皆との別れも済ませた。
部屋も引き払って、荷物も送った。
もう、引き返せない。
は一人、真剣な面持ちで搭乗ゲートに立っていた。
もう30分もしないうちに、日本を離れて遠くギリシャまで旅立つ。
覚悟はとうに決めてはずなのに、いざこうして出発となるとやはり緊張を抑えられない。
はチケットを持つ手を、震えないようにもう片方の手で包み込んだ。
どうにか緊張をやり過ごそうとしているうちに、の乗る便の搭乗案内アナウンスが流れた。
いよいよだ。
人々の列が改札へ吸い込まれていく。
その波に流されて、も前へと進んでいく。
の前に並んでいた男性が改札を抜けてデッキへと歩いていった。
そしてとうとうの番がやって来る。
チケットを手渡したに、係員が笑顔で見送りの言葉を掛けた。
「いってらっしゃいませ。良い旅を。」
返してもらった半券をぎゅっと握り締めて、はデッキを歩き始めた。
― 行ってきます・・・!
「全く・・・・、私に何の相談もなく勝手にこのようなことを決められては困ります!」
先程から止まないサガの小言に、沙織はうんざりしたように目を逸らした。
いや、今に始まったことではない。
彼はこの件を耳にした時から、何度となく同じ台詞を繰り返している。
「女神!聞いておられるのですか!!」
「はいはい、聞いています。」
沙織はうんざりしたようにぞんざいな返事を返した。
しかしサガはまだ言い足りないらしく、クドクドと言い続けている。
だが、その小言に辟易していたのはどうやら沙織だけではなかったらしい。
「いつまでガタガタ言ってんだよ、いーじゃねーか別に。」
「デスマスクの言う通りだ。もう来るんだろ?どうせなら楽しみに待った方が得じゃないか?」
「黙れミロ!!貴様は教皇ではないからそのような事が言えるのだ!!」
「貴方のご苦労はお察ししますけどね。少し落ち着かれてはどうですか?あんまりイライラしては・・・」
「ムウ、お前だけだ!私を心配してくれるのは!!」
「暑苦しくてたまりません。」
「・・・・・どいつもこいつも・・・・!」
サガは目の前にあったアイスコーヒーをガブ飲みした。
「大体元を正せばデスマスク!貴様が全ての元凶だ!!貴様がヘマなんぞしでかすからこのような事になるのだ!!」
「なんだよ、俺のせいかよ!!つーかそれ何回言えば気が済むんだよ!!こないだからずっと言いっ放しじゃねぇか!!」
「いやその通りだろう。何度でも言いたくなる気持ちも分かる。」
「うるせぇよ、シュラ!テメェだって喜んでたじゃねえかよ!!」
「まあいいじゃないか、お陰でこの男だらけのむさ苦しい所に若い女性がやって来るんだ。結果オーライだろう。」
アルデバランが豪快に笑い飛ばすが、小言こそ止んだものの、まだサガは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
そのあまりの不満そうな顔に、沙織は次第に苛立ちを覚え始めていた。
「サガ、いい加減になさい!!」
「はっ、申し訳ありません・・・!」
「確かに勝手に決めたのは悪いと思っています。ですがどうしてそういつまでも受け入れてくれないのです!?」
「女神、その者は貴女のご友人と伺いましたが、まことでございますか?」
突如シャカがについて質問を投げた。
「ええ。彼女はとても良い方ですわ。」
「それにな、星矢の姉代わりのようなものらしいぞ。」
「何!?カノン、それは本当か!!」
それまで緊張気味に黙り込んでいたアイオリアが、カノンの方へ身を乗り出す。
「ああ、本当だろう。本人がそう言ってたからな。」
「そうか!星矢の・・・!良かった、これで何とか話ぐらいは出来そうだ!!」
「なんだそりゃ。」
「フッ、彼は女性に奥手だからな。話題に困っていたんだろう。」
「その点アフロディーテ、お前は慣れていそうだな。」
「ありがとう、褒め言葉と受け取っておくよ、カミュ。」
聖戦後、様々なわだかまりも少しずつ解けて始めて随分友好的になってきたとは言え、今日は皆随分と口数が多い。
どうやら沙織の独断とデスマスクの失敗の産物とは言え、男所帯に突如やって来ることになった『一輪の華』を皆それなりに楽しみにしているらしい。
しかしサガだけが、苦悩の表情を浮かべて沙織に詰め寄った。
「女神、貴女の特別なご友人であることは承知しています。しかし何故この聖域へ呼び寄せる必要があるのです?私では聖域の運営には力不足と、そう仰りたいのですか?」
「やけにつっかかると思ったらそういうことか。」
「何かというと自分の存在理由について苦悩しているな。」
ミロとカノンがひそひそと小声で喋る。
「サガ、勘違いしないで下さい。あなたは聖域の教皇として立派に務めを果たしてくれています。」
「では何故・・・・」
「あなた方だけでは手が回りきらない部分もあるでしょう?」
「はぁ・・・・」
「特に情報機器を扱える人間が少なすぎます。神話の時代ならともかく、今は現代です。それでは困るのです。」
「仰せ、御尤もにございます・・・・」
「その点、彼女はそれらの扱いに慣れておられます。少なくともここにいる人間の誰よりも。」
沙織は黄金聖闘士達をぐるりと見回して、再びサガの顔を見た。
「本来なら私がもっとこちらに力を注ぐべきなのでしょうが、私にはグラード財団の総帥としての仕事があります。」
「御尤もです。」
「聖域について何も知らない我が社の社員を派遣するわけにもいかず、私は悩みました。」
沙織はさも辛そうに目を伏せて憂いて見せた。
「その結果どう考えても、最も信頼出来て、かつこちらの仕事をお願いできそうな人物は、彼女しかいなかったのです。」
「は・・・・・」
「彼女は私や星矢達にとって身近な人物です。決してここの存在を外部に漏らしたりはしないでしょう。これ以上の適材がありますか?」
「それは・・・・」
「ないでしょう?」
「・・・・はい。」
沙織の理詰めの談判に、ようやくサガが納得した。
沙織も含めてその場の全員が、『やれやれ』と溜息をついた。
何とか決着もついたところで、それまで黙っていた童虎が締め括るかのように口を開いた。
「ホッ、どうやら到着したようじゃの。」
間もなく、一同が集まっている会議室のドアがノックされ、ゆっくりと開いた。