「それでは、そういうことで宜しくお願いしますわね。」
「こちらこそ。」
日程等の細々とした話も済み、時計を見るともうかなり夜も更けていた。
「もうこんな時間、そろそろ帰らなきゃ。」
「遅くまで引き止めてごめんなさい。車で送らせますわ。」
「ああ、いいのいいの!今だったらまだぎりぎり終電間に合うし。」
「でも・・・」
「本当に大丈夫。ありがとうね!」
「そうですか、ではお気をつけて。」
「うん、じゃあまたね。おやすみ。」
「はい、またご連絡いたします。おやすみなさい。」
沙織の申し出を断って、は一人で城戸邸を後にした。
駅に向かって走り出そうとしたを、誰かの声が呼び止めた。
「おい姉ちゃん。待てや。」
「?・・・あっ!さっきの・・・・」
振り向いたの前に立っていたのは、カノンとデスマスクの二人であった。
一瞬誰か分からなかったのは、二人が聖衣を脱いでいたからである。
「さっきは悪かったな。」
「・・・いいえ〜、どういたしまして・・・」
拍子抜けするぐらいあっさりと謝られ、は何となく怒る気力も失せてしまった。
「帰るんだろ、送ってやるよ。」
「大丈夫です、一人で帰れますから。」
「遠慮するな。一瞬で送ってやるぞ。」
「まさか、またアレ?」
「ああ。」
『一瞬』という言葉で、は先程気を失った移動方法を思い出した。
あれが俗に言う『テレポーテーション』とかいうやつなのだろう、まさか実在するとは思わなかったが。
便利かもしれないが、あの何とも言えない異様な衝撃は出来ることならもう味わいたくない。
は顔を顰めてその申し出を断った。
「アレは勘弁して欲しいんですけど・・・。まだ電車も間に合うし、お気遣いなく。」
「そうか、では電車で送ろう。」
「遠慮すんなよ、『同僚』になるんだからよ。」
「う・・・・。じゃ、じゃあとにかく急いでもらえます?終電逃せないから。」
「よし、じゃあ行くか。」
電車の時間も差し迫っており、問答する暇も惜しかったは、とりあえず二人の申し出を受けた。
「駅まで走りますからね!」
「了解!」
に続いてカノンとデスマスクも走り出した。
しかしそこは黄金聖闘士と一般婦女子。
「まっ・・・、待って下さーーい!!早すぎ・・・!!」
あっという間に追い抜かされ、は息を切らせて二人を呼び止めた。
先を走っていた二人がそれに気付いて戻ってくる。
「ったく、あんたが走れっつったんだろうがよ。」
「軽く駆け足程度にしか走ってないぞ。なんでついて来れないんだ。」
「ぜぇぜぇ、私は・・、一般人なんです、ゴホッ、あなた達の、尺度で、ハァ、考えないで、欲しいんだけど・・・」
「そんな遅い足では『シュウデン』とやらに間に合わないんじゃないのか?」
「面倒だ、おぶされ。」
「え、ちょっ!!キャーー!!」
言うが早いか、デスマスクはを背負って走り出した。
カノンもその後に続く。
彼らにとっては決して早くないスピードだが、には凄まじく早く感じられ、振り落とされないように必死でデスマスクの首にしがみつくのが精一杯であった。
デスマスクはをおぶっている事など全く気にならないかのように軽快に走っていたが、しばらくして急に足を止めた。
「で、駅ってどっちだ?」
「何とか間に合った・・・・・」
駅と反対方向に進んでいたのを慌てて軌道修正し、一行は何とか終電に飛び乗ることが出来た。
疲れた顔の会社員に混じった大柄な外国人2人は非常に目立つ。
周りの視線を一身に浴び、何となく気まずいは隅の方へ移動した。
「日本の電車は混んでるな。」
「あ〜ウゼぇ。暑苦しいったらねえな。」
二人は一番角を陣取るを隠すように立ち、息苦しそうに口をへの字に曲げた。
「どれ位かかるんだよ。」
「15分ぐらいです。」
「15分もか。窒息しそうだ。」
混雑した地下鉄。
疲れた顔の乗客達。
仄かに漂う酒の匂い。
毎日毎日うんざりしながらも、この環境が変わることはないと思っていた。
これが自分の生きていく場所だと、当たり前のように思っていた。
しかし、これから全く違う世界が自分を包み込もうとしている。
こんなことを誰が予想出来ただろうか。
この車内にいる大勢の人間の中の一人だった自分が、全く異質な空気を放つこの2人の側へ移ることになるなどと。
不安はある。
寂しくもある。
― 本当に、自分に務まるのだろうか・・・・
「おい、降りる駅はここじゃないのか。」
「あ、ああ、はい、ここです。」
電車を降りた三人は、の家を目指して歩いていた。
「そういや、まだあんたの名前聞いてなかったな。」
「そういえば・・・。です。」
「俺はデスマスク、蟹座の黄金聖闘士だ、よろしくな。」
「俺はカノン、一応双子座の黄金聖闘士だ。」
「一応?」
「ああ、まあそれはまたの機会に説明するわ。話すと長くなるからよ。」
「そうですか・・・。」
三人は一旦足を止め、今更のように自己紹介をすると、再び歩き始める。
「しっかし驚いたぜ、あんたが女神の『ご友人』だったとはな。」
「しかも星矢達まで知っているとはな。」
「星矢君は私と同じ孤児院で育ったの。だから弟みたいなものなんです。」
「へぇ〜〜、そいつはますます驚いた。」
「どうした、浮かない顔をして。」
の冴えない表情に気付いたカノンが様子を伺う。
「いえ、別に何でも。」
「まあ無理はないけどな。あんたにとっちゃ信じられない事がいっぺんに色々起きたんだからな。俺も信じられないけどな。」
「全く、女神にも困ったものだ。そんな話、俺達は今の今まで知らなかったぞ。」
「またサガの機嫌が悪くなりそうだな。」
「全くだ。おまけに俺が一番とばっちりを喰らうのだからな。やってられん。あぁ、サガというのは俺の双子の兄でな。」
「聖域の教皇だ。まああんたの上司ってとこだな。」
「そうですか。」
二人の話にうわの空で相槌を打つに、カノンがかねてからの疑問をぶつけた。
「・・・・お前、本当はあの話知らなかったんじゃないのか?」
「そ、そんなことありません!本当に沙織ちゃんから誘われていました!!」
「けど断った、違うか?」
「それは・・・・」
デスマスクにずばりと言い当てられ、は黙り込んだ。
「どうやら図星だな。」
「引き受けなければ俺達に殺される、そう思ったから引き受けたんだろ?」
「そんなことは・・・ない、こともない、けど・・・・」
ますます図星を指され、ついつい本音を漏らしてしまう。
「やっぱり嫌か。聖域に来るのは。」
「嫌というか・・・・、不安なんです。ちゃんとやっていけるのかな、って。」
「・・・・気持ちは分からんでもないがな。」
「んなことウダウダ考えてても仕方ねえだろ。決まっちまったもんはしようがねえだろうが。」
「そんな!あなた達にとっては他人事かも知れないけど、私にとっては・・・」
「お前だけじゃないぞ。」
激昂して思わず大きくなったの声を、カノンの低い声が遮った。
その口調があまりにも真摯で、は黙り込んでしまった。
「俺もそうだが、ある日突然連れて来られた奴なんざ山ほどいるぜ、聖域にはよ。」
「その通りだ。ちなみにその中にはお前の弟分の星矢も含まれている。」
「星矢君・・・・」
そうだ、星矢はまだ年端もいかない内に強制的に連れて行かれたのだ。
たった一人の姉と引き裂かれて。
その時の心細さは、今の自分の比ではなかっただろう。
いつ死んでもおかしくないような状況の中、必死で耐え抜いたはずだ。
それに比べれば、自分の状況など。
「だから、そんな心配することねえって。何も過酷な修行をさせるわけじゃねえしよ。」
「その通りだ。それに慣れればそう悪い所でもない。コイツの毒牙にかからんよう気をつけさえすればな。」
「お前に言われたくねえよ。」
二人の掛け合いに、は思わず吹き出した。
「お、やっと笑ったな。」
「そうだな、笑顔は初めて見たな。泣き顔だの白目剥いて気絶した顔だのは散々見たがな。」
「し、白目なんか剥いてません!!」
顔を赤くして脹れるの様子を、デスマスクとカノンは愉快そうに笑ってからかう。
そうこうしているうちに、一行はのアパートの前まで到着した。
「あ、ここなんです。」
「何だったら泊ってやろうか?不安なんだろ?添い寝して優しく慰めてやるぜ?」
「結構です!!」
肩に回そうとした腕を払われたデスマスクをカノンがからかう。
「振られたな、デスマスク。」
「うるせぇよ。まあチャンスは今後いくらでもあるしな。」
「さあ、そろそろ帰るか。早く帰って報告しないと奴が五月蝿いからな。」
「だな。じゃあな、。聖域で待ってるぜ。」
「これも何かの縁だ。まあ一つよろしく頼む。」
どうやらまたテレポーテーションするらしい。
少し離れた位置まで移動した二人を、は呼び止めた。
「あの!」
「なんだ?」
「ありがとうございました!お陰で何だか勇気が出ました!こちらこそよろしくお願いします!!」
霧が晴れたような笑顔のに、デスマスクとカノンは安心したように口元を綻ばせた。
「あぁ。・・・・そうだ、、お前・・・」
「何ですか?」
は、優しげな笑顔を浮かべるデスマスクに近付いた。
が目の前に来た瞬間、デスマスクの笑顔が優しいものからかうような意地の悪いものへと豹変した。
「なかなかいいチチしてるじゃねえか。今度は是非ナマで味わいたいもんだな。」
「なっ!?ばっ、馬鹿ーーーーー!!!」
綺麗な満月の下、小気味良い乾いた炸裂音が辺りに鳴り響いた。