その頃、教皇の間・執務室では。
「むぅおおおおぉぉ!!!」
サガが壮絶な形相で、一人書類と格闘していた。
ペンを走らせ、判を連打し、凄まじい勢いでデスクに積み上げていく。
本気モード200%といったところだろうか。
こうなっては、もはや誰も彼(の手)を止められはしない。
「し、失礼致します、教皇様・・・・・」
「何だ!!!」
「あ、あの・・・・・、聖下にお出しする飲物の事ですが、やはりコーヒーか紅茶の方が宜しいでしょうか?生憎両方切れておりまして、今あるのは先日女神から賜りました冷やしあめしか・・・・」
「それで構わん!!用が済んだら失せろ!!」
「はっ、はいーーーッ!」
雑兵その一は、ドスの利いた声で怒鳴りつけられ、
「し、失礼致します、教皇様・・・・・」
「何だ!!!!」
「あ、あの・・・・・、聖下にお出しする茶菓子の事ですが、やはりクッキーかケーキの方が宜しいでしょうか?生憎両方切れておりまして、今あるのは先日女神から賜りましたうなぎパイしか・・・・」
「それで構わんと言っとろうが!!下らぬ事で私の邪魔をするな!!!」
「ギャーーッ!!」
雑兵その二は、気の毒にペンまで投げつけられ、あまつさえその先が額に刺さって怪我まで負って。
それでも、彼(の手)は止まらなかった。
しかし、それは仕方のない事だと言えよう。
何しろサガは今、いつ来るとも知れぬ総主教の影に怯え、ただ一刻も早く書類を揃えねばならない、その一念で動いていたからである。
「頼むぞ、及びその他!何とかもう少し、間を持たせてくれ・・・・・!」
時計を見ながら血ヘドを吐くような声で祈り、サガはまた新たな書類へ挑んでいった・・・・。
所変わって、こちらは第八の宮・天蠍宮。
まだ気絶のダメージが回復しきっていない総主教を黄金聖闘士達に任せて、一人先にやって来たは、やはり予想通りの光景を目にしていた。
「も〜〜〜・・・・・、何これ!?」
思わずイライラと叫んでしまうのも無理はない。
ここ天蠍宮のリビングは、見るも無残な荒れようだったからである。
テーブルの上には、酒の空き瓶やらグラスやら、殆ど空になったツマミの皿やら吸殻がてんこ盛りになった灰皿やら、そんなものが所狭しとひしめいていて、おまけにここの主は、ソファの上で服のまま、気持ち良さそうに高いびきをかいているのだから、堪ったものではない。
「うっ、お酒くっさ・・・・・・!ちょっとミロ!起きてよ!!」
ともかく、はミロを起こしにかかった。
嗅ぎ取れる酒の匂いの強さは、双児宮で会った時のカノンと同等位であろうか。
ここは総主教の休憩中に、何としてでもどうにかしておきたいところである。
「ミロ、ミロってば!ねえ!!」
「うぅ・・・・・・、んぁ゛・・・・・・」
「『んぁ゛』じゃないのよ!起きてったら!!」
「う゛〜〜〜ん・・・・・・、・・・・・・・?なに・・・・・?」
「大変なの!起きてよ!!」
「ぁ・・・・・・・?なに・・・・・?寝込み襲いに来た・・・・・?」
「あっ!」
まだ半分以上閉じた目を緩ませて、ミロはの腕を引き寄せた。
しかし、さすが黄金聖闘士と言おうか。
まだ片足を夢の中に突っ込んだ状態でも、を引き倒せる位の力は出せるらしい。
「やだ、ちょっと!ミロ!!離してよ!!」
「んん〜〜・・・・・・?んふふ・・・・・・」
不可抗力でミロの胸の上に倒れ込んだは、そのまま抱き竦められながらも、なおもがきながらミロを起こそうと奮闘する。
が、ミロの方はそんな抵抗などどこ吹く風といった感じで、満足げな怪しい笑いを零しながら、再び夢の中へ戻って行こうとする。
「もーーー!!ミロ!!!」
「ん・・・・・、あぁ、済まん・・・・・・、少しだけ寝かせて・・・・・。後でちゃんとするから・・・・・」
「何をよ!?違うっての!!そうじゃなくて、お客さんなの!!仕事よ仕事!!!」
「あぁ・・・・・・・?客ぅ・・・・・・?ふぅん・・・・・・・」
「『ふぅん』じゃない!!いいから起きろーー!!!」
その直後、リビングに小気味良い炸裂音が鳴り響いた。
「おはようございます、ミロ。ところで貴方・・・・・・、本当に起きていますか?」
宮に出てきたミロを見て、開口一番ムウはそう言った。
それもその筈、頬にほんのりと赤い手形を貼り付けたミロは、その痛々しそうな痕も何のその、まだ夢現な表情で舟を漕いでいたからだ。
「あぁ・・・・・・、起きた。というか、起こされた。」
「嘘つけ。まだ寝てんじゃねぇか。目ェ開いてねぇぞ。」
「君の如き凡人は、目を閉じていては何も出来まい。私のようになろうとしても、一朝一夕では無理だ。さっさとその瞼を上げたまえ。」
デスマスクはまだしも、シャカには一言何か言ってやりたかったが、今のミロにはそれが出来るだけの明瞭な意識がなかった。
とにかく眠いのだ。
「やかましい。それで?一体誰だというんだ、その客は?」
「だから、さっき言ったでしょ!総主教聖下よ!ほら来た!いい、僧侶だからね?変な事言っちゃ駄目よ!しゃんとして!」
「くそ・・・・・・、死ぬ程ダルい・・・・・」
が指差す向こうから、アルデバランが、いや、正確に言えばアルデバランに背負われた総主教がやって来る。
薄ぼんやりした目でそれを捉えつつも、泥のような眠気に襲われているミロは、さながらゾンビの如く彼を迎えるしかなかった。
「ミロ。こちらはギリシャ正教総主教の・・・・・、ガ リ ゴ リ ・ ゴ リ グ レ オ・・・・・、聖下よ。」
今度は間違えずに総主教の名を言えたは、内心で安堵した。
間違えないようにと意識する余り、少しもたついた発音になったが、それは仕方がないだろう。
しかし。
「んぁ・・・・・?ゴリ・・・・・・?」
肝心のミロは、まだ眠そうに目を瞬かせながら、寝起き全開の声でそう反復した。
所々を間違えるならいざ知らず、全く正確に聞き取る気のなさそうな間違え方である。
「『ゴリ?』じゃない!ガリゴリ・ゴリグレオ聖下だ!!」
「ミロ!お前いい加減にちゃんと起きろ!!」
「聖下、大変失礼致しました。彼は昨夜遅くまで勤めに励んでいたようで。何卒お許しを。」
慌てふためくアイオリアと、総主教を背負ったままのアルデバランが、小声で寝ぼけ眼のミロを叱責し、その隙にムウが咄嗟の大嘘をついてフォローを入れる。
それが上手くいったのか、はたまた聖職者の慈悲深さ故か、総主教はアルデバランの背中から一同に微笑みかけた。
「いえ、構いません。勤めに励むのは大変結構な事です。ミロとやら。お近づきの握手を。」
「あ?ああ・・・・・・・」
求められるまま、ミロは片手を差し出した。
その時だった。
「ん?何やら妙な匂いが・・・・・・。酒?いや、少し違うような・・・・・。一体何の匂いでしょうか・・・・」
総主教の顔が歪む様を見て、一同は青ざめた。
カノンなどは、そそくさと総主教から距離を置きさえしている。
一方は、大いに焦っていた。
実は、寝ぼけるミロを叩き起こして来るのがやっとで、ろくな匂い対策を講じる事が出来なかったのである。
ええいままよとその辺あった部屋用の消臭剤を振りかけたは良いが、それがじわじわと湧き出てくる酒の匂いに混ざって化学反応を起こしたらしい。
「どれ・・・・・・・?」
顔を顰める総主教に習い、カノンがミロの側に近寄って匂いを嗅いでみた。
そして、硬い無表情になり、ぽつりと呟いた。
「・・・・・お前、石鹸で作った酒でも飲んだのか?」
「、お前ミロに何したんだよ?」
「あの・・・・・・、消臭剤をね・・・・・、ちょっとだけ・・・・・・、痛っ!」
デスマスクの質問に決まり悪く答えたは、その直後、彼に額を指で弾かれた。
「馬鹿かテメェは。もうちょっとマシな方法考えやがれ。」
「だって仕方ないでしょー!ミロがなかなか起きてくれなかったんだから!!」
「まあ良いじゃないか。少なくとも、酒の匂いだと聖下にバレた訳ではなさそうだ。それだけでも恩の字だろう。」
「ほら、アルデバランは分かってくれてるわ!」
「酒だとバレた方が、まだしもマシかもしれぬぞ。ミロの名誉の為には。」
「なんだシャカ?俺の名誉って何の話だ?」
総主教と握手を終えたミロが、話に混ざってくる。
眠気は若干醒めたようだが、自身が纏う不可思議な匂いには全く気付いていないようだ。
そこへ、ムウが涼しげな顔を出した。
「まあ皆さん、ミロ自身が気にしていないようですから、それはもうこの際構わないでしょう。それより先に進みましょう。」
若干早口になっているのは、呼吸を止めて一息で喋っているからである。
「そうね。でもサガは大丈夫かな・・・・・?」
「大丈夫でしょう。我々はとにかく、とっとと聖下を連れて行きさえすればそれで良いかと。もういい加減私も疲れてきました。も疲れませんか?」
「・・・・・・・ちょっとだけ・・・・・・」
「そうでしょうとも。全く、誰も彼も手こずらせてくれますからね。サガの事ですから、連れて行きさえすれば、後はどうにかする筈です。」
「ん・・・・・・」
ムウの発言もだんだん投げやりになってきたが、もそれに同意せずにはいられなかった。
一人で道を切り拓いて行くのには、そろそろ疲れを覚えてきていたからである。
それからは、次の宮・人馬宮を素通りし、ようやく磨羯宮へと辿り着いた。
ここまで来れば、教皇の間まであと一息。
おまけに、この宮の主であるシュラに関しては、全く不安材料がない。
もう昼近い今になってまだ寝ている事もないだろうし、酒の匂いをぷんぷんさせている事もない筈。
用が有る時以外は聖衣を纏う事もしないし、ましてや仏像に向かって座禅を組んでいる事も有り得ない。
従っては、この宮に限っては楽に進めると楽観して踏み込んだ、のだが。
「危ない!!」
「え?・・・・・・きゃあーーーッ!!」
突如轟いた怒声に驚いたのも束の間、次の瞬間、すぐ目の前の床が爆裂し、は床石諸共吹き飛ばされてしまった。
あれだけ無防備に歩いていて、なおかつこの惨事に遭遇して、それでも無傷だったのは、奇跡が起こったからだろうか。
いや違う。
「シュ・・・・・シュラーーーーーッ!!!」
「危ないだろう!?こんな所で何をしてたんだ!?」
「そっちこそ何してんのよーー!!」
自分を抱き上げているシュラの困惑した顔を見上げて、は半ベソをかきつつ叫んだ。
どうやら助かったのは、寸でのところでシュラが助けてくれたからのようだ。
でなければ只では済んでいなかっただろう。
それは床に残った大きな亀裂を見れば、一目瞭然であった。
「俺はただ鍛錬をだな・・・・・。それより怪我はないか?」
「うん、大丈夫・・・・・みたい。」
「そうか、それなら良かったが。一体どうしたんだ?今日は上がって来ない日じゃなかったのか?」
「それがね!えと・・・・・・・・、何だっけ?」
「いや、俺に訊かれてもな;」
何事もなかったのは地獄で仏だが、先程の事故(?)のショックがまだ残っているは、混乱の余り一瞬ここへ来た目的を忘れかけたが、幸いにもすぐに思い出し、シュラの胸倉を掴んだ。
「あっ、そう!思い出した!!あのね、大変なの!!」
「な、何がだ?」
「良いからこれ着て!」
「これは・・・・・、サガの法衣か!?何故俺がこれを着なければならんのだ、というか、何でお前まで着てるんだ??」
「仕事だからよ。」
「・・・・・・・;」
険しい表情を浮かべたに、シュラは、鍛錬でかいたものとは違う汗が額を流れるのを感じた。
と並んで、宮の入口で総主教一行を待つシュラは、相変わらずの困惑顔で呟いた。
話は一通り聞いたが、どうもこういう仕事は苦手なのである。
「、俺は芝居はどうも・・・・・・」
「つべこべ言わない!とにかくボロが出ないように、無事にサガの所まで連れて行かなきゃならないんだから、しっかりお願いね!」
「しかしな・・・・・、ボロならもう既にここに来るまでに出てそうな気はするのだが。」
「うっ・・・・・」
シュラの的確な指摘に詰まりながらも、はどうにか表情を笑顔に変えた。
「大丈夫よ!まだ今のところは何とか・・・・・・、誤魔化せてるから。」
「という事はやはり出たのだな、ボロ。」
「・・・・・・・・多少。」
「参考までに訊くが、どの程度だ?」
「シャカの仏像が見つかって、ミロが朝まで飲んでたのがバレかけただけ。でも大丈夫よ、ちゃんとうまく誤魔化したから!」
「・・・・・・あいつらもあいつらだが、それでまんまと誤魔化される方も相当だな。」
噂をすれば影。
呆れ返ったシュラが呟くと同時に、総主教一行が磨羯宮に到着した。
シュラはああ言ったが、実際はなかなかどうして、案外上手いものである。
つつがなく挨拶などを済ませ、さあ次へというところまでとんとん拍子に事が運び、はほっと胸を撫で下ろした。
残す宮はあと二つ。
あと数十分程で、この任務から解放される。
そう思った時だった。
「おや?これは・・・・・・」
「まっ、また何か!?」
「この床・・・・・、随分酷い破損具合ですな。」
総主教は何の気なしに言っただけかも知れないが、達にとっては冷や汗ものだった。
見れば分かるその亀裂は、シュラが放ったエクスカリバーの痕なのだから。
「おっ、おほほほ!ここはもう随分古い神殿ですから!ねぇ、シュラ?」
「あ、ああ・・・・・・、まぁ・・・・・」
「しかし、自然に欠損したようにはとても・・・・・・。まるでこう、鋭い刃で斬られたような・・・・・」
「ボケてるくせに、なかなか鋭いじゃないか。」
「! カノン!しーッ!!」
「は?」
「いっ、いえ、何でもないんです、ハイ。おほほほ・・・・・」
危うく聞き取られそうになったカノンの暴言をどうにか誤魔化して、は愛想笑いを顔に貼り付けた。
ついでにさり気なく床の亀裂の前に立ち塞がって、それが総主教の目に触れないようにする。
しかし、先程からの挙動不審な一同の様子と、ちらほらと続く奇妙な出来事(というか聖域サイドの不祥事)に、流石の総主教聖下もいい加減不審そうな表情を浮かべるようになってきている。
とにかくあと少しなのだ。
何とかこれ以上怪しまれないようにしなければ。
は祈るような気持ちで、宝瓶宮に続く出口を見つめた。