした時、シャカが実に何気ない口調で言った。
「あれがそうではないのかね?」
『っひぃぃぃ!!!』
シャカが指差す方向を見て、一同は青ざめた。
通路の向こうの方に浮き上がって見える小山は、確かに総主教聖下であらせられたのであるが。
「聖下!?聖下!!しっかりして下さい!!」
「おい、瞳孔開きかけてるぞ!!」
「誰か何とかしろ!!」
「クソッ、何でこんな事に!?」
その人は、通路にぶっ倒れて昏倒していたのである。
「お・・・・、終わった・・・・・!!」
最後の資料を作り終えて、サガは深々と安堵の溜息をついた。
そのついでに時計を見てみれば、そろそろ昼時に差しかかろうとしている。
もっと早くに来られるかと思ったのだが、総主教はまだ到着していない。
尤も、たった今準備を整え終わったサガとしては、その方が有り難かったのだが。
「もうそろそろ来る頃だろう。と奴らには、後で礼をせねばな。」
仕事一つこなす度にいちいち礼などしてはいられないが、今回は特別だ。
うっかりミスを犯した自分をフォローする為に、巧く時間を稼ぎつつ総主教聖下をお連れしてくれるのだ。ここは礼をしておくべきだろう。
謁見用のローブを身に纏いながら、サガは上機嫌でそう考えていた。
・・・・その前に、怪我をさせたあの雑兵に詫びるのが先かと思われるが。
そんなこんなで支度を整えていると、執務室のドアがノックされた。
きっと彼らだ。
「入れ。」
サガは相変わらずの上機嫌なままで、返事をした。
その後入って来たのは、確かにと黄金聖闘士達であったのだが。
「お・・・・・、お疲れ様で〜す・・・・・」
「おお、。お前達も。ご苦労だったな。折角の休みに面倒をかけて済まなかった。」
「いえ・・・・・、どういたしまして。」
「はは、どうしたムウ?いつもなら面倒事を押し付けられれば、嫌味の一つでも炸裂させるのに、今日はやけに殊勝だな。」
「に、任務ですからね。」
「うむ、良い心掛けだ。いつもこんな感じだと、私も非常に助かる。ところで聖下は?」
何気なく発せられたサガの言葉に、一同の顔が怪しい笑顔のまま凍りつく。
「?どうしたのだ、聖下はどちらにおられる?広間の方か?」
「そ、それがだな、サガ・・・・・・」
「なんだカノン?はっきり言え。」
「キ、キレねぇ?」
「デスマスク、お前までどうした?何に対してキレろと言うのだ?」
「いや、キレて欲しくはないのだがな;」
「何というかその・・・・・・・、なぁカミュ?」
「いやまあ・・・・・・・、説明すれば長くなるというか・・・・、なあ、アイオリア?」
「そう、それだ。とにかく一言ではとても・・・・・」
カノンとデスマスクだけでなく、シュラやミロ、カミュにアイオリアまでもが、もごもごと口籠っている。
いずれもサガの知る限り、物事をはっきりきっぱり言い切るタイプの男だ。
そんな奴らが揃いも揃って、一体何だというのか。
次第に苛立ってきたサガは、声を荒げて一同に詰問した。
「ええい、さっぱり分からん!!こんな簡単な質問に何故即答出来んのだ!?」
「・・・・・駄目だ、もう怒り始めた;、ここは君の出番だね。」
「えっ、私!?ちょっとアフロ、そんなの私言えないよ・・・・・!」
「言いたまえ、。この場合、君が言うのが一番穏便に済む。それが客観的事実だ。」
「シャカまでそんな!!何でよ!?」
「サガはお前に一番甘い。お前なら殺されずに済むだろう。俺も付き合うから、頼む!」
「そんなぁ・・・・・・」
アルデバランが道連れになると申し出てくれた以上、これ以上拒否する事はには出来なかった。
「あ・・・・、あのねサガ?」
「なんだ?」
「あの・・・・・・・、そ・・・・」
「そ?」
「そ・・・・・・・の服素敵ね。」
情けなくも肝心な事を言い出せなかったに、一同はガクッと肩を落とした後、猛烈な勢いで抗議し出した。
「何言ってんだテメェ!?」
「ご、ごめんーー!!」
「ちゃんと言ってくれよ!」
「ごめんってばーー!!」
「ええいゴチャゴチャとやかましい!!なんだ、はっきり言え!!」
「っっ・・・・!!」
サガの一喝で、をはじめ全員が一瞬にして押し黙った。
もう、二度と。
失敗は許されない。
は大きく深呼吸をすると、サガの前に一歩踏み出した。
「あのね・・・・・・・、落ち着いて聞いてね。」
「ああ。だから早く言いなさい。」
「あの・・・・・・、殺さないでね?」
「私が、お前を?ふっ、まさか。そんな事する筈ないだろう?怯えなくて良いから早く答えなさい。いつまでも焦らされては、いくら私が温厚と言っても、いい加減イライラもするぞ?」
もう既にイライラしていれば、あんたの性格は温厚でもない。
誰もがそう思ったが、それを敢えて口に出して自爆するような馬鹿は、流石にここには居なかった。
「あのね・・・・・・聖下は・・・・・・」
「うむ、聖下はどちらだ?」
「あの、そこに・・・・・・・」
「そこ?」
が微かに震える指先で指し示したのは、アルデバランであった。
「アルデバランじゃないか。聖下は小柄な御老人だぞ?どこをどう間違えたらあの筋肉ジャイアントになるのだ?」
「サガ、お前俺の事を何だと思ってるのだ;」
「そのままだ。少なくともお前は聖下ではない。全く、人をおちょくるのもいい加減にしなさい、。」
「違うの!アルデバランの・・・・・・背中に・・・・・・」
「背中?どれ?」
サガは訝しそうにアルデバランの方へ近付いた。
そしてその背中を、正確にはその背に背負われている人物を見て一瞬沈黙し・・・・
「・・・・・・なんじゃこりゃああぁぁぁ!?!?」
と絶叫した。