香がツンと鼻をつく処女宮に、は毎度の如く一足先に踏み込んだ。
「シャカ〜?」
呼びかけても返事はないが、居場所は大体見当がついている。
宮で瞑想しているか、さもなくば沙羅双樹の園だろう。
そう思い、宮の中を捜し歩いてみれば、シャカは案の定仏像の前で瞑想中であった。
「シャカ!シャカってば!!」
「・・・・・・」
「も〜、急いでるのに・・・・・!」
こんなに切羽詰っているのに、シャカは全く返事をしない。
は大いに苛立った。
普段ならわざわざ邪魔などしないのだが、今日は流石にそういう訳にはいかない。
は小さく溜息をつくと、シャカに近付いた。
「シャカ!!緊急事態なの!!瞑想ストーーップ!!」
大声で怒鳴りながら、はガクガクとシャカの肩を揺さぶった。
「・・・・・何かね、騒々しい。」
「大変なの!ちょっと聞いて!あのね・・・・・・」
かくかくしかじかでの話を聞いたシャカは、心外そうに立ち上がって言った。
「愚かな。このシャカに異教の僧の振りをしろと言うのか。」
「そこを何とか!お願い!!」
「断る。」
「後で何か美味しいものご馳走するから!!」
「・・・・・・・・」
の出した交換条件が魅力的だったのか、シャカの片眉が一瞬ぴくりと吊り上がる。
「・・・・・・良かろう。この聖域の秘密を守る為とあっては致し方あるまい。」
「さすがおシャカ様〜!きっと分かってくれると思ってたわ!」
「してその約束の方だが、最近甘い物が食べたくてな。」
「OKOK!ケーキでもアイスでも!」
「うむ。では早速仕事の方に取り掛かるとしよう。これを着れば良いのか?」
シャカはの手からサガの法衣を受け取ると、既に着ていた袈裟の上からそれを纏った。
「あっ、ちょっと!」
「何か問題があるかね?どうせ見えはしないだろう。」
「・・・・・絶対見せないでね?」
「心配無用。ところで最初に言っておくが、私はギリシャ正教などには毛ミジンコ程の興味もないから、総主教とやらの話には付き合わんぞ。ただ共をするだけだから、そのつもりで心得ておいてくれたまえ。」
「う、ズルい・・・・・。でもまぁ良いわ、墓穴掘るような事さえ言わないでおいてくれれば・・・・。」
「失敬な。この私が失言をするように見えるかね?余計な心配は要らん。それより、肝心の連中はまだかね?」
「もうすぐ来ると・・・・・あっ、来た!!」
手を振るの元へ、総主教を連れた一行はやって来た。
見ればシャカもその隣できちんと法衣を纏い、いつも通り尊大な顔をして立っている。
順調に事が運んだように見えるその様子に、一行はホッと胸を撫で下ろした。
その時だった。
「おや、あれは・・・・・・、仏陀の像、ですかな?」
という、訝しそうな総主教の一言に、シャカを除く全員が凍りついた。
「どういう事だシャカ!?あんな所に仏像など放置して!!」
「フッ、アイオリア。何を今更。あれは元々ずっとあの場所に据えてあるのだ。毎日通っているくせに覚えていないとは、君の頭はただの飾りかね?」
「何だと!?」
「ちょっと止めてよ、二人とも!!アルデバラン、止めて!!」
「お前達、喧嘩している暇はないぞ!今はともかく、この場をどう切り抜けるかだろうが!」
「しかしな、あんなデカい物今更隠せねぇだろ。さあて、あの爺さんをどう誤魔化すか・・・・・」
「・・・・・仕方ありませんね。ここは親切押し売り作戦でいきますか。アルデバラン、ちょっと。」
意味不明な解決策を口にしたムウは、アルデバランを伴って総主教の眼前に立ちはだかった。
「ときに聖下。お疲れではありませんか?」
「はぁ、ええまあ、ほっほ。この階段は、老体には少々堪えますな。」
「そうでしょうとも。そこで僭越ながら、ここから先は我々が聖下を負ぶってお連れしようかと、今皆で相談していたところなのです。」
「それは大変有難いですが、しかし・・・・・」
「いえ、お気遣いなく。さあどうぞ。さあご遠慮なく。」
ムウは、遠慮する総主教を半ば強引にアルデバランの背に乗せた。
「宜しいですか?では参りましょう。・・・・・アルデバラン。」
「ん?」
「一気に駆け抜けて下さい。聖下が周りに気を取られないように。皆さんもしっかりついて来て下さいね。」
ムウから小声で指示された一同は、小さく頷くと一気に駆け出した。
が。
「あっ!」
ズベシャアッ!!
最初の第一歩で法衣の裾を踏んだが、派手な音を立てて盛大に転んだ。
「痛ったぁい・・・・・!」
「何やってんだよお前!どん臭ぇな!!」
「だって裾が・・・・・・!」
は眉を八の字にして、戻って来たデスマスクに涙目で訴えかけた。
「チッ、もう少し小せぇの無かったのかよ?」
「あるわけないでしょ、全部サガのなんだから!」
「もう皆行っちまったぞ。オラ、乗れ!」
「えっ、あっ・・・・!」
言うが早いか、デスマスクはを背中に負ぶって駆け出した。
「しっかり掴まってろよ、一気に行くぞ!!」
「いっやーーーー!!!!」
目まぐるしいスピードで仏像が、仏陀の絵や経文の描かれたタペストリーが、視界を過ぎ去って行く。
まさかアルデバラン達も、こんなスピードで駆けて行ったのだろうか。
風圧で後ろに仰け反りそうになるのを必死で堪えてデスマスクにしがみ付きながら、は総主教の命の心配をせずにはいられなかった。
「はぁ、はぁ、はぁッ・・・・・!」
天秤宮に着き、デスマスクの背中からずり落ちるようにして降りたは、肩で息をしながらヨロヨロと立ち上がった。
「あれ・・・・・?聖下は!?」
「なんか・・・・・、あっちでくたばってるっぽいぜ?」
「うそーーー!?」
デスマスクが何気なく指差した方向には、宮の通路で倒れている総主教と、それを介抱する一同の姿があった。
「ちょっと!何事!?」
「ああ、。この通り、聖下がのびてしまわれましてね。」
「きゃーーッ!!どうしよーー!?!?」
「面目ない、爺さんに合わせて加減したつもりだったんだが・・・・・」
「大丈夫ですよ。気を失っておられるだけですから。放っておけばそのうち目を覚まします。それに、少し位眠っていてくれた方が、こちらサイドとしては有り難いでしょう?」
ムウは、余裕の笑みを浮かべてに言った。
「ま、良い足止めにはなったわな。ここらで暫く休憩でもすっか。」
「そうだな。気を失ってしまったものは仕方がない。先も急げぬ事だし、ここで彼が目を覚ますのを待つしかないな。」
デスマスクとアイオリアまでもが、ムウの意見に同意している。
とて休憩は望むところであるのだが、何しろ相手は高齢者。
ぐったりと目を閉じて昏倒している様が、あまりシャレになっていない。
「でも相手はお年寄りよ!?本当に放っておいて大丈夫なのかな・・・・・」
「心配すんな。アッチまで行っちまったら、穴に落ちる前に俺が連れ戻して来てやるからよ。」
「そんなのシャレになんないじゃないーーッ!!」
「シャレじゃねぇもんよ。親切心と責任感で言ってやってんじゃねえか。死体で帰したら流石にヤバいだろ?」
「死・・・・!あったりまえでしょーー!!」
益々シャレにならない事を言うデスマスク。
がそれに青ざめていると、突然居住区のドアが開いた。
「う・・・・・、うう・・・・・・・」
「気付いたようじゃの。」
「えっ、本当!?」
総主教の呻き声と童虎の言葉に反応したは、即座に総主教の顔を覗き込んだ。
「聖下!大丈夫ですか!?」
「え、ええ・・・・・・。私は一体・・・・・・・?」
「心配要らん。気絶しとっただけじゃ。うちの若い者が少々無茶をしたようであい済まぬ。」
まるで組の叔父貴のような台詞を吐いて、童虎は総主教に微笑みかけた。
その若々しい爽やかな笑顔に、総主教も申し訳なさそうな笑顔を浮かべる。
「そうでしたか。いや、こちらこそご迷惑を。・・・・・ところであの、一つお伺いしても宜しいかな?」
「何じゃ?」
「確か、先程神殿内で仏陀の像を見たような気がしたのだが・・・・・」
狐につままれたような顔をする総主教に、一同の顔が引き攣る。
『まだ覚えていたか』とでも書いてあるようだ。
「まっ、まさかー!きっと見間違いですわ!ねぇ、アルデバラン!?」
「あ、ああ!そうだ!そうに違いない!」
「うむ。仏像などこの聖域には一体たりとも存在しない。失礼だが、痴呆の気がお有りなのでは?」
「は?」
内容の割には余りにも大真面目な口調のシャカに、総主教は一瞬きょとんと目を丸くした。
達もまた、掛ける言葉を見失い、呆然としている。
これは明らかに毒なのであろうが、言った本人自体その自覚がないのか、実にさらりとしたものだ。
誰もが硬直するそんな中、いち早く我に返ったアイオリアが、シャカの口を手で塞いだ。
「シャカ!貴様という奴は〜〜!!」
「何をす・・・$#$%”@#!」
「あの、もし・・・・?」
「ああ、聖下。どうぞお気になさらず。それより、慣れない階段でお疲れだったでしょう。ここで暫くご休憩下さい。」
アイオリアとシャカのイザコザに呆気に取られた総主教の気を、ムウが絶妙に逸らせる。
それに童虎も便乗した。
のだが。
「折角こんな辺境の地まで来たのじゃ。ゆるりとして行くが良い。ほれ、茶もあるぞい。気分はどうじゃ、お若いの。」
「は?」
明らかに孫世代の容貌をしている童虎に『お若いの』と呼ばれ、総主教がまたもや狐につままれたような顔をした。
「ちょっと童虎!!来て、こっち来て!!」
「なっ、何じゃ!?」
焦ったは、童虎の法衣の袖を引いて、部屋の隅まで連行した。
「不審な発言は慎んでって言ったでしょーー!?」
「儂は何も言っとらんぞい。ちゃんとお主に言われた通り、坊主の振りをしとるではないか。ほれ、こうして僧衣も着て。聖闘士の話も、何もしとらんぞ?」
「そうじゃなくて!『お若いの』なんて言っちゃ不審がられるでしょうが!」
「ほっ、そうかそうか。そうじゃった。ワシ今若返っとるんじゃったわい。いやぁ、あのような70そこそこの男など、儂から見ればまだまだ若造なのでな。」
「そりゃ童虎はその3倍以上生きてるからね・・・・」
「しかし儂とした事が、すっかり忘れておったわ。儂もいよいよモウロクしてしもうたんかの、わははは!」
「その若々しいお姿で仰るには妙な台詞ですな、老師。」
苦笑いと共に現れたのは、遅れて来たあの男であった。
「カノン!やっと来たのね!」
「これでも急いだんだ。」
「お主今頃現れよって。今まで何をしておったんじゃ?」
「そう、聞いてよ童虎!カノンったらね、こんな時に大」
「黙れ!」
「酒・・・、むぐっ・・#$@!#?!」
都合の悪い事を童虎に聞かれたくないカノンが、腕づくでの口を塞いでいると、カノンの姿を見た総主教が、まだ幾分青い顔に笑顔を浮かべて声を掛けた。
「おお、サガ司祭・・・・・。」
「だから違うと言ってるだろうが!俺はサガではない!!弟のカノンだ!!!」
「ほう、そうでしたか・・・・・。兄上に良く似て、いや、瓜二つなご兄弟ですな。まるで双子のようだ・・・・・。」
「ええ、だから双子だと先程も申し上げたかと・・・・」
総主教の言葉にカノンが激昂し、ムウが控えめに突っ込む。
その様子を呆れ顔で見ていたデスマスクは、ここへ来てから何本目かの煙草に火を点けて、ようやくカノンの手から解放されたの側へと歩み寄って来た。
「ホントにボケてんじゃねぇか、あの爺さん?」
「しっ、聞こえるわよ!さっきまで気絶してたんだから、仕方ないじゃない!」
「ったく、折角の休みにジジィのお守りなんてやってらんねぇぜ。」
「そういう言い方しない!まぁ・・・・、気持ちは分かるけど。」
「だろ?」
デスマスクとがひそひそと小声で喋っていると、総主教から逃げ出してきたカノンが二人のもとへやって来た。
「デスマスク、俺にも一本くれ。」
「おう。昨夜は大分飲んだみたいだな?まだ少し匂うぜ?」
「どれ?・・・・・あ、やだホント。まだ取れきってない!」
「嗅ぐな。」
「いたっ」
胸の辺りに鼻を近付け、そこに酒の匂いを嗅ぎ取って顔を顰めるの額を人差し指で軽く押し返して、カノンは煙草の煙を深々と吸い込み、そして吐き出した。
「これ以上はどうにもならん。放っておけばその内消える。」
「ま、良いじゃねぇかよ。どうせあの爺さんには分かりっこねぇって。」
「・・・・・・だと良いけどね。」
「それより俺は死ぬ程眠い。帰って寝たい。」
「俺も。起きるなり引っ張って来られてよ。迷惑極まりねぇぜ。」
「もう・・・・」
やる気なさそうに煙を噴き出すデスマスクとカノンに、は呆れて口をへの字に曲げた。
そのついでに腕時計を見てみれば、もう10時半を回っている。
「あ、もうこんな時間。」
「ん?ああ、10時半か。どうするよ、もうそろそろ行くか?」
「そうだな。あのジジィも少し復活したようだし、これ以上話し込まれてボロが出ても困るしな。」
「さっさと連れて行って、早いとこお役御免になりてぇよ俺は。」
「そうねぇ・・・・・・・、サガの方は大丈夫かな?」
窓の向こうに連なって見える、数々の宮。
その頂上で彼は今一人、修羅場をくぐっている最中であろう。
は遥か上の教皇の間を、気の毒そうな目で見つめた。