サガはアルデバランの背中から総主教聖下を引き摺り下ろして、その小柄な身体を力一杯揺すった。
「聖下、聖下!しっかりして下さい!聖下!!」
「あの、サガ、そんなに乱暴に揺すっちゃ・・・・」
「、一体どこでどうなってこうなったのだ!?」
「えっと、色々あったんだけど・・・・・、とどめはアフロの薔薇、だった・・・・かな?」
アフロディーテとサガ、二人の顔色を伺いつつ、は戦々恐々としながら白状した。
予想通り、その言葉を聞いたサガは目を大きく見開いて叫んだ。
「なっ・・・・何だと〜〜!?」
「ごめんなさいごめんなさい!!」
「サガ、一人を責めるのは止してやってくれ。悪いのは魔宮薔薇を飾っていた私も含めて、ここに居る全員なのだ。」
「そんな事は当然だ!!!私は何も一人を責めているつもりはない!というか、むしろ貴様だ!!魔宮薔薇だと!?よりによって聖下に攻撃を仕掛けるとは何事だ!!」
「馬鹿を言うな!私は何もしていない!!と一緒に宮に出てみれば、もうその老人は瀕死だった!!」
憤慨したアフロディーテは、サガの剣幕に負けず劣らず言い返したのだが、それは余計に事態を悪化させてしまった。
サガは益々怒り狂って、アフロディーテに詰め寄った。
「瀕死!?どうするのだ!!こんな所で謎の死を遂げられる訳にはいかんのだぞ!?」
「分かっている!!だからちゃんと手は打った!!毒消しも投与したし、念の為にデスマスクも積尸気に張り込んでいる!」
「アフロディーテの言う通りだ。万策は尽くしてある。安心して少し落ち着きたまえ、サガよ。」
「何だと、シャカ!?これのどこが安心して落ち着いていられる状況だと・・・」
「魔宮薔薇の毒は消した。積尸気にはデスマスクを配置した。そして、万が一最悪の事態に陥った場合は・・・・」
「場合は!?」
「この私自らが読経して、責任をもって弔ってやろう。何も案ずる事はない。」
「ふ・・・・・ふざけるなーーーッ!!!」
とうとうサガの怒りが頂点に達してしまった、正にその時であった。
「う・・・・・、うぅ・・・・・・・」
「はっ、聖下!?聖下、私です、サガです!!分かりますか!?」
「う・・・・・んん・・・・・、サガ司祭・・・・?」
「良かった、ご無事でしたか!!!」
まだ薄らぼんやりとした目をしながらも、総主教聖下は無事死の淵から蘇ったのである。
それから小一時間後。
一同は執務室で、痛い程の沈黙に耐えていた。
「・・・・・・・まずは先に詫びておく。元はと言えば私が悪い。私がうっかり予定を忘れさえしなければ、このような事にはならなかった。」
「分かってるならさっさと帰せ。」
ボソリと呟いたカノンを殺気立った眼差しで一睨みしてから、サガは再び口を開いた。
「見ての通りの大失敗だ。総主教聖下は帰られてしまった。私が死に物狂いで用意した資料に目もくれずにだ。結局何しに来たのだろうな。」
「知らねぇよ、こっちが訊きたいぜ。」
「当てこすりだ馬鹿者!!!」
デスマスクの何気ない一言がきっかけになって、サガはそれまで抑えていた怒りを爆発させた。
「お前達が年寄り相手に無茶をするからだろうが!!おまけにその騒動で時間も無駄にロスして!」
「心外な。私達はきちんと任務を果たした。双魚宮での一件は彼自身の不注意による事故だ。」
「黙れシャカ!!聖下を下までお送りする間、私が一体どれだけの嘘を聖下につき続けたと思っているのだ!!聖下は混乱とお怒りで、一時はお前達の事を教会内で公に審議するとまで仰っておられたのだぞ!?分かってるのか!?一番恐れていた事が起きそうになったのだぞ!?それを阻止するのに私が一体どれだけ頭を下げた事か、どれだけ骨を折った事か!!」
そこまで一気にまくしたてると、サガは深々と溜息をついた。
「仮にも聖職者が酒や煙草の匂いをさせ、朝も遅くまで寝ているとは何事かと、聖下はお怒りだった。心当たりのある者、正直に手を挙げろ。」
挙げろと言われて挙げられるものか。
心当たりのあるカノン・デスマスク・ミロは、互いに目配せし合ったのだが。
「とぼけても無駄だ。大体察しはついている。殺されたくなければ今すぐ挙げろ。私は本気だ。」
この脅しには、流石に負けた。
何しろサガは、言った事は実行する、有言実行型の人間である。
特に、こんな風に目が据わっている時は要注意だ。
それを良く承知している一同は、渋々ばらばらと手を挙げた。
「やはり予想通りのメンツだな。余りに予想通り過ぎて怒りが・・・・」
「湧かねぇか?」
「抑えられんのだ!!!」
サガは大声で怒鳴ると、またマシンガンのような口調で捲し立て始めた。
「だからあれ程いつもいつもいつも言っておいただろう!?少しはまともな生活をしろと!!日頃から素行を正していれば、このような事にはならなかったんだぞ!!それから誰だ、私の用意した法衣を着ずに聖下の前に出た奴は!?」
「・・・・もしかすると、私の事だろうか?」
「お前か、カミュ!からちゃんと説明を聞かなかったのか!?」
「違うのサガ!カミュは何も知らなかったのよ!私が説明しに行く前に、先に階段で鉢合わせちゃったから・・・・」
「そうだ、タイミングが悪かったのだ。知らなかったものは仕方ないだろう?」
「全く・・・・・・・」
サガは盛大に溜息をついた。
お小言はこれで終わりかと誰もが一瞬胸を撫で下ろしたが、しかしまだサガの気は済んでいなかったようだ。
「それから、これは誰かと訊くまでもないが、堂々と仏像を宮内に放置していたというのは・・・・・・、シャカ、貴様だな。」
「放置とは言葉が悪い。あれは今も昔もあの場所にあるのだ。縁も所縁もない老人一人の為に、わざわざ動かしてやる理由はない。」
「それでも話を聞けば、どうにかする必要があった事ぐらい察しがつくだろう!布か新聞紙で隠すなり何なり、手は打てた筈だ!!」
「通路にそびえ立つ新聞紙の山、か。それはそれで目を惹きそうだな。怪しい事この上ない。」
「やかましい!!それは例えばの話だ!!」
飄々と言い返すシャカに怒鳴っておいて、サガは今度はアルデバランとアフロディーテを見据えた。
「後は・・・・・アルデバランにアフロディーテ!!お前達のしでかした事を誤魔化すのには、随分苦労したのだぞ!?」
「おっ、俺か!?俺が一体何をしたと・・・・・・!?」
「聖下を負ぶったのはお前だろう!?『大きな男』と言われればお前しか思い浮かばん!」
「た、確かに俺だが・・・・・・」
納得して黙り込んだアルデバランと入れ替わりに、今度はアフロディーテが抗議の声を上げた。
「だから私は何もしていないと言っている!あれはあの老人が勝手に!」
「黙れ!!わざわざ今日に限って魔宮薔薇なんぞ飾りおって!何のつもりだった!?」
「別に何も。ただ思いついただけだ。」
「何だと〜〜!?」
今にもアフロディーテに掴みかかろうとしたサガを、アルデバランが必死で止める。
「まっ、待ってくれサガ!確かに俺達も悪かった!だが決して悪気は・・・・」
「黙れ!!お前も、聖下を負ぶっていながら光速で走っただろう!?運良く生きておられたから良かったものの、何かあったらどうするのだ!?相手は一般人も、しかも年寄りだぞ!?少しは加減というものを知れ!!」
「す、済まん・・・・!しかし光速までは出してなかったが・・・・・」
「サガ、私からも言わせて下さい。彼に聖下を負ぶって処女宮を走り抜けるよう頼んだのは私です。そうするしかあの仏像を誤魔化す術がなくてやむなく。」
「くっ・・・・・・・」
確かに最もヤバい出来事ではあったが、彼らに悪気が無かったのは、サガとて分かっている。
その上ムウにまで弁護されてはそれ以上何も言えず、サガはその三人から目を逸らすと、今度は絶望的な眼差しで童虎を見た。
「それから老師、貴方もです!!」
「儂か?」
「老師のお年は私も良く存じております!ですがそれは一般の者には信じ難い事、常識外なのです!!それを、こともあろうに聖下を『お若いの』呼ばわりとは!一体何事かと思われるでしょうが!聖下も困惑しておられましたぞ!!世間的に見れば、貴方は私より若者なのですよ!?」
「それはさっきにも叱られたわい。悪かった悪かった。儂がついうっかりしとったせいじゃな、済まん済まん。」
大らかな笑顔でサガの小言をのほほんとかわす童虎。
サガも流石に童虎には暴言を吐けないのか、ようやく黙り込んだ。
若干消化不良気味ではあるようだが。
「問題なく任務を果たしてくれたのは、ムウ・アイオリア・シュラ・そして・・・・・・。たったの四人か。問題のない奴より問題のあった奴の方が多いとは・・・・・、私は情けない、心底情けない・・・・・・」
小言が終わったと思いきや、今度は悲嘆に暮れている。
『私が甘いせいだろうか』などとブツブツ呟くサガに、は恐る恐る近付いた。
「あの・・・・・、ごめんねサガ。私も悪かったのよ。私がもっと手際よくやれてたら・・・・」
「いや、だけに面倒事を押し付けた俺達も悪かったんだ。」
「そうだ。誰のせいだというよりは、全員の責任だろう。迷惑をかけて済まなかった、サガ。」
申し訳なさそうな・アイオリア・シュラに、サガは僅かに微笑んでみせた。
「・・・・・そうだな。それに何より、元々の原因は私のミスだ。ついカッとなってしまって悪かった。皆も、申し訳なかった。」
落ち着いた様子で殊勝に詫びるサガに、一同もようやく肩の力を抜いた。
「もうこの話は終わりにしよう。皆ご苦労だった。もう戻って良いぞ。ああそうだ、帰る前に各自法衣を脱いでその辺りに置いていってくれ。」
その言葉に従い、一同が次々と法衣を脱いで立ち去っていく。
彼らの置いていったそれを回収しながら、とサガは顔を見合わせてどちらからともなく微笑んだ。
「済まなかったな、。お前には一番面倒をかけたのではないか。」
「ううん、こっちこそごめんね。聖下はうまく誤魔化せたの?」
「大丈夫だ。信用があるからな。これも偏に日頃の行いの成果だ。」
「へ〜え、凄いね。」
冗談めかした口調のサガと笑いあっていたその時、突然シャカが声を掛けてきた。
「、例の約束は守って貰えるのだろうな?」
「例の約束?なんだそれは?」
「ああ、あれ。あのね、今回の事に協力して貰う代わりに、甘い物ご馳走するって約束したの。」
「何だと?全く・・・・・、呆れた奴だな。」
「私は仏陀への信仰心を曲げてまで協力してやったのだ。当然だろう。」
「分かった分かった、では私が代わりに約束を果たそう。キッチンに、聖下にお出しする筈だった茶菓子がある。好きなだけ持って帰るが良い。」
「茶菓子か。ちなみに何だ?」
「さて何だったか・・・・・・、確か何とかパイだとかなんとか・・・・。とにかく甘い物には違いあるまい。」
「まあ良い。今回はそれで手を打とう。ではな。」
忙しい最中だったせいで、雑兵達の話を良く覚えていないサガは適当に答えたのであるが、シャカはシャカなりに今回の事を申し訳ないと思っているのだろうか、そんな適当な答えでも珍しく文句一つ言わずに頷いて去っていった。
「さて、我々も帰るか、。」
「そうだね。」
サガとは、執務室を出ようとして足を止めた。
もう誰も残っていないとばかり思っていた室内に、まだ法衣を着たままのデスマスクが残っていたのである。
「どうしたデスマスク。戻らんのか?」
「いやまあ、戻るんだけどよ。」
「何にせよ、それはもう必要ないだろう。芝居は終わったのだから、脱いで構わないんだぞ?」
「いや、その、なんだ・・・・・、アレだ。ほら、今回はアンタに迷惑かけちまったからな。せめて借りた服ぐらい洗って返すか・・・・・、なんてな。」
照れ臭そうに呟くデスマスクを見て、サガは感動したように言葉を詰まらせ、は驚愕の表情を浮かべた。
嘘だ。
よりにもよってサガ好みの健気な嘘をつくなんて、この男は何とあくどいのだろう。
只一人真実を知っているは、青ざめた表情でデスマスクを見たが、その視線に気付いたデスマスクは一瞬凶悪な表情を浮かべて、『黙ってろ』というジェスチャーをした。
「・・・・・デスマスク、大人になったのは身体ばかりだと思っていたが、ちゃんと頭も大人になっていたのだな・・・・・!私は嬉しいぞ・・・・・!」
「一言多いんだよ。褒めてんのか貶してんのかどっちだ?」
「済まん、貶してなどいない。ただ吃驚しただけなのだ。気を悪くしないでくれ。」
すっかり感心し感動しているサガは、デスマスクの嘘の裏にある真実に全く気付いていない。
デスマスクは一瞬してやったりと口の端を吊り上げた後、とどめに『俺だって、反省する時ぐらいあるんだぜ』などと嘘を上塗りしてから渋い微笑を一つ投げ掛けると、執務室を出て行った。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!」
「!?・・・・・・おい、サガは?」
「一緒に来れる訳ないでしょ!?私だけ一足先に出てきたの。」
「よーしよし!あ〜良かった、ちょっとビビッちまったじゃねぇか。」
何とかサガを置いて一人デスマスクを追いかけてきたは、悪びれた様子なく笑う彼に詰め寄った。
「アンタね、あんな嘘ついて知らないからね!?サガったら本気で感激してたんだから!!」
「仕方ねぇだろ?この下が裸な事がバレてみろ。俺殺されるぜ。」
「それは自業自得でしょ!?」
「まさかこうなるとは思わなかったんだから仕方ねぇだろ。本当なら、あの爺さんとサガがくっ喋ってる間に帰れる筈だったんだよ。そしたらあんな嘘つく必要もなかったんだけどよ。」
「・・・・・・悪党。」
「悪党で結構。」
デスマスクはニヤリと笑うと、の肩をぐいっと抱き寄せた。
「なっ、何!?」
「一応念の為に聞くけどよ、サガにタレ込もうなんて・・・・・・・まさか考えやしねえよな?お前だって、夜はぐっすり眠りたいだろ?」
「嫌な脅し方しないでよ;分かってるわよ、言わないってば・・・・」
「よーし。んじゃ契約成立って事で、帰るか。」
複雑そうなを連れて、デスマスクは意気揚々と階段を下りかけた。
だがその時、後ろから呼びかける声がした。
「お前達!良かった、追いついたな!」
「げ、もう追いついてきやがった・・・・・!じゃ、俺は先帰るわ。後よろしく。」
「ちょっとデス!待ちなさいよ!」
「どうしたデスマスク!?そんなに急いで下りなくても良いだろう!折角だから途中まで三人で行こうではないか!」
近付くにつれて段々大きく聞こえるサガの声を完全シカトして、デスマスクが足早に階段を下りようとしたその時だった。
一陣の風が階下から吹き上がり、サガのローブとのスカートの裾とデスマスクの法衣を翻らせたのである。
服を庇うという事に慣れている女性ならではの機敏な動作で、捲れ上がりそうになるスカートを押さえながら、はこう思った。
世の中、つくづく悪い事は出来ないようになっている、と。
「蟹ぃぃ!!貴様、人の服を裸で着るとは何事だ!?」
「やべっ!!」
「おのれ、そういう事か!さっきのあれは嘘だったのだな!?私の感動を返せ!!」
「知るかよ!!」
「逃げるな!!成敗してやるからそこで待ってろ!!」
「待つかバーカ!!」
凄まじいスピードで走り出して行った二人の男を見送ったら、今日一日の疲れがどっと噴き出してきた。
言い様のない疲労感に襲われながら、は『こんな休日なら普段通りの執務の方がマシだった』と、心底思わずにはいられなかった。