足を踏み入れた双児宮は、しんと静まり返っていた。
がまた一足先に居室を覗いてきたのだが、カノンの姿は何処にもなかった。
「カノンは居なかったのか?」
「うん。もぬけの殻だった。」
「まあ、居なきゃ居ないで構わないでしょう。その方がいっそ面倒事がなくて良いというものです。」
「・・・・それもそうね。」
三人がやれやれと肩の力を抜いた時だった。
「お前達。こんな朝っぱらからどうした?」
「「「カノン!?」」」
面倒事が起きてしまった。
重そうな瞼をしたカノンが、巨蟹宮方面からやって来たのだ。
「ちょっとカノン!何処から来たの!?うっ、お酒臭い・・・・!」
「昨夜ミロの所で飲んでいてな。」
「えぇ!?こんな時に何してんの!?」
「こんな時?今日は執務も何もない日だろ?何をしようが俺の勝手・・・」
「勝手じゃないから言ってるの!」
「さっぱり分からん。分かるように説明しろ。」
事情を全く呑み込んでいないカノンを見た総主教が、にこにことカノンに近付いた。
「おお、サガ司祭!しばらく振りですな。」
「ん?このジジィは何者だ?侵入者か?ジジィ、俺はサガではない。俺の名は・・・」
「馬鹿っ!デカい声で失礼な事言うんじゃないの!!いいからこっちに来て!!」
は総主教に愛想笑いを向けると、有無を言わさずカノンを居住区へと引き摺って行った。
「ほ〜、なるほど。サガの奴め、面倒な予定を入れやがって。」
「今更言っても仕方ないでしょ!とにかく今日一日、私達は僧侶なのよ!それっぽく振舞ってよね!」
「フン、下らん。」
「とにかくこれ着て。」
ダルそうに鼻を鳴らすカノンに、はサガの法衣を渡した。
カノンは面倒臭そうにしつつも、一応渡された法衣には素直に袖を通した。
「ぴったり!流石双子ねぇ〜!丈も幅もぴったりじゃない♪」
「そういうお前は随分不恰好だな。ククク。」
「仕方ないでしょー!サガの服が私に合う筈ないじゃない!うぅっ、それにしてもお酒臭い・・・・!それ何とかならないの!?」
「無理だな。何しろ二人してワインのボトルを5〜6本空けたからな。」
「馬鹿じゃないの!?もうちょっと加減しなさいよね!とにかく匂いを何とか消さなきゃ・・・・。二日酔いの僧侶なんて聞いた事ないわ。」
「だからどうしろというのだ。シャワーでも浴びさせてくれるのか?」
そんな時間はない。
しかしこのまま連れて歩けば、間違いなく総主教から顰蹙を買う。
それはもっとマズい。
は深々と溜息をつくと、頷いてみせた。
「・・・・・仕方ないか。でも手早くね!シャワー浴びて、牛乳でも飲んで、大至急追いかけてきて!」
「分かった分かった。」
「くれっぐれも寝ないでよね!来なかったら後でサガにこっ酷い目に遭わされるわよ!」
「脅してるつもりか、それは。分かったと言ってるだろうが。しかしな、ミロも俺と同じ状態だぞ。」
「そっ、それは・・・・、後で考えるわ。とにかく急いでね!聖下に失礼があったら、私達皆サガにこってり絞られるわよ!?」
「心配するな。そうなってもお前は無傷だ。そうとも。きっとお前の事は労って、俺達は半死半生の目に遭わせる。奴はそういう男だ。」
「と、とにかく大至急だからね!じゃ、先に行くから!!」
「ククッ、色々大変だな、お前も。」
「そう思うんだったら協力して!」
からかうように同情の言葉を投げ掛けてくるカノンを睨みつけて、は急いで双児宮の居住区を飛び出して行った。
一方、外ではムウとアルデバランが、総主教に訊かれてカノンの事を説明している真っ最中だった。
「ムウ、アルデバラン!お待たせ!!」
「おお、!カノンは!?」
「匂い消しの真っ最中!後で追いかけて来いって言ってあるから。」
「そうですか。全く厄介な・・・・」
「ミロも同じような状態らしいわよ。」
「はぁ・・・・、気が重いな・・・・・」
「同感。とにかく行きましょう。」
「いやはやしかし、サガ司祭に双子の弟君がいたとは初耳ですな。」
「このくそ忙しい時に朝まで飲んだくれてるような愚弟の存在など、明らかにしたくなかったのでしょう。」
「は?」
「いえ何でも。とにかく我々は先に参りましょう。さあ、聖下、お手を。」
三つめの宮で既に疲れ果てた三人は、この後越えて行かねばならない九つの宮を思い憂えた。
総主教をムウとアルデバランに任せ、はまた一足先を急いだ。
目指すは第四の宮、巨蟹宮である。
「デスーーー!!!居る!?」
居住区へのドアをガンガン叩きながら、は大声でデスマスクを呼んだ。
しかしなかなか返事が返って来ない。
まだ寝ているのだろうか。
そう思った瞬間、ドアが開いた。
「・・・・・・何だよこんな朝っぱらから・・・・・・」
「あっ、あんたこそ何なのよその格好!?」
居たのは良いが、デスマスクはトランクス一丁の素っ裸だった。
まだ目も開ききっていないところを見ると、今の今まで寝ていたようだ。
ふと見れば、総主教御一行様はもうそこまで来ている。
このままでは、この失礼極まりない姿を見られてしまう。
は慌ててデスマスクの元に駆け寄り、居住区に押し込めてしまおうとしたが。
「あっ!!」
「うおっ!!」
焦った余り、法衣の裾に注意を払うのを忘れてしまった。
結果、駆け出した第一歩で裾を踏みつけ、そのままデスマスクに向かって豪快にすっ転んでしまった。
お陰で総主教には見られずに済んだが・・・・・。
「痛ったぁい・・・・・」
「痛ぇのはこっちだよ・・・・、思いきり頭打っちまった・・・・・、ってぇ・・・・」
を抱き止めつつ、真後ろに思いきり倒れ込んで後頭部を強打したデスマスクは、打った部分を擦りつつ、上半身を起こした。
「大体テメェは何でそんなモン着てんだ!?」
「仕方ないでしょ!?理由があるのよ!!」
「理由!?説明して貰おうじゃねぇか!」
「・・・・・するからさ。腰に回してる手、退けてくれない?」
不可抗力でデスマスクに跨ってしまっているは、そっぽを向いて咳払いをした。
退こうにも腰をしっかりと抱えられており、身動きが取れない。
おまけに、下腹部辺りに感じる何やら嫌な感触も堪らない。
デスマスクはつまらなそうに鼻を鳴らすと、を解放した。
「・・・・という訳なの。」
「へ〜、面倒臭ぇ・・・・・・」
「それは皆一緒。今頃サガもそう思ってるわ、きっと。」
「ふ〜ん・・・・・・」
「ちょっとデス、聞いてる?」
「あ?ああ、聞いてる聞いてる・・・・・・」
コクコクと頷くデスマスクの目は塞がっている。
の話は、右から左に流しているようだ。
「も〜・・・・、ちゃんと起きてよほら!!」
「お〜・・・・・」
「ちょっと、私にもたれないでよ!!」
胸にもたれかかって二度寝を決め込もうとするデスマスクを揺さぶっていると、玄関ドアがノックされた。
急げという事らしい。
確かに、双児宮に加えてここ巨蟹宮でも『ちょっと待った』状態であれば、いい加減総主教に失礼というものである。
慌てたは、パンツ一丁のデスマスクを急かした。
「起きろーーー!!!早くーーー!!急いで!!」
「うっせ・・・・・!耳元で怒鳴るな!」
「良いから早く!もうそこまで来てるのよ!ああぁもう駄目、間に合わない!!」
「うるせぇな・・・・・、とにかくこれ着て出りゃいいんだろ!?」
そう言って、デスマスクはパンツ一丁のままで法衣を纏ってしまった。
「あっ!アンタそんな事して良いの!?」
「仕方ねぇだろ?急げって言ったのお前だろうが。上まで送って行きゃ終いなんだろ?」
「あ〜あ・・・・、知らないんだから・・・・」
「見えやしねぇよ。」
「そうじゃなくて・・・・、っていうかそれもあるけど、サガにバレたら知らないからね?」
「弟と共用の聖衣をマッパで纏う奴に言われる筋合いはねぇ。行くぞオラ。」
そう言って、デスマスクは堂々と外へ出てしまった。
「おう、待たせたな。」
「予想はしていましたけど、思いきり寝起きですね。」
「うん、今起きたとこみたい・・・・・。しかもあの法衣の下、パンツ一丁なんだけど・・・・」
「何だと!?あの馬鹿者が・・・・・!」
三人が額を押さえている間に、デスマスクは総主教と握手を交わしていた。
「あ〜〜、まだ眠ぃ・・・・・・」
「おやおや、ほほほ。お勤めは厳しいですかな?」
「おう、まぁな。確かに昨夜はちょっと頑張りすぎた。」
「ほほう、しかしお勤めは厳しい方がやりがいがあるというものでは?」
「お。爺さん、アンタも結構好きなクチだな?その年でまだ打ち止めじゃねぇのかよ?やるねぇ。」
「は?」
眠そうな流し目をしたデスマスクの話は、総主教には全く通じていない。
ついでに最初は達三人にも通じていなかったが、そこはデスマスクを良く知る三人。
すぐに気付き、慌ててデスマスクをホールドした。
「馬鹿っ!なんて事言うの!!僧侶だって言ったでしょ〜〜!?」
「大体、口の利き方からしてなっていませんね。」
「いいかデスマスク!相手はギリシャ正教の総主教だ!酒・女・ギャンブルその他如何わしい話題は一切厳禁だ!!」
「わ〜〜かった!分かったから首、首絞めるな!冗談じゃねぇか!」
アルデバランの丸太のような腕でヘッドロックをかまされていたデスマスクは、失神寸前でどうにかその鉄の拘束から抜け出す事が出来た。
「ゲホッ、ゴホッ!アルデバラン、お前本気で俺を絞め殺す気だっただろ!?」
「寝坊して鍛錬を怠るから、この程度の技でKO寸前になるのだ。」
「ケッ、ほざけ。」
「とにかく僧侶っぽく振舞ってよ!?もし皆の素性がバレるような事になったら大変でしょ!?」
「そうなったら俺が絞め殺す前に、確実にサガがお前をブチ殺しに来るぞ。」
「さあ、いつまでもモメている場合ではありませんよ。行きましょう、聖下が不審がらないうちに。」
ムウに促され、一同は聖下にとって貼り付けたような愛想笑いを見せた。
それから一同は、更に階段を上がっていった。
もう間もなくアイオリアの宮・獅子宮が見えてくる頃だ。
は再び一同に目配せをし、一足先にアイオリアの様子を伺いに走った。
「アイオリア〜・・・・・?」
「おお、。おはよう。」
「あ、居た!おはようアイオリ・・・・・ア?」
宮の通路に居たアイオリアの姿に、の目は釘付けになった。
「何してんの?」
「ウォームアップだ。今日はこれから一日鍛錬なのでな。」
いきいきと微笑むアイオリアの顔は、の足元にある。
何故そんな位置にあるかというと。
「995、996、997、998・・・・・」
アイオリアは今、右の人差し指一本で逆立ちになって、腕立てならぬ指立ての真っ最中だったのだ。
995からカウントが始まっているという事は、既に994回こなしたという事らしい。
それに眩暈を感じつつも、迫り来る総主教一行を気にしつつも、はひとまずアイオリアが指立てを終えるのを見守った。
あと2回待って終わらなければ、強制終了させようと思いながら。
「999、1000ッ・・・・・!」
「すごーい!!よくそんな事出来るねえ!!」
「なに、聖闘士ならこの位朝飯前だ。」
「ところで、もうウォームアップは終わり!?」
「いや、まだあと左手が残って・・・・・、うわっ!!」
アイオリアは、バランスを崩してその場に倒れ込んだ。
言うまでもなく、強制終了させられたのである。
「な、何をするんだ・・・・!?」
「ごめんねアイオリア!訳は後々話すから、今からこれを着てギリシャ正教の僧侶になって!」
「はぁ!?ちょっと待ってくれ!全く意味が・・・・・」
「良いから早く着て!!」
そう言って、は法衣をアイオリアに押し付けた。
アイオリアは訳も分からぬまま、ひとまずそれを纏った。
「もうすぐね、ある人が来るの。」
「ある人?」
「そう。サガのお客様。ギリシャ正教の総主教様なんだって。」
「そんな人物がここに何の用なんだ?」
「教会関係の用事みたい。詳しくは知らないけど。とにかく、聖闘士の事が知れたら駄目みたいだから、今日は一日僧侶になりきってね!」
「なりきってと言われても・・・・・、俺は通り一遍の信心しか持ち合わせておらんのだが・・・・・・」
「大丈夫よ!・・・・・・多分。」
「しかし・・・・・」
「だってさ、ここに本物のギリシャ正教の信者が、一人でも居る!?」
確かにそんな者は居やしない。
ここの神は女神である城戸沙織唯一人だ。
強いて言えば司祭を名乗っているサガであろうが、彼からしてそれを隠れ蓑にこの聖域を運営しているし、シャカに至ってはこの地で堂々と仏教を信仰している始末である。
「・・・・・・なるほど。分かった。善処してみよう。」
「頼んだわよ!」
「それで・・・・・、今日の鍛錬は?」
「中止・・・・・して貰うしかないか、な?」
の言葉に、アイオリアはがっくりと肩を落とした。
苦手な芝居などよりも、兵士に訓練でもつけている方がアイオリアにとっては余程有意義なのだが、仕方がない。
そうこうしている内に、総主教一行が到着した。
そして、諦めたアイオリアを含めた一同は、挨拶もそこそこに処女宮に向けて出発した。