「美〜穂ちゃん♪」
ポン、と肩を叩かれ、美穂はゆっくりと振り返った。
「お姉ちゃん、アフロディーテさん・・・・・・」
「やあ。捜したよ、ミホ。」
「ここに居たのね。良かった、動物園の外に出てたらどうしようって思ってたの。」
はにっこりと微笑んで、美穂が座っている同じベンチに腰を下ろした。
美穂が走り去ってから、星矢はあの調子。
彼はひとまずデスマスクとシュラに任せて、はアフロディーテと二人で慌てて美穂を追いかけて来たのだが。
そして、さほど時間の掛からぬ内に見つかったは良かったが。
「私・・・・・・、馬鹿みたい・・・・・・・」
「美穂ちゃん・・・・・・」
「私一人で勝手にはしゃいで、今度は勝手に怒って・・・・・。」
美穂はいたく傷ついていた。
「こんな私より、星矢ちゃんは沙織お嬢様の方が好きなのかも。」
「美穂ちゃん・・・・」
「だってそうでしょう?沙織お嬢様は私と違って大人っぽくて綺麗で、頭も良くて、お金持ちのお嬢様で、何でも持ってて、どこから見ても完璧で・・・・・・。私はやっと誘えて動物園だったのに、沙織お嬢様は星矢ちゃんの事、オペラや高級レストランに連れて行ってあげる事が出来て・・・・・」
「ミホ・・・・」
「それに引き換え私ときたら、星矢ちゃんを喜ばせてあげようと思っても、せいぜいお料理を作ってあげる位しか出来ないし、沙織お嬢様みたいな事なんか出来ないし、素敵なお洋服も持っていないし・・・・。私なんか、どうやったってお嬢様に敵う筈・・・」
「・・・美穂ちゃん、そんな言い方って良くないと思うけどな。」
美穂の知らない沙織の一面を知っているは、沙織と似たような事を口走って自己嫌悪に陥っている美穂を静かに窘めた。
「コンプレックスは、誰でも皆持っているものよ?それに、お金持ちかそうじゃないかなんて、どっちが良いとは一概に言えないでしょう?そりゃあ、私だってなれるものなら一度くらい大金持ちのお嬢様になってみたいとは思うけど、実際には幸せな事ばかりじゃないみたいよ。少なくとも、私は沙織ちゃんを見ていてそう思うわ。」
家族も兄弟もなく、多忙すぎて同年代の友人を作る暇もなく、周りに居る者には必ず本音と建前があり、築く人間関係は主従・或いは商売上のパートナーや敵といったものばかりで、唯一心を開いて接する事が出来るのは聖闘士達。
しかしその彼らにさえ、女神の名に相応しい気丈な振る舞いを常に見せねばならない。
そんな沙織を良く知るは、解けるものなら美穂の誤解を解きたいと思った。
美穂が羨望と尊敬と微かな皮肉を込めて『完璧』と賞賛する沙織もまた、孤独とコンプレックスに悩む一人の人間なのだ、と。
「美穂ちゃんには美穂ちゃんの素敵なところ、いっぱいあるじゃない?そりゃ、沙織ちゃんは美穂ちゃんに無いものをいっぱい持っているかもしれないけど、美穂ちゃんだって沙織ちゃんに無いものをいっぱい持っているわ。」
「・・・・そうだよ、ミホ。の言う通りだ。君だって素敵な女の子ではないか。君はとてもチャーミングで、・・・・・・何より優しい。心根の美しい女の子だ。」
偏に星矢を喜ばせる為だけに拵えられた、沢山の美味しいお弁当。
何より、ただ寝坊して遅れただけであった星矢の無事を心から喜んでいた涙混じりの笑顔。
それを見ていたアフロディーテもまた、の言葉に深く賛同した。
しかし。
「だから、ね?・・・・・・美穂ちゃん?」
「ミホ?」
「・・・・・・・・」
に優しく声を掛けられれば掛けられる程、アフロディーテに優しく微笑まれれば微笑まれる程、美穂の顔は暗く沈んでいく一方だった。
きゅっと唇を引き結び、瞳から僅かに盛り上がった涙を決して零すまいと、視線をまっすぐ地面に固定させて。
「ふむ・・・・・・」
小さく溜息をついたアフロディーテは、不意にパチンと指を鳴らすと、何事かと驚いている美穂の目の前に何処からともなく淡いピンクの薔薇の蕾を取り出してみせた。
「あ・・・・・・・」
「この蕾は君自身だ。君が微笑んであげなければ、この花は開かない。そんなのは可哀相だろう?」
「・・・・・」
「咲かせてあげてくれるね?」
「・・・・・・・はい、有難うございます・・・・・。綺麗・・・・・」
驚きながらも、薄らと微笑んでそれを受け取る美穂を見て、はニヤニヤと笑いながらアフロディーテを小突いた。
「いやっだもう、ホントそういうの上手なんだからアフロってば!」
「ふふっ、女性の機嫌を直すのは男の役目だからね。・・・・・・ペガサスにも、早いところ男としての器量が備わると良いのだが。」
わざとキーワードを口にしたアフロディーテは、また笑顔を曇らせ始めた美穂に向かって言った。
「がさつで食い意地が張っていて、乙女心の欠片も理解出来ていない坊やの、何処がそんなに好きなんだい?」
「やだ・・・・!そんな・・・!」
「ふふっ、今更照れずとも良いだろう。」
狼狽する美穂に、アフロディーテは余裕たっぷりの微笑を見せた。
「しかし、ペガサスはあの通りだ。あの調子では、君がどれだけ想いを寄せようとも、それが花開く事はないかもしれない。君にプレゼントしたその薔薇のように、君の美しい想いが蕾のまま終わっても良いのかな?」
「それは・・・・・・!」
「ちょっとアフロ・・・・・」
「まあまあ、。・・・・・どうだろう、ミホ?ここはその想いを花開かせてくれるような男に鞍替えしては?例えば・・・・・、ベアー檄なんかどうだい?」
「べっ、ベアー檄!?ベアー檄ってあの・・」
「あの・・・・・、銀河戦争で星矢ちゃんを締め上げてた人!?あのデッカい人ですか!?」
「そうそう、あの人よね!?」
同じイメージを共有したと美穂は、『何処からそんな人の名前が出て来るの!?』とでも言いたげな顔でアフロディーテを凝視した。
「ああ。どうかな?」
「嫌ですそんなの!!」
「そんなのって、美穂ちゃんてば・・・・;」
「そう。少しいかつすぎたかな?では、線の細いところでヒドラ市などは?」
「もっと嫌です、あんな怪しそうな人!!!」
「ふぅむ、なかなか個性的な男だと思ったのだが、モヒカンも嫌か。全く・・・・・、君もなかなか拘りのあるタイプのようだね。言っておくが、男の魅力は見た目じゃないよ?その外見の判断基準だって人それぞれだ。王子様のような顔立ちの男がハンサムとは、一概に言えないからね。」
「アフロ・・・・・、一応順番に突っ込んでおくけど、美穂ちゃんは別にそういう理由で嫌だって言ってる訳じゃ・・・・・。それから『男は見た目じゃない』って、アフロが言うと説得力皆無なんだけど・・・・。」
「そうかな?」
の突っ込みを優雅な微笑でスルーして、アフロディーテは閃いたとばかりに手を打ち鳴らした。
「そうだ。ではうちの教皇様などどうだろう?顔、肉体、強さ、地位共に申し分ない。少し年は離れてしまうが・・・、それから少し二重人格だが・・・・、おまけに少し厄介な弟も居るが・・・・・、なに、どれも大した事はない。年はまだギリギリ20代だし、二重人格の方も最近は調子が良いようだ。弟は・・・・・、まあ何とかなるだろう。」
「ちょっとアフロ、それってサガの事!?そんな、勝手に売るような真似しちゃ・・」
「嫌・・・・、嫌ですそんな危険そうなおじさん!!!」
「さ、さり気に言う事キツいわね美穂ちゃん・・・・;」
「それに私、星矢ちゃん以外の人は考えられません!!」
声の限りに叫んだ美穂は、次の瞬間ハッとして黙り込んだ。
「・・・・・だったら、それをペガサスに言ってやったらどうかな?」
驚いたように目を見開く美穂に、アフロディーテは優しく微笑んだ。
「残念だがあの様子では、君が恐らく望んでいるような展開にはならないだろう。待っていても無駄というものだ。それを承知でなおもペガサスが好きだというなら、君から動かねば。女神と自分を比較して落ち込むのは、それからでも遅くはないだろう?」
アフロディーテの言葉で目から鱗が落ちたのか、美穂は呆然とさせていた表情を、次第にしっかりと引き締めていった。
「・・・・私・・・・が・・・・・・」
「そう。君が今の関係から脱し、更に一歩先に進みたいと思うならね。」
「私・・・・・・・、私・・・・・・・・」
とアフロディーテを交互に見つめ、美穂は小さく、だがはっきりと言った。
私、やってみます、と。
「ちょっとアフロ・・・・」
「ん?」
化粧直しをすると言って手洗いに向かった美穂を待ちながら、はアフロディーテに話しかけた。
「本当に良かったの?あんな風に・・・・・、焚き付ける、って言ったら言葉が悪いけど・・・・、そんな感じの事を美穂ちゃんに言っちゃって。」
「別に問題はないだろう?任務の内容は、ペガサスとミホが恋愛関係にあるかどうかを調査して来いという事であって、ペガサスとミホの邪魔をしろという内容ではない。」
「あ・・・・・・、まあ・・・・・・、確かに。」
「それに、動くのは彼女自身だ。何も私達が無理矢理ペガサスと彼女をくっつけようと動く訳ではないからな。彼女の意思で想いを告げ、その結果がどうなるか・・・・・。私達はそれを女神にご報告するまでの事だよ。」
「なるほど・・・・・」
きっかけは何であれ、恋愛関係になるのは当人同士の気持ちが重なった時だけだ。
となれば、アフロディーテの言う事も尤もである。
妙に納得してしまったは、真剣な面持ちで頷いた。
「それに、あのまま放っておいたら、彼女が余りに気の毒だったではないか。これから先の展開には責任を負えないが、背中を押してやる位は・・・・ね?」
「そ・・・・ね・・・・・」
「本当なら女神のお背中も押して差し上げたかったが・・・・・・。フッ、我らが女神は良くも悪くも少々気丈過ぎる。」
「・・・・ふふっ、そうね。」
「・・・・・私が思うに、女神はご覚悟を決めていらしたのではないだろうか。もしペガサスがミホを選んだなら、潔く失恋を認めて身を引くご覚悟を。」
沙織が時折見せる寂しげな横顔が、アフロディーテの言葉によって浮かんで来る。
複雑そうな表情を見せたの肩を、アフロディーテは微笑んで抱いた。
「人の恋路ばかりは、たとえ神様でもどうしようもない事さ。なに、女神もミホも、私達が思うよりずっとしっかりしている。外野があれこれと悩んでも仕方がない。」
「ん・・・・・、そうね・・・・・。」
「ふふっ、お姉さんは大変だね?」
「本当よ、もう・・・・!」
冗談半分本気半分で、は盛大な溜息をついた。