「ではさっそく始めよう。」
「取り敢えず、朝から夜までの1日をやってみましょう!」
監督&助監督(とサガ)の挨拶で、稽古は早速スタートした。
時間があれば『普通の家庭生活』についての事前学習も出来ただろうが、生憎そんな暇はない。
取り敢えず各々の感性とアドリブに任せて一通り演じてみて、注文や駄目出しは後で纏めてやろうという、何とも大胆な方向で突っ走っている。
最初のシーンは主役夫婦の朝の挨拶から。
カミュが布団に見立てたシーツの上に寝そべり、がその傍らに座り込む。
「あなた、起きて!朝よ!」
「う・・・・ん、もう朝か。」
「そうよ、早く起きないと会社に遅れるわよ!」
上手い下手はこの際置いておくとして、取り敢えず二人は真剣に演技をする。
カミュはいかにも寝起きといった風に上半身を起こすと、傍らのにふんわりと微笑みかけた。
「おはよう、ではなくて、サザエ。」
まるでロマンス映画のワンシーンの如くムーディーな空気が流れる。
そしてカミュは、当然のようにの唇にキスをした。
「カットーーー!!!」
全員の駄目出しが速攻で入った。
野次やら雑誌を丸めて作った監督用のメガホンやらが、カミュに向かって飛来する。
「お前本気入ってたぞ今の!!」
「何を言う!!迫真の演技が分からないのか!?」
「そこまで真剣になるな!!」
「女神にお見せする芝居なのだ、真剣にならなくてどうする!?」
「貴様、さっきと言ってる事が違っているぞ!!」
こんな出だしから躓いてはいられない。
は取り急ぎ、カミュに監督としての演技指導を施した。
「あのねカミュ、サザエさんにそんなムーディーなシーンはないの。」
「何故だ?夫婦だろう?一日はキスで始まり、キスで終わるのではないのか?」
「少なくともこの話においては違うわね。もっとこう、ボサーっと起きてきて。」
「分かった。」
という訳で起床からやり直し、どうにか朝食の席に着く事が出来た。
朝食のシーンでは、サガ、カノン、ミロ、アフロディーテ、アイオリア、そして貴鬼も加わる。
「おはようサザエ。マスオ君。」
「おはよう父さん。」
「おはよう、皆。」
「さあ、全員揃った所で朝食にしよう。」
金髪長髪の『波平』は、本家以上の威厳を漂わせている。
「カノ・・・、じゃなかった。フネ、早く飯を用意しろ。」
「もう出来ているだろうが。貴様の目は節穴か?」
「・・・・・」
突っ込みたいのはやまやまであるが、取り敢えず順調に進んでいる所に水を差したくない。
心の中で『チェック1:波平・フネの夫婦関係』などとリストアップしながら、は敢えて演技を続けた。
「カツオ、ワカメ。早く食べないと学校に遅れるわよ!マスオさんも父さんも!」
「全くだ。早く食って早く出て行け。かさばってかなわん。」
「分かった。」
カノンの鬱陶しそうな台詞が炸裂する。
ミロは素直にそれに従い朝食をかき込むジェスチャーをしたが、アフロディーテは鼻であしらった。
「朝から慌しいのは私の性に合わん。朝は一杯の紅茶をゆっくり楽しむ習慣だ。」
「ワカメ、この俺に楯突く気か?」
「フッ、血気盛んな母親だ。朝から興奮すると皺が増えるぞ。」
「まっ、まあまあ!!二人とも親子喧嘩なんてしてる暇ないでしょ!」
何とか場を取り繕おうと、が素っ頓狂な程大きな声を出す。
「あらっ、まあ!もうこんな時間!さあ行って行って!!学校と会社の時間よーー!!」
サガ・カミュ・ミロ・アフロディーテを強制退場させながら、は心のリストに『チェック2:フネ・ワカメの親子関係』を付け足した。
「さあ、皆も行っちゃったし、お掃除でもしようかしら。タラちゃんはタマと大人しく遊んでてね。」
「俺の事か!?」
タラちゃん役のアイオリアは、屈辱に顔を歪める。
だが女神の為、そしての足を引っ張りたくない一念で、アイオリアはそれに打ち勝った。
握った拳をわなわなと震わせつつも、きょとんとしている貴鬼に向かい、仁王立ちで言い放つ。
「良かろう、タマ!この俺が遊んでやる!表へ出ろ!!」
「ニャーー♪」
可愛い猫になりきる貴鬼とは対照的に、えらく暑苦しいタラちゃんを演じるアイオリア。
遊びに行くというより、果し合いでもしそうな勢いでもって貴鬼を連れて退場する。
これにより、『チェック3:正しい子供の在り方』が新たにリストアップされた。
続いて庭でのシーン。
「サザエ・・・さん。今日は良い天気だな。」
巨体のお軽さんが、激しく照れながら台詞を口にした。
「あら、お軽さん。ほんと、今日は良い天気ですねー!」
「ああ、こんな日は絶好の鍛錬日和だな。」
「え、ええ、オホホホ・・・。あ、母さん?呼んできましょうか?」
「え、あ、いや・・・・」
どもるアルデバランの横から、カノンが再び登場する。
「何の用だ、お軽。」
「何用と言われても。用などないのだが。」
「なければ呼ぶな。」
「・・・・・」
「・・・・・」
この二人、親友の筈なのに会話が全く続かない。
焦ったは一か八かでもう一人の登場人物を呼んだ。
「あらぁ、伊佐坂先生!!」
「伊佐坂、呼ばれとるぞ。」
「あの、老師・・・・、貴方の事です。」
「ホッ、そうか。済まん済まん。」
ムウに指摘されながら、素でボケつつ童虎登場。
「これはこれは、我が妻とその友人。世間話かの?儂も混ぜて貰おう。」
「しかし貴方には執筆の仕事があるのではないのか?」
「固い事を言うな。さあお軽、フネ殿も。儂が茶を振舞う故、我が家へ来るが良い。」
さすが最年長者。一瞬で小奇麗に纏めた。
だが、『チェック4:フネ・お軽の友情』も付け加えねばなるまい。
そして3人が退場した後、入れ替わりにやって来たのは。
「ちわーっ、三河屋でーっす!!」
掛け声も勇ましいデスマスクである。
一番本家に近い演技をする彼に、はようやく安堵した。
「あらサブちゃん!こんにちは!」
「奥さん、今日もいい女だねぇ。」
「あらお上手。お世辞でも嬉しいわ。」
「今日の御用は?」
「そうねえ、料理酒とみりんが切れそうだから、1本ずつお願い。」
「了解!・・・・ところで奥さん。」
「何?」
「旦那とは上手くいってんの?」
「え!?な、何?」
「なあ、本音を言ってみろよ。本当はもう優しいだけの旦那なんざ飽き飽きしてんだろ?」
段々話がおかしくなってきた。
「俺が満たしてやるぜ?悪いようにはしねえって!」
「やっ、ちょっと・・・!」
「お、奥さーーーん!!」
「キャーーー!!!」
デスマスクに襲い掛かられ、悲鳴を上げる。
「カーーットオぉぉーーー!!!!」
そこで再び全員からの駄目出しが入った。
ついでに鉄拳まで入っている。
「何すんだよ!?」
「それはこっちの台詞だ、このすっとこどっこいが!!」
「いきなり襲い掛かるのが普通の家庭生活か!?」
「欲求不満な人妻の不倫モノのどこが非凡なんだよ!?普通だろうが!!
『濡れた若妻 イケない御用聞き』とかよ!!」
「ぬっっ・・・・!!た、退場ーーー!!!」
このままいけばポルノになる恐れがある為、はデスマスクにレッドカードを出した。
『チェック5:18禁禁止』、これは最重要項目になる事間違いない。
気を取り直して次。
「サザエさん、ごきげんよう。」
「あらタイコさん!」
優雅な微笑を浮かべたタイコと、瞳を閉じたイクラが登場した。
物静かな雰囲気に、の気も大分和らぐ。
「よろしければこれから一緒に買出しにでも行きませんか?」
「そうね、行きましょう!タラちゃーーん!イクラちゃんが来たわよーー!!」
呼ばれたアイオリアが嫌そうに現れる。
「呼んだか、母上。」
相変わらず熱い幼児であるが、は取り敢えず演技を続けた。
「イクラちゃんが来たわよ。これから一緒にお買い物に行きましょう。」
「そうか。分かった。」
「良かったですねえ、イクラ。お友達のタラちゃんとお買い物ですよ。」
「フッ、母者。最も神に近いこの私が、このような下賎の者と友などである筈がなかろう。」
「まっ、まあまあ!とにかく行きましょう!さあ、タラちゃんはイクラちゃんと手を繋いで。」
「何ぃ!?そのような真似、この俺に出来る筈ないだろう!」
「ではせめて少しぐらい仲良さそうに振舞って下さい。ほら、イクラも。」
「・・・・仕方あるまい。タラ、ついて来たまえ。無教養な君に、道中この私が説法でもしてやろう。」
「いらんわ!!目よりもその憎まれ口を閉じろ!!」
子供役二人の様子に、ムウとは顔を見合わせて首を横に振った。
『チェック6:子供同士の友情』が増えた。
「取り敢えず、全然違う!!」
休憩に入った途端、は主演女優から鬼監督へと変貌した。
「カミュはさっき言ったから良しとして、まずカノン!」
「何だ?何かまずかったか?」
「フネはもっと従順なの!『貴様の目は節穴か』なんて言っちゃ駄目!!」
「むう・・・・、あれが俺の日常なのだが。」
「それから、お軽さんとはもっと親しげに!友達なんだから!!」
「分かった。」
指導を真摯に受け止めつつも、イマイチ納得しきれていない様子のカノン。
は次にアフロディーテに振り向いた。
「アフロも!ワカメはもっと素直な子なの!お母さんにあんな口は利かないのよ!!」
「分かった、以後気をつけよう。だが見た目がカノンなだけに、どうも口が勝手に・・・・」
「あとアイオリア!もっと子供らしく出来ない?タラちゃんは『表に出ろ』なんて言わないわよ!?」
「無理を言うな!3歳児になりきるぐらいなら死んだ方がマシだ!」
「それでも出来るだけ頑張って!!それからイクラちゃんとは大の仲良しなんだから、そこんとこもヨロシクね。もっと仲良く。」
「・・・・善処する。」
しぶしぶ承諾したアイオリアから視線が逸れて、今度は童虎へ。
「童虎はいい感じだったわ。本番もあんな感じで宜しくね。」
「儂は合格のようじゃな。」
「ムウもいい感じ。地でいけてる感があるわね。」
「微妙ですが、取り敢えず褒め言葉と受け取っておきます。」
「貴鬼はすっごく可愛かったわ!あんな感じでよろしくね!」
「えへへ、分かったよ!」
「アルデバランは固すぎるのが少し難点ね。もっと柔らかく。」
「・・・・・厳しいな。だが頑張ってみよう。」
の視線は、比較的マシな四人組からシャカへ移動する。
「シャカはね、アイオリアより更に年下役なのよ!?もっと無邪気に!」
「生憎だがこのシャカ、無邪気などという感情は持ち合わせて・・・」
「いなくてももうちょっと何とかして!」
彼のお決まりの台詞を先に封じて、今度はデスマスクの番。
「デスはね、論外。」
「何だとーー!?俺様の演技が不満ってか!?」
「『サザエさん』はほのぼの家族漫画なのよ!ポルノじゃないの!!」
「ありがちな展開だと思ったのによ。」
「『サザエさん』には有り得ないの!!」
ひとしきり駄目出しを行ったは、肩で息をしている。
正直言って適当にそれらしければ良かったのだが、彼らのアドリブは思ったより酷い。
いくら何でも、これ程誤った『サザエさん』の知識を沙織に植えつけるわけにはいかない。
振り返ってはいけない。
我に返ってはいけない。
馬鹿らしいと思ってしまったら、一巻の終わりなのだから。
の孤独な闘いはまだ続く。