親愛なる者へ 5




その後姿が見えなくなってから、アイオリアがぼそりと呟いた。

「やけにしつこい男だったな・・・・・あ、済まん!悪く言ったつもりでは・・・・」
「ううん、いいの。分かってる。」
「こんな商売してる男だ。職業病だろう。」
「そうね・・・・。」

アルデバランが取り繕うように言うも、の笑顔はどこかぎこちなかった。
まるで、心ここにあらずといったように。
そんなを見たアフロディーテが、そっとの肩を押した。

「気になってるんだろう?追いかけてきたらどうだ?」
「でも・・・・・・・」
「良いから。誤解されてないか心配で心配で仕方ない、って顔してるよ。」
「・・・・・・・ごめんね・・・・・・、ちょっと行ってくる!」

申し訳なさそうな顔をしたは、皆に断ると麻生の後を追って走って行った。



「・・・・・・相当本気、だな。」
「ああ。」

シュラの独り言のような呟きに返事をして、カノンは手の中にある麻生の名刺を見つめた。

「麻生貴臣、フリーライター・・・・・か。」
「どうした、カノン?」
「いや、何でもない・・・・・・が、少し調べてみる必要があるな。」
「何故だ?」

訝しそうなアルデバランの問いに、カノンが答える事はなかった。






「待って、貴臣さん!」

は、全速力で走ってようやく追いついた麻生の背中に叫んだ。

?・・・・・ははっ、どうした!そんなに慌てて。」
「良かっ・・・・・、追いつい・・・・た・・・・・!」
「あ〜あ、そんなに息切らせて!なに?どうしたって言うんだ?撮影は?」

麻生は肩で息をするの背中を擦りつつ、あっけらかんと笑って尋ねた。

「あの・・・・、違うの・・・・・・!」
「何が?」
「皆本当に只の友達だから・・・・・、だから・・・・・・」
「なんだ、そんな事。」

可笑しそうに笑って、麻生はの頬を両手で包んだ。

「分かってるよ。あの人達だってそう言ってたじゃないか。何も疑っちゃいないよ。」
「・・・・・本当?」
「ああ。もしかして、そんな事を言う為にわざわざ走ってきたの?」

こくりと頷くを見て、麻生は目元を綻ばせた。

「・・・・・馬鹿だな。」
「ごめんなさい・・・・・・」
「僕はこれでも結構いい年なんだ。誰彼構わず妬くような若さはもうないよ。」
「そんな・・・・・」

麻生の冗談めかした口調に、は安堵の笑みを零した。

「それに・・・・・、僕達はもうれっきとした恋人だ。違う?」
「・・・・・・違わない・・・・・」
「だろう?だから僕には自信がある。君の特別は僕だってね。」
「貴臣さん・・・・・・」
「・・・・・・愛してるよ。」
「・・・・・・私も、愛してる・・・・・・」

麻生は擽ったそうに微笑むを抱きしめて軽く口付けると、腕を放した。

「さ、皆待ってるんだろう?折角特別に招待されたんだから、楽しんでおいで。」
「でも・・・・・」
「勿体無いよ!僕なんか入ってみたかったけど入れなかったんだから、ははは!」
「でも、貴臣さんは?」
「僕は僕で、適当に取材先を探してみるよ。元々今日はそうするつもりだって言っただろう?なに、これが結構楽しい作業なんだ。」
「そう・・・・・、だったら良いんだけど・・・・・」
「さ、もう行って。皆さんに宜しく。」
「はい。」

に見送られて車に乗り込んだ麻生は、エンジンをかけて走り去ろうとしてから、ふと思い留まったように窓を開けた。


「そうだ、今度の金曜日の夜!」
「え?」
「空いてるかな?」

言い方こそさらりとしたものだが、それが夜を共にする誘いである事は明らかだった。

「・・・・・・はい!」
「良かった。仕事は何時に終わる?迎えに来るよ。」
「でも、貴臣さんのお仕事は?」
「金曜は何も約束がないんだ。金曜土曜と、ホテルで原稿を書くつもりだったから。」
「だったら、私が行きます。原稿の邪魔するの悪いし。」

住まいを誤魔化している手前、送り迎えを申し出られるのが心苦しいというのもあるが、この言葉に嘘はなかった。
ライターという職業の知識がない為、程度は分からないが、きっとそれなりに大変なのだろう。
決して旅行気分で好き勝手に出歩くだけが仕事ではない筈だ。


「仕事が終わったら行きますから、貴臣さんは原稿頑張って!」
「そう?・・・・・悪いね。じゃあ部屋で待ってるから。遅くなるようだったら連絡して。暗くなると危ないから、その時は迎えに行くよ。」
「はい!」
「じゃ、また金曜に。」
「また金曜に。行ってらっしゃい!」

走り去る麻生の車に手を振って、は満ち足りた表情で聖域に戻って行った。






時というのは皮肉なものだ。
指折り数えて待っている内はなかなか過ぎてはくれないが、いざ待ち焦がれた時になるとあっという間に過ぎてしまう。

時計の針が土曜の午前0時を指した今、は麻生のベッドで夢と現実の狭間を漂っていた。


身体を支配していた熱がゆっくりと引き、眠気と疲れの混じった気だるさに襲われる。
身体を抱いてくれる腕の温もりと、漂ってくる煙草の香りが心地良くて。
うっとりと彼の胸に頬を預けた時だった。


「・・・・・・この間の所だけど。」
「え?何?」
「どうしても取材してみたいんだよね。」

麻生は煙草の煙を噴き出すと、の髪を優しく梳りながら言った。

「ちらっと見えただけだけど、結構雰囲気のありそうな遺跡だったし。ね、。君からあの人達に頼んでみてくれないかな?」
「え・・・・・・」
「勿論、あそこが私有地で宣伝出来ない事は分かってる。何も観光スポットの紹介記事にするつもりじゃないんだ。あの場所をこの目で見てみたら、きっともっとギリシャの事が分かる気がする。そうしたら、もっともっと良い記事が書けそうな気がするんだ。」
「貴臣さん・・・・・・・」

真摯な眼差しで乞われ、は困惑した。

出来る事なら、役に立ってあげたい。
そう思うのは当然の心理だ。
けれど、いかに愛する人の頼みとはいえ、どうにも出来ない事もある。
少なくとも、彼を聖域に入らせる事は出来ない相談だった。


「貴臣さん・・・・・・、ごめんなさい。」
「どうしても?」
「・・・・・・どうしても。」
「何故?」
「それは・・・・・・・・」

口籠る間に、は必死になって言い訳を考えた。

「それは?」
「それは・・・・・・・、頼み辛い、から・・・・・・」
「どうして?友達なんだろう?駄目元で頼んでみる位は・・・・・」
「だって・・・・!だって・・・・・、ほら、あの人達だって雇われの身だから、仮に頼んでも、事務所があの土地の所有者に掛け合ってくれるとは思えないし・・・・・・」
「なら、所有者の連絡先だけでも教えてくれっていうのは?そうしたら、後は僕が直接交渉するよ。それなら良いだろう?」
「それは・・・・・・・・・・」

そんな者、居はしないのだ。
あれはカノンの嘘なのだから。
強いて言えば沙織がそれに当たるのだろうが、女神である彼女がまさかOKを出す筈がない。
どちらにせよ、麻生の希望は叶わないのだ。


「言うだけ言ってみてくれないか?頼む。」
「・・・・・・・・あんまり、期待しないでね?」
「ああ。それで駄目ならスッパリ諦める。悪いね、無理を言って。」
「ううん・・・・・・・」
「さ、もうおやすみ。」
「貴臣さんは?」
「僕はもう少し仕事する。今丁度記事の構成を考えているところでね。うるさくしないから、気にしないで寝てくれ。」
「はい・・・・・・・」

額に軽く口付けると、麻生はバスローブを羽織ってベッドを出、テーブルに向かった。

眼鏡をかけて真剣な顔でペンを握る彼の横顔は、やはりどうしようもなく愛しくて。
は心の中で彼に詫びながら、居心地の悪い夢の中に沈んでいった。






夜が明けた後も、麻生は何も変わらなかった。
昨夜の話は一度たりとも蒸し返さなかったし、仕事に触れるような会話もしなかった。
ただあの笑窪を浮かべて他愛ない会話をし、食事をして。
そんな恋人としての顔だけを見せてくれた。

は、予定より早く麻生の部屋を出た。
彼の仕事の邪魔をしたくなかったし、昨夜のしこりもまだ消えてはいなかったからだ。
もっとゆっくりしていけば良いのにと引き止める彼を笑って誤魔化して、は聖域へと戻った。



「・・・・・こんなに辛い事だったなんて・・・・・・」

自宅のリビングでぼんやりとソファに転がりながら、は溜息をついた。

愛する人に嘘をつき続けるのが、こんなに辛い事だとは。
それがたとえ、裏切りや悪意のない嘘だとしても。

良心の痛みをひしひしと感じていると、ドアがノックされる音が聞こえた。


「はい・・・・・・・、シュラ!アフロも・・・・・」
「帰ってたか。」
「ちょっと上がらせて貰っても良いかな?」
「勿論。入って入って。」

客人の為に、はコーヒーを淹れた。
二人に付き合って飲んではみたが、いつもと同じ豆なのに、やたら苦く感じるのはどうしてだろう。
角砂糖をもう一つ追加したに、シュラは苦笑いを浮かべた。

「太るぞ、。」
「言わないでよ、気になっちゃうじゃない。」
「悪い悪い。・・・・・・それはともかく、最近アソウとはどうだ?」
「どうって・・・・・・、別に。うまくいってるよ。」

何処となく翳りのある笑顔を張り付けてみせたに、シュラは一瞬痛ましそうな目をした。


「まあ・・・・・・、それなら良いんだがな。」
「それはそうと、もなかなか大した女優だね。」
「えぇ?何が?」
「私達以外、未だに誰も気付いてないよ。昨日の言い訳も傑作だった。あの一癖も二癖もある連中が、皆納得したのだからね。」

可笑しそうに笑うアフロディーテに釣られて、も苦笑を漏らした。

「ああ、あれ。自信あったの。『学生の時の友達が旅行に来てるから、泊りで会いに行って来る』って、なかなか巧い言い訳でしょ?」
「ああ、事情を知らなかったら俺も信じるところだ。」
「なんかアレみたいだね。彼氏の家に遊びに行く女の子が、親につく嘘みたい。ふふっ、おっかしいよね〜。」

ころころと笑ってみせて、はふっと溜息をついた。

「あっちにもこっちにも嘘ついて・・・・・・・、私、いつからこんなに嘘つきになったんだろう。自分で自分が嫌になっちゃいそう。」
・・・・・・・・」
「彼にね、ここの見学許可を頼んで欲しいって言われたの。」
「何だと?」
「勿論断ったよ。けど、じゃあせめて所有者の連絡先だけでも教えて貰えるように頼んでって言われちゃった。無理なのにね、そんな事。」

寂しげな笑顔でコーヒーを飲むに、シュラは言った。

「・・・・・自分を責めるな。お前は嘘つきなんかじゃない。こればかりはやむを得ない事情なんだ。そんな事を言ったら、デスマスクなど閻魔に抜かれる舌が何枚あっても足らんわ。」
「ふふっ、だよね。そう思わなきゃ・・・・・・、付き合っていけないよね。」
「・・・・・・、一つ訊いても良いかい?」
「なに、アフロ?」
「そんなに辛い思いをしてでも・・・・・、あのアソウが好きか?」

アフロディーテのストレートな質問に、は一瞬黙り込んだが、やがて小さく頷いた。

「・・・・・・好きよ。」
「・・・・・・分かった。変な事を訊いて悪かったね。」
「ううん、全然!」
「さて、君が無事に帰って来たのも見届けたし、我々もそろそろお暇するとしようか。」
「え、もう?」
「あまり眠ってないんだろう?目の下、クマになってるぞ。」
「嘘っ!?」

慌てて目元を手で押さえたにクスクスと笑い、二人は席を立った。

「お熱いね。羨ましいよ。」
「やめてよアフロ!そんなんじゃないんだから!」
「まあ、とにかく少し昼寝でもしろ。明日からはまた執務なんだからな。」
「ん・・・・・・。ありがとうね、二人共。」



の家を出て、シュラとアフロディーテは厳しい表情を浮かべた。


「・・・・・・結局言えず終いだったな。」
「仕方ないさ。はあの男が本気で好きなんだ。それは君だって見れば分かるだろう?」
「まあ、な。カノンの報告も、あくまで疑惑の域を出てもいない事だし・・・・・」
「そう、まだ途中なのだ。奴が確かな事を掴むまでは・・・・・・・」

悲痛な視線をの家の玄関ドアに投げ掛けて、二人はそれぞれの宮へと帰って行った。




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後書き

ほ〜ら、段々暗くなってきた、ウフフフフ(怪)。
何がしたいねんって感じですね。
もう少しで終わりますから、今暫くご辛抱下さい(笑)。