「私が注文したのは、ケーキセットと生姜焼き定食だ。ケーキはショートケーキ、飲物はクリームソーダ、そして生姜焼き定食。にも関わらず、これを見たまえ。」
その男・シャカは、声こそ荒げないものの面白くなさそうな口調で、自分のグラスを指差した。
「クリームソーダがオレンジジュースだ。しかもクリームは無し。千歩譲ってベースはオレンジジュースで許してやるとしても、肝心のアイスがないというのは如何なものか。」
「だって・・・・・・・」
「だっても明後日もない。その上更にこれ、これは何かね?」
「フレンチトースト、です・・・・・。」
「私はショートケーキを頼んだのだ。ここでも君はクリームソーダと同じ過ちを犯している。ショートケーキのメインである苺もなければ、象徴である生クリームもない。」
「だって・・・・・」
シャカはこう言うが、にはなりの考えがあった。
たったあれだけの食材の中から、短時間でスイーツを作るのは、どう考えても無理がある。
そこで思いついたのが、バゲットを使った、仄かに甘いフレンチトーストだったのだ。
勿論、フレンチトーストとショートケーキとは全く似ても似つかぬ別物だが、『甘い味がする』という最低ラインはクリアしている筈である。
と、は弁解したかったのであるが、シャカの注目は早くも次のメニューへと移っていた。
「更に極めつけはこれだ。生姜焼き定食。形こそ、白飯・おかず・味噌汁と整ってはいるが、メインが目玉焼きではないか。これの何処を見たら生姜焼き定食に見える?それとも、君の中の『生姜焼き』は、世間一般で言うところの『目玉焼き』なのかね?」
「・・・・・・・」
「しかも、飯が炊きたてでない上に、味噌汁の風味も悪い。これは一体どういう事かね?」
「・・・・・・・ご飯は昨夜の残りで、お味噌汁はインスタントです・・・・・」
「やはり。」
シャカは眉間に皺を寄せて、嫌そうな溜息をついた。
確かに、ないない尽くしの手抜きだったかも知れない。
だが、これは食事会ではなく仕事なのだ。
本来の目的を勘違いされては困る。
「だ、だから、これはあくまで接客シミュレーションなんだってば!!」
は、黄金聖闘士達に向かって声高に訴えかけた。
「今日の主旨は接客サービスを研究する事なのよ!だから、何もメニュー通りの物を出さなくても、似たような物を出せればそれで十分事は足りるでしょう!?」
それを聞いたカノンが、自分のコーヒーを一口啜って呟いた。
「・・・・・確かにそうだったな。接客サービスの研究が目的なのだから、物自体はアメリカンでもいつものコーヒーでも、どっちだって構わん。取るに足りん問題だ。」
「で、でしょ!?」
の切なる訴えは幸いにも報われ、黄金聖闘士達の心にしかと届いた。
「・・・・・が。」
「え?」
「接客サービスの研究が目的というなら、次にやる事は決まったな。」
「へ?」
・・・・・・・・かのように思われたのだが。
次にやる事、それは。
「客からのクレーム処理だ。」
「クレーム処理!?」
よりにもよって、またいきなり難題を吹っかけてきたものである。
は嫌そうに顔を顰めたが、カノンはお構いなしにとうとうと話し始めた。
「そうだ。釣り銭を間違えた、オーダーを取り違えた、客に飲物をぶちまけたetc・・・・、クレームはあらゆるポイントで発生する。」
「う、うん・・・・」
「通り一遍の接客方法は、幾ら練ったところで、結局は他店とそう変わらない内容になる。
そんなポイントに時間を割くよりは、むしろクレームが発生した時にどう対処するか、そこをしっかり煮詰めて万全の対策マニュアルを作っておく事が肝心だと思わんか?」
「た、確かにそうかも・・・・・」
この巧みな話術は、カノンの特筆すべき能力の一つである。
口先だけで人をやり包める事など、彼にとっては朝飯前。
初めは嫌だと思った事もすっかり忘れて、はカノンの話に納得し始めていた。
いや、だけではない。
「カノン、貴様も偶には良い事を言うな。その通りだ。」
サガも真剣な顔で頷いていたのである。
「人間というのは、満足感よりも不満の方が心に残る。従業員と客という上下関係にあるなら尚更そうだ。どんなに誠心誠意尽くしても、一度怒らせてしまえばそれで終わり。客は二度と来ない。客からのクレームをどう対処するか、そこに店の真の品格が滲み出るのだ。」
カノンを押し退けて語りたいだけ語り終えると、サガは拳を振り上げて高揚した声で言った。
「さあ、お前達も、早速始めるぞ!我らが女神の経営なさるメイド喫茶は、上辺だけの薄っぺらなサービスしか出来ない他店とは格が違うという事を、客共に思い知らせてやろう!」
盛り上がったサガを止める事は、誰にも出来ない。
かくして、『接客シミュレーション・クレーム処理編』は、サガの独壇場で幕を開ける事となった。
「まずは手頃なところから始めよう。がレジで勘定を間違えて、釣りを少なく渡してしまったシチュエーションだ。誰か客をやりたい奴はいるか?」
いつの間にかすっかり仕切り役と化しているサガは、まるで学芸会の配役を決めている小学校の先生のような口調で、皆の挙手を待った。
「・・・・・じゃ、ここは俺が行こうか。」
それに対して、一番最初に名乗りを上げたのはミロである。
「宜しく、。」
「お、お手柔らかにね、ミロ。」
「任せとけ。」
ミロは自信に満ちた笑みを口元に湛えると、咳払いを一つして、と向き合った。
「おい君。釣りが足りないんじゃないか。」
「えっ、あっ、も、申し訳ございません!」
『はじめ!』も『よーいドン!』も『アクション!』もなく、いきなり始められて一瞬戸惑ったが、それでもは何とかミロに合わせて演技を始めた。
「大変失礼致しました。」
「いや。」
二人で釣り銭を渡す仕草・受け取る仕草をして、シミュレーション終了。
・・・・・・では、余りにも呆気なさすぎる。
「・・・・・悪くはないんだが、ややあっさりし過ぎている感じがするな。もっとこう、誠心誠意謝っている感じをだな・・・・・」
サガは眉根を寄せて唸ると、『ひらめいた』とばかりにポンと手を打った。
「そうだ、私が一度やってみせよう。私は詫びには自信があるのだ。ミロ、相手を頼むぞ。」
「断る!お前の詫びは自決だろう!そんなもの見たくない!ウェイトレスの女の子に自決される位なら、ちょっと位勘定を多く払う方が余程マシだ!そんな事をされたら後の夢見が悪い!普通の客ならトラウマになるぞ!!」
「誰もそんな事をするとは言ってないだろう!ただ私は・・・」
「良いじゃないか、がさっきやった通りので!あの程度のクレームなら、変に大袈裟に謝らない方が良いと思うぞ!」
「しかしそれでは・・・!」
「ま、待って待って!」
は、意見の相違で対立するサガとミロの間に割って入った。
「じゃあこういうのは!?最後にもう一度謝った後、『また是非お越し下さいませ』って付け足すのは!?『また来て欲しい』感が漂ってない?」
「ふぅむ・・・・・」
「うん、それ位で良いんじゃないか?」
の案は、見事にサガとミロの二人を納得させられた。
これで、クレーム対応時のシミュレーションは無事終わったかに思えたのだが。
「なーんか面白くねぇなぁ。そんなのクレーム処理って言う程でもねぇじゃねぇか。」
それを阻んだのは、デスマスクである。
「そうかなぁ?でもさ、実際のところは、一言謝ってすぐにその場で対応すれば解決する程度のクレームが殆どじゃないの?お釣りを間違えたりとか、注文の取り違えとか・・・・」
「そうとも限らねぇぜ?結構大事になるケースだってある。」
「たとえば?」
「たとえば、うっかり何か引っ掛けて、客の服を汚しちまうケースとかな。うるせぇ客なら弁償沙汰になっちまう。」
「あ、なーるほど。」
しかし、デスマスクの言う事にも一理あった。
なるほど、客の衣服や鞄を濡らしたり汚してしまったら一大事だ。
気の好い客なら謝れば許してくれるが、謝っても許してくれない客だって必ずいる。
それに、服が汚れただけで済んだならまだしも、熱いものを引っ掛けて火傷でも負わせてしまった日には、まずタダでは済まない。
「そ、そうよね、大事になる場合だってあるわよね・・・・。」
「おうよ。こういうケースじゃ、客は大抵怒ってる。さっきミロとやったケースのようにはいかねぇぞ?緊急事態発生だ。」
「そ、そうよね・・・・!」
「心してかかれよ。んじゃ、スタート!」
パキッと指を鳴らした途端、デスマスクの表情がガラリと変わった。
「ゴルァ姉ちゃん!!」
「はいぃ・・・・・!」
巻き舌で怒鳴りながらの胸倉を掴むデスマスクの様子は、とても演技には見えない。
これは演技、シミュレーションなんだと頭では分かっていても、足は恐怖に竦み、心臓は早鐘を打つ。
本気でビビってしまったをよそに、デスマスクは更に声にドスを利かせて怒鳴りつけた。
「何て事してくれたんだよ、俺の純白のアルマーニにコーヒーの染みがついちまったじゃねぇか!幾らすると思ってんだよ、このスーツ!!」
「も、申し訳ございません!」
「ごめんで済んだら警察はいらねんだよ!!」
「もっ、申し訳・・・・ございま・・・・」
余りと言えば余りにもお決まりの台詞だが、デスマスクが言うとそれらしく聞こえる。
もはや頭は完全に真っ白になり、は顔を引き攣らせながら、ただオウムのように『申し訳ございません』と繰り返す事しか出来なかった。
デスマスクは勝手に盛り上がり、は本気でビビり、各々完全にどツボにハマってしまっている。
これではシミュレーションにならない。
「ちょっと待った、。」
そこで、見かねたシュラが口を挟み、ひとまずシミュレーションを強制終了させた。
「一生懸命謝っているのは良い事なのだが、まずは相手を見ろ。」
「相手?」
「結婚式でも無いのにド派手な白いスーツを着ている男など、まずもってロクなモンではない。大体がその筋の者だろう。このような輩口調ならば尚更だ。」
「い、言えてる・・・・・」
「そんな輩につけ入る隙を与えては、ナメられて必要以上の賠償を要求されかねない。今から俺が手本を見せるから、良く見ておけ。良いか、こういう時はこうだ。」
微笑みながらの肩を軽く抱いて離すと、シュラはおもむろにデスマスクに向き直った。
「申 し 訳 ご ざ い ま せ ん 。些少ではありますが、クリーニング代でございます。どうぞお受け取り下さいませ。」
「ヒッ・・・・」
シュラは、慇懃無礼を絵に描いたような態度で、デスマスクに頭を下げた。
その腰の折り方、言葉遣い、全てにおいて非の打ち所のない畏まり方だが、顔は勿論笑っていない。
むしろ脅しさえ入っているかのような真顔である。
これには流石のデスマスクも怯えて引かずにはいられない。
スッと頭を上げたシュラは、を振り返って口元を吊り上げてみせた。
「見たか、?決して怯まず、かつ表面上は低姿勢で。あくまでも卒なく、45度の会釈と共に、ナチュラルでそこはかとない気迫を漂わせる。これが客にナメられんコツだ。」
「う、う〜ん、難しいわね・・・・」
「難しくて当然だ!!そんな気迫漂わせられるのはテメェだけだシュラ!!只の小娘共にどうやってテメェと同じオーラ出せってんだよ、無理言うな!!」
渾身の力を込めてシュラに突っ込むデスマスクを尻目に、ムウとシャカが冷めた口調で呟いた。
「そもそも、メイド喫茶にデスマスクのような筋者が来る事などあるのでしょうかね。」
「うむ。そういう連中が集う店は、如何わしい風俗店ではないのかね?」
「おいこらムウ、シャカ、誰が筋モンだ!?」
二人に怒鳴り返したその勢いのまま、デスマスクは声も高らかに皆に向かって訴えかけた。
「客層は問題じゃねぇんだよ!ポイントは、客の怒りを鎮められる謝り方を研究する事にあるんだろうが!!」
「デスマスクの言う通りだ。どんな嫌な客でもうまくあしらってやんわり丸め込む、これぞサービス業の極意。」
デスマスクがこんな風に大真面目に何かを力説する時、
そしてそこに、カノンがこれまた真顔で絡んで来る時。
「幸いにも店はメイド喫茶だ。他店でなら客にドン引きされそうなやり方でも、ここでなら通用する。」
「つーか、むしろ密かに見たがってる連中が多いだろうな。」
「うむ。ちょっとこっちに来い、。」
これは大体、二人が悪ノリしている時であり、
「・・・・・はい?」
ひいては、ロクでもない事が始まる前兆なのである。
「次は俺の足元に跪け。『申し訳ございません、御主人様』も忘れるな。」
「なっ・・・!?」
もしもこの時、カノンの口調が命令形でなければ、『何かいやらしいー!』と笑い飛ばす事が出来た。
もしもカノンが笑っていたら、『何馬鹿な事言ってんのよ〜!』と冗談交じりに反抗する事が出来た。
だが、真顔で命令された場合、どうリアクションすれば良いのだろう。
じっと考えれば考える程恥ずかしくなってきて、は顔を赤らめて猛然とカノンに抗議した。
「何で私がカノンに跪かないといけないの!?」
「怒るな、シミュレーションだ、シミュレーション。女優にでもなったつもりで割り切って演じてくれ。」
を宥めすかすと、カノンは噛んで含めるように説明を始めた。
「良いか、メイド喫茶なんて所は、要するに大がかりなごっこ遊びの場だ。客は可憐で従順な『メイド』に傅かれたくてやって来る。『御主人様』になりきりたいのだ。奴等はその為に金を払う。コーヒーを飲みにではなく、夢を買いに来ているのだ。」
そこへまたデスマスクも加わるから、
「そういうこった。極端な話、コーヒーなんざインスタントでも構わねぇんだよ。店の真の売り物は『夢』だ。男のドリームだ。お前はそれに応えなきゃならねぇ。」
「そう、デスマスクの言う通りだ。良いか、お前は女優だ!多少大袈裟な位で丁度良い、絵に描いたような『メイド』を演じろ!」
この通り、話が大袈裟になって別の方向に転がり、本来の目的が遠ざかってゆくのだ。
「・・・・っていうか、別に私がその店で働くわけじゃないんだけど・・・・・」
「つべこべ言うなー!さっさと始めるぞー!」
こうなってしまったら、もう打つ手はない。
元の方向に軌道修正しようとするのさり気ない突っ込みは、勿論聞き入れられる筈もなく、この二人の勢いに乗せられるまま、シミュレーションは軌道がズレたまま再開される事になった。
「おい、俺の注文した物と違うではないか!!どういう事だ!!」
「・・・・・・・も、申し訳ございません、御主人・・・・様。」
「何だ何だ、そのふて腐れた顔はっ!それに、礼ではなく跪けと言っただろう!」
「・・・・・も、申し訳ございません御主人様ッッ!」
カノンに怒鳴られたは、言われた通り、彼の足元に平伏して土下座をした。
が、指示通りに振舞ったにも関わらず、カノンは眉間に皺を寄せた。
「駄目だ駄目だ!それではメイドというより『武士』だ!殿を怒らせた家来みたいな無骨な土下座では、客は喜ばん!もっと可愛げのある態度で!もう一度だ!」
「申し訳ございません、御主人様!」
カノンの駄目出しを喰らって、はもう一度深々と土下座をした。
傍から見ていると、御主人様とメイドというよりは、まるで鬼教官と落ちこぼれ生徒の様である。
しかし、どんな風に見えるかどうかはともかくとして、のこんな姿は黄金聖闘士達にとっては大層物珍しかった。
「おい、アルデバラン。には悪いが、何だかちょっと面白くなってきたと思わないか?」
「確かに珍しい光景だが、俺は何だか居た堪れない。幾らシミュレーションの為とはいえ、何もあんな事まで・・・・」
「よしっ、俺もアドバイスしてこよう。」
「おいミロっ・・・・!」
アルデバランが止めるのも聞かず、ミロはの前に躍り出た。
「分かったぞ!顔を上げないからサムライになるんだ!」
「え、じゃ、じゃあどうすれば良いの?」
「もっとこう、顔を上げて。そう。それで、仔猫のようなつぶらな瞳で客の目を見上げるんだ。こう、クシャクシャに丸めて食ってしまいたくなるような目で。」
ミロはカノンを押し退けて、手取り足取り、に演技指導を施した。
が、難しい。
いや、ミロの言いたい事は分かるのだが、実際にやれと言われると難しいやら恥ずかしいやらで、とてもではないが実行出来ない。
「どんな目付きよ、それ!?そんな難しい指示されても分かんないわよ!」
「ええい!とにかくじっと見つめるんだ、上目遣いで!しょんぼりした表情で!!それでもって、『お許し下さい、御主人様』だ!!」
それでもミロは、『やれ』と言う。
は、渋々恥ずかしいのを堪えて、ミロに言われた通りのポーズを取った。
「お、お許し下さい、御主人様・・・・・」
ワンピースの裾から絶妙な具合にはみ出して見える太腿と膝、
少し潤んだ瞳と、仄かに朱に染まった頬、
そして、微かに震えるか細い声が奏でる、『お許し下さい、御主人様』という被虐的なフレーズ。
一瞬にしてしんと静まり返った空気の中に、誰か彼かの喉が鳴る。
「・・・・・ヤバ・・・・・、何かこう・・・・・、血が騒ぐな・・・・・・・・」
「な、何て事を言うんだ、ミロ・・・・・・」
「・・・・・フン。とか何とか言う割に、お前だって顔が赤いぞ、アイオリア。」
部屋が痛い程の沈黙に包まれているせいで、ミロとアイオリアのひそひそ話がはっきりと聞こえる。
黄金聖闘士達の視線が、鋭い針のように刺さっているのが分かる。
「も・・・・・」
元来、好き好んで注目を浴びたがる部類の人間ではないにとって、この場の空気は余りにも恥ずかしく、そして痛すぎた。
「もー嫌ーー!!私ばっかりこんな役なんて!!誰か一緒にメイドやってよーーーッ!!!」
「ブッ・・・?!」
窮鼠猫を噛むという諺の通り、幾ら面白いからといって、余り人を追い詰めてはいけない。
でないと。
こうなる。