「今日からここがあなたの家です。」
そう言って、ムウはに微笑みかけた。
白羊宮に程近い一角に建てられた淡いクリーム色の外壁のこじんまりとした平屋、これがの新居になるという。
今までアパート住まいだったは、いきなり家を一軒与えられたことに困惑した。
「い、一軒家?」
「ああ。何か不都合か?」
「ううん違うの、そうじゃなくて・・・いいのかなぁ、こんな一戸建てなんか一人で使って・・・・」
「なら俺も一緒に住んでやろうか?」
「いらない。」
デスマスクの申し出を即答で切り捨てつつ、の視線は新居に釘付けになっていた。
その背後ではオーバーリアクション気味に『あっさり振るなよ!』とデスマスクが騒ぎ、アイオリアが『いきなり同棲など認めん!』などと憤慨している。
騒ぐ二人をよそに、アフロディーテがの肩にさりげなく手を掛けた。
「お気に召さないかい?」
「とんでもない!その逆よ。でも逆すぎて・・・。こんな広い家に一人で住むなんて何だか悪いわ。」
「遠慮などいらないよ。ここは女神が君の為にお建てになった家だ。」
「でも私、今まで6畳のワンルーム住まいだったのよ。急に一軒家に住むなんて、感覚が・・・」
「日本の家屋は欧米諸国に比べるとゴキブリホイホイのようだと聞いた事があるが、どうやら本当のことらしいな。」
シャカは妙に納得したように頷いてみせた。
その喩えが妙にツボにはまったのか、は笑い転げ出した。
「アハハ!的確ね〜!本当にそうかもしれない。」
「それを言うならウサギ小屋じゃねえか?」
「シャカ、デスマスク、お前達失礼だぞ。」
アイオリアは顔を顰めて二人を窘めた。
その一方で、その単語に聞き覚えのない貴鬼は、純粋に師に教えを乞う。
「ムウ様、ゴキブリホイホイって?」
「ゴキブリを捕らえる為の罠になっている小箱ですよ。本当になんて失礼な事を口走っているんでしょうね、この人は。」
「敷地面積の話をしているだけだ。何も彼女の家自体をそうだと言っている訳ではない。」
しばしゴチャゴチャと騒いでいると、向こうから雑兵達が荷物を抱えてやって来た。
それをいち早く見つけたシュラが、皆の注意を促す。
「おい、荷物が届いたようだぞ。」
雑兵達は達の前まで荷物を運んでくると荷物を降ろし、地面に片膝をついて頭を下げた。
「只今到着いたしました。」
「これで全部か?」
「はっ!」
「ご苦労。では下がりたまえ。後は我々がやる。」
「はっ!失礼いたします!」
アフロディーテの命令に従い、雑兵達は荷物を置いて再び一礼すると立ち去ろうとした。
その仕草がとても機敏で、危うく礼を言いそびれそうになったは、
急いで彼らの背中に向かって『Thank you!』とお礼の言葉を投げかけた。
彼らは少し驚いたように振り返り、笑顔と共に『You’re welcome!』とに返した。
今度こそ去っていく雑兵達に笑顔で手を振るを見て、黄金聖闘士達は口元を柔らかく綻ばせる。
「さて、荷物も届いたことですし、早速取り掛かりましょうか。」
「あ、うん。そうね。」
「室内の掃除は昨日雑兵達が済ませている。あとは荷物を運び込むだけだ。」
「っしゃあ、いっちょやるか!」
一足早く家の中に入ったは、真新しい匂いのする室内を見て歩いていた。
広々としたリビングに部屋が2つ、キッチン・バス・トイレと、一人で暮らすには贅沢な間取りである。
それだけでも十分なのに、なんと新品の電化製品一式までついているのだ。
日本の電化製品をギリシャで使用するには変圧器や変換プラグが必要になり、面倒だからと沙織が一式揃えてくれたのである。
新品の綺麗な冷蔵庫や洗濯機などがどっしりと鎮座している。
各室内の様子を見ながら、は全部の窓を開けて回った。
窓が多いから爽やかな風がよく通り、日当たりも良い。
は一目でこの家がすっかり気に入ってしまった。
「今度沙織ちゃんに会ったら改めてお礼言わなくちゃね。」
満足げな溜息をつきながら窓から外を眺めていると、玄関からデスマスク達の声が聞こえた。
「おーい、窓は開けたか!?」
「あ、はいはい、開けたよ〜!」
は返事をしながら玄関へ向った。
その足元を見て、デスマスクが不思議そうに首を傾げる。
「なんでお前靴脱いでんだ?」
「え?」
きょとんと首を傾げ返す。
向かい合わせで左右対称に首を傾げている滑稽な二人の様子を見て、他の者が笑い出す。
「そうか、日本人は家の中で靴を脱ぐのだったな。」
「デスマスク、礼を言うぞ。危うく靴のまま上がるところだった。」
そう言って皆次々に靴を脱いで上がり始めた。
「ああ、気にしないで。何となく習慣で脱いでただけだから。」
「しかしここは君の家だ。君の習慣に合わせるのが妥当であろう。」
「おや珍しい。あなたにもそんな謙虚さがあったのですね。」
「失礼だな君。このシャカ、礼儀作法に関しては誰よりも心得ているつもりだ。」
涼しい顔で言い切って、シャカは靴を脱いで上がった。
一方、からかった方のムウは上がろうとしない。
それどころか、逆に外に出る素振りを見せた。
「あれ?ムウは上がらないの?」
「私は荷物を運び込みますので。」
柔らかく微笑んで、ムウは外に出て行ってしまった。
「じゃあ私も手伝ってこようっと。」
「その必要はない。ムウ一人で十分だ。」
「ああ。むしろその方が早い。」
アフロディーテとアイオリアが、外に出ようとしたをやんわり止めた。
無論彼らも外に出て手伝おうとする気配などない。
「え?だっていくらなんでも一人じゃ無理でしょ。」
「そうかな?」
ニヤリと笑うシュラに、が再び不思議そうに首を傾げた。
「まあいいから下がってろや。」
デスマスクがを自分の後ろに下がらせた時、表からムウの声が聞こえた。
「いきますよ。」
「OK!」
デスマスクが返事した途端、いきなりどでかいダンボールが侵入してきた。
大きさから言って、おそらくタンスだと思われる。
早くも遅くもないスピードと滑らかな動きでひとりでに部屋に入っていくタンスを見て、は驚愕した。
「なっ!何・・・!?」
「何って、テレキネシスだよ。お姉ちゃん知らないの?」
貴鬼はしれっと言ってのけるが、にとっては初めて目にするものだ。
これが驚かずにいられようか。
「ははっ、カルチャーショックを受けたみたいだな。」
「カルチャーショックなどという次元ではないのではないか?彼女は一般人なのだから。」
「おおそれそれ。お前のビビった顔見るの久しぶりだな。日本で会った時以来か。」
「もう!あの時の事は言わないでよ!!恥ずかしいんだから!!」
仄かに赤面してデスマスクの背中を小突く。
「イテテテテ、ほらほら、次が来るぞ。」
デスマスクの言う通り、荷物が次から次へと運び込まれはじめた。
それらは重さなどまるでないかのように、すいすいと部屋に吸い込まれていく。
はしばしそれに気を取られていたが、アフロディーテに促され、荷物の運び込まれた部屋へと移動した。
最初の作業は、梱包を片っ端から解くことであった。
一同は家具の大きなダンボールから順に開け始める。
一通り家具を引っ張り出した後は、貴鬼がの指定した位置にそれらを配置してくれた。
そこに表の荷物を全て運び終えたムウも加わって、あっという間に家具が並ぶ。
「すっご・・・。あっという間に終わっちゃった。」
「へへっ、どんなもんだい!」
心底感心するに、貴鬼が得意げに胸を張ってみせる。
はその頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ありがとうね!凄く助かっちゃったー!」
「えへへ、こんなのお安い御用だよ。」
「ほらほら、まだ終りではありませんよ。」
「まだまだやる事はあるぞ。」
言うが早いか、シュラはまたダンボールを開け始めた。
それに従い、他の者達も手近にある荷物を解き始める。
そうしてありったけの荷物を開けた後、それぞれを片付ける担当を割り振り、一同は各々の作業に取り掛かった。